31 君に遠慮をしないこと、君と実現したいこと


 朝のホームルームは賑やかだ。これまでなら一人でぼーとしているのだが、最近は海崎や黄島さんにリハビリの報告をするのが日課になってきた。かいつまんで、昨日の不安そうな雪姫の様子を伝える。


「だいぶ、はしょったな」

「かなり省略したね」


 と海崎も黄島さんも、ニッと笑む。

 え? と思った。昨日は衝動に突き動かされたとは言え、かなりお互いに大胆な行動をとっていた自覚がある。それを見られていたとあっては、かなり赤面モノだ。


「見てはないよ、上にゃん」

「へ?」

「ただね、とある筋の情報筋からのソースで」

「何それ?」

「人呼んで【上×下アップダウンサポ-ターズ】と言う」

「黄島さん、全然言ってる意味が――」

「昨日決まったからね」

「え?」

「なんだっけ? 『専売特許』だっけ?」


 海崎のいきなり発言に俺は、思わず頭が真っ白になった。


「か、海崎ー?!」

「それから、『隣は絶対に譲らない』だっけ?」

「黄島さん?!」


 顔が熱い。誰もいないと思っていたのに、まさか聞かれていたなんて――。


「ちょっとは自重しろって言いたいけど、下河にはそれぐらい甘く囁いてやった方が良いんだろうな」

「そうそう。上にゃんレベルの甘やかしが必要なのよ」


 二人にニヤニヤされるのを見て、自重しよう。そう思った。

 でもな、と心のなかで呟く。雪姫を前にすると、自制が効かなくなる自分がいる。


「あ、そうそう。今日、司書室を使えないけど、今日の昼食はどうする上川?」


 と海崎に言われて俺を、思わず呆けた顔になる。


「蔵書の追加、整理、システム保守点検があってね。図書室は今日一日、全面使用禁止だから」

「へ?」

「ん? どうしたの?」

「いや、海崎が何でそんなに詳しいのかな、って」

「あ、だって。僕と彩音は図書委員で文芸部所属だから」

「そうだったのか……」


 むしろ初めて知った。海崎も黄島さんも、呆れ顔を隠さない。


「気まぐれ猫はこれだから、ね」

 黄島さんは小さく息をつく。


「どうせ、誰がどの委員会に所属しているとか、全く興味がないでしょ?」


 知ってるけどね、と言わんばかりに笑んで。でも、イヤな気はしない。海崎や黄島さんの人当たりの良さ、持ち前の明るさがあるとは思うのだが、からかわれていても心地良いとさえ思ってしまう。

 でも――。


(ここに雪姫がいてくれたら)


 最近、どうしてもそう思ってしまって。それこそ、彼女にプレッシャーをかけることになるので、軽はずみに言うことはできないけれど。


「上にゃんは、教室では食べたくないよね? どうしよう? 中庭にでも行――」

「教室で良いよ」


 と俺は迷いなく言った。


「そうか。じゃ、やっぱり中庭で――って、え? え?」


 黄島さんが驚きの声を上げた。海崎も目をパチクリさせる。いや、そんなに驚かなくても、と思うのだが。確かに最初は、雪姫からもらったお弁当を、人に見られることに対する気恥ずかしさがあった。女子が男子にお弁当を作る。普通なら、惚れた好いたの関係に結びつけたいと思うだろう。だけど、今はどんな目で見られても、構わない。そう思う。


「俺はね、もう対応を変えたいって思わないんだよ」

「上川?」

「雪姫は、いつか学校に来るよ。しっかり目標を掲げているからね。でも、そうなった時に俺は人の視線に左右されて、雪姫への対応を変えようとは思わないんだ」

「……そっか」


 コクンと黄島さんは頷いてくれる。どことなく、嬉しそうに微笑んで。





■■■





 ホームルームの後、弥生先生までわざわやって来て、海崎と同様に図書室が使えないと教えてくれたので、俺は気怠そうに頷いて見せた。


「それと……」

「ん?」

「カフェオレ、淹れるのがんばって?」


 俺は目をパチクリさせる。何でそれを知って――。


「ふふっ。情報ソースは色々あるんだけれど、今回の情報提供者は長谷川瑛真さん、かな?」


 聴き慣れた名前に、俺は目を丸くした。


「だって彼女、文芸部の部長。私は文芸部の顧問だからね」

「さいでっか」


 ゲンナリである。もっと言うと、弥生先生は【cafe Hasegawa】の常連客でもある。


「……私達が上川君のコーヒー飲んじゃったから、でしょ? やっぱり想像した通りになったワケだけど。でも可愛いわよね、下河さん。上川君にヤキモチ妬いたワケで。そこんとこどう思う、彼氏として?」

「……何回も言いますけどね、俺と雪姫は友達ですからね」

「と、上川君は思いたい、と。なるほどねぇ」


 えっとね、弥生先生。ここは教室で。恋バナ大好きなのは知っているけど、ソコに俺たちを巻き込むのは止めて欲しいんだけど――。

「なんだっけ? 『最愛の人ゆきがいてくれないと俺は困る。困ってしまう』だっけ? 友達か。うん、友達だよね」

「な、なんで――」

「さる信頼がおける情報筋から、ね」


 ニマニマ笑いながら、弥生先生は教室を出ていく。先生の言葉を表面通りに受け取れないのは、気のせいか?


 顔が真っ赤になっているのを自覚している俺は、ダルさを演出して机に突っ伏した。眠さを演出しながら。


 熱い。頬が火照っている。

 そして、思う。もっとしっかり感情を飲み込まないと。周りが見えなさ過ぎだな、俺。

 雪姫のリハビリの邪魔だけはしたくない。そう思った。




■■■




「ひかちゃん、上にゃん、食べようか?」


 最近はお決まりのパターンになっているので、奇異な目で見られることは減った。減ったのだが、「上にゃん」と言われる度に、クラスメートがクスクス微笑ましそうに笑うのはどうして、か。


 気を取り直して、お弁当箱を出す。最近、自分もこの時間を楽しみにしているんだなと、頬が緩むのを実感する。と、お弁当箱を開けて、俺は目を見開いた。


(これは……嬉しいけど、恥ずかしいよ、雪姫)


 唐揚げが入っている。これはすごく嬉しい。でも煮物やサラダ、焼き魚も少しずつバランス良く、それぞれ彩りが良い。俺の最近の栄養の生命線は雪姫の弁当と言っても過言じゃないかもしれない。


 でも――桜でんぶで描かれたハートマークが、何よりも目に飛び込んできた。よく見れば卵焼きもデコレーションされていて、鈍感な俺でも誰と誰をイメージしているのかは、一目瞭然で。


(……これって、俺と雪姫だよな)


 そう思うと、なおさら頬が熱くなる。朝から既知の面々に自分達が交わした言葉をリピートされたからか。妙に意識してしまう。


「え? 上川っていつもサンドウィッチかオニギリってイメージだけど、今日は弁当って――コレ、親が作ったって感じじゃないよな?」

「上川君って確か一人暮らしだよね?」


 詰んだ――と思ったが、いやそうじゃないだろう? と自分の考えを否定する。隠すでも照れるでも無い。事実を事実として伝える。それだけじゃないか。


「友達が――下河が作ってくれた。俺があまりに栄養バランス悪いからって」

「え? 下河さん? 今、休学中の?」


 俺はコクリと頷く。


「あの子って、人前だと過呼吸になるって――」


「そうそう。その下河さん。それがね、これとある有力筋からの情報なんだけど、上川君だと過呼吸にならないみたいで。今、上川君が協力して絶賛、リハビリ中らしいよ」


 とある有力筋って――と思わず黄島さんをさんを見ると、吹けない口笛をプープー吹いている。


「だって仕方ないじゃん。二人が堂々とデートまがいのリハビリするから、一時期、上にゃんに彼女ができたって噂、クラスLINKでもちきりだったんだよ。むしろ、フォローしてあげたんだから、褒めて欲しいけど?」


 小声で黄島さんは言う。


「彼女? デートじゃなくてリハビリだから!」

「距離が近いんだって。上にゃん。全力でゆっきを甘やかしてあげてるの、自覚ないでしょ?」

「甘やかすも何も、雪姫が一番がんばって――」

「名前呼び?!」


 クラスメートからまた驚きの声が上がる。


「ちなみに下河は上川のことを『冬君』って呼んでるからね」

「海崎、丁寧に補足しなくて良いから」


 ゲンナリして言う。もう反論する気力も起きない。

 と、その瞬間、俺と交わる視線があった。


「……」


 無言で、視線を送るクラスメートが一人。確かアイツの名前はは大國だったはず。時々、ああやってまるで敵意を滲ませた視線を送ってくるので、イヤでもインプットされるというもので。


「圭吾も一緒に食べる?」


 そんな剣呑な視線を物ともせず、海崎はニコニコして言う。圭吾はしばらく海崎ではなく、俺を凝視し続けた。


「遠慮する。俺は学食に行くから」


 用は無いと言わんばかりに、踵を返して。あそこまで敵意を放たれたら、無関心の俺も流石に不愉快で。でも、と思う。全ての人間と相容れることができるなんて思っていない。それは学校のコミュニティーに入りきれなかった時に痛感している。だが、ああいうヤツを含めて、上手に付き合っていく必要があると感じている。


 自分のことなんかどうでも良い。ただ雪姫が学校に来れた時、あの友達が笑って過ごすことができる環境だけは準備したい。

 俺は気持ちを切り替えようと、雪姫の作ってくれた弁当に箸をのばした。


 ――あぁ、やっぱり美味しい。


 唐揚げを食べた瞬間、ゴチャゴチャした感情は全部拭い去られて。この瞬間、目蓋の裏側で、一人笑顔で笑ってくれる子がいるから――その子のために頑張りたい。そう思った。





■■■




「雪姫、今日、嬉しそうだね」


 そんな彼女、今日はプリンを作ってくれた。現在、ご相伴に預かっている最中で。雪姫が終始、ニコニコしながら俺を見ている。


「うん。嬉しいこと、たくさんあったよ。一つは昨日の冬君の言葉かな」


 俺は思わず視線を逸らして俯く。昨日、衝動で紡いだ言葉を、海崎、貴島さん、弥生先生に何度も言われたので、妙に意識して頬が熱い。


「下を見ないで、私を見て欲しいよ? 照れるのは、私も一緒だけど。でも嬉しかったのは本当だから」

「うん」

「それとね、今日は彩ちゃんに、これを送ってもらったの」

「え?」


 と見せられたのは、雪姫のスマートフォンで。クラスメートに囲まれながら、お弁当を食べている俺の写真で。えっと……俺、こんな顔をして食べていたのか? ちょっとだらしなく笑いすぎじゃない? 正直ちょっと恥ずかしいけど……。って言うか、いつ撮られていたんだ?

 写真の上。黄島さんのメッセージが、目に飛び込んできた。


『上にゃん、本当にゆっきのこと好きだよね。写真撮られていることに気付かないぐらいだから』

『あ、ごめん。誤字。ゆっきのお弁当が好き、ってことね。ごめんごめん』


 ……だから、そういう爆弾をイチイチ放り投げてくるの止めてくれないか? そう思う。雪姫がどう思うかは分からないが、少なくとも俺は、そんな惚れた好いたの感情で、今の関係を壊したくなかった。


 ただ、と思う。以前、雪姫は弥生先生と海崎にコーヒーを淹れただけで、気持ちが不安定になってしまった。それは彼女にとって、友達という定義が不確かで、あやふやたったから。


 自意識過剰かもしれないが、彼女の知らない場所でクラスメートとの交友が増えつつあるなか――雪姫のどう思うんだろうと、とつい考えてしまう。


「――不安、と言うよりは悔しいかな?」

「え?」


 俺は目をパチクリさせて、思わず雪姫を見てしまった。やっぱり、今のように考えていることが雪姫に伝わってしまう瞬間が時々あって。それが気恥ずかしいと思うし、不思議だなと思う。それだけ雪姫が、真剣に俺のことを受け止めてくれている証拠だとも思う。


「冬君が私の知らないところで、誰かに笑っている。やっぱりそれは悔しくて。でもこの写真の笑顔の理由が、私が作ったお弁当なのかな? って思ったら嬉しくて――って、コレ自意識過剰だよね?」


「いや……本当に美味しかったから……。その、雪姫のお弁当を食べるの、本当に最近、一番の楽しみになっていて。この時間が好きだなって思ってたから。結局、雪姫のこと考えていて――あ、今のナシ。そういうことを言いたいんじゃなくて。本当に美味しくて。だから、スゴイだらしない顔撮られたのが恥ずかしいんだけど――」


「冬君がいつも美味しそうに食べてくれるから、お弁当も頑張りたいって思ったの。だから、食べてもらって、どんな顔をしているんだろうってずっと思っていて。こうやってオヤツを食べている時、冬君、本当に美味しそうに食べてくれるから。学校ではどんな風に食べているんだろうって。だからね、彩ちゃんが送ってくれたこの写真は本当に嬉しくて。冬君のせいだよ? 私が色々欲張りになっていくのは」


「へ?」


「冬君とお出かけしたいのもそう。学校に行きたいのもそう。もう一つ、冬君とお昼を食べたいって思っちゃった。冬君は本当にズルいと思う。どんどん、私に希望を灯していくんだもん」

「それは……嬉しいかな」


 俺は素直にそう思う。


「冬君?」

「雪姫がやりたいって思うことを実現したいって思うし。それは俺も雪姫と一緒にやりたいって思うことだから」


 俺の言葉を聞いた瞬間、雪姫が手をのばす。俺も雪姫の手に向けて。自然と指と指が触れて。


「……一緒に実現したいって思ってくれるの?」

「そう言った。そう本当に思ってるよ。その第一歩が明日だと思っているから」


 明日、俺は雪姫にカフェオレを淹れる。不思議と緊張はなくて――嬉しい。そんな感情が溢れてくるから不思議で。


「うん、正直に言うと不安はあるよ? でもそれ以前に楽しみにしているの。だって、冬君のカフェオレ、私が一番のお客さんになれるんでしょう?」


 雪姫は真っ直ぐに俺を見つめてくるから、その視線を真正面から微笑みながら受け止める。


「もちろん。マスターと、その奥さん以外は飲ませてないから。雪姫が一番だよ」


 雪姫が両手で俺の手を包み込むように、握りなおした。


「雪姫?」

「不安と言うより、悔しいって私が言った話しなんだけど……」

「うん」

「不安よりも、悔しいよりも。冬君の約束を私、信じたいって思ったし、信じてる。冬君が『離れない』って。『ずっと一緒にいてくれる』って。『隣は譲らない』って。そう言ってくれたから。だったら信じた方が良い、そう思ったの。疑うより不安になるより、冬君を信じたい。そう思っていたら、今日また一つ冬君が私を嬉しくさせるんだもん」


 満面の笑顔を咲かせて。俺は思わず、見惚れてしまった。


「一緒に実現したいって……。本当に嬉しかった」


 思わず、俺まで笑みが溢れて。一つ一つ、一歩一歩で良いと思う。今まで雪姫は一人で抱え込んで、頑張ってきた。

 それなら。少なくとも俺は今、そしてこれからの雪姫を支えていきたい。この友達の笑顔を守りたい。そう素直に思う。

 



 ――だから、人の視線に左右されて、雪姫への対応を変えようとは思わない。




 まずは明日――君にカフェオレを淹れる。

 それが雪姫と一緒に実現する、最初の一歩になるはずだから。

 




■■■





「いいから、さっさとリハビリに行けばいいのに」


 リビングの向こう側。ゲームのBGMに合わせて、空君にぼやかれる。

 雪姫の笑顔と向き合いながら、俺は聞こえないふりを徹することに必死だった。

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