27 彼からのお誘い


「今度の土曜日、雪姫さんの時間を少しいただけませんか?」


 冬君の言葉を聞いて、私は目をパチクリさせた。それって……? と言葉の意味を考える。今までもリハビリとして、自宅の周辺や公園、裏山の神社……。色々な場所に足を運んだ。


 色々な人とすれ違った。そのなかには、同じ高校の人もいて。でも冬君がまるで気にする素振りはなくて。私の呼吸が不安定にならないように、ただそれだけを気を遣ってくれているのが、よく分かった。それは私のリハビリのためだから。


 でも今日の冬君の言い方は、まるでデートのお誘いのようで。


 そう意識すると、また頬が熱く――。

 と、目の前で下河大地――お父さんは唖然としたように、呟く。


「雪姫を、いただけませんか? だって?」

「え?」


 ウチのお父さんは何を言っているんだろう? そう思っていると、お母さんが容赦なく、お父さんの耳朶みみたぶを抓った。


「イタタタタタ、春香さん、なに、なに、何なの?!」

「何なのじゃない! 大地さんのキャパを越えてしまったのは分かるけど、変な勘違いしない。上川君が一生懸命考えたうえで、私達に相談してくれるんでしょ!」


「そうだよ、父ちゃん。父ちゃん、思いっきり誤解しているけど、この二人、鈍い上に奥手で無自覚だから。スキンシップは過剰で見ているこっちが照れくさくなるけど、一線越えるなんて絶対無理だからね!」


 えっと……。私は弟に何を言われているんだろう? だって、距離はある程度保っているはずだし。私は友達の関係から、踏み込んでいないはず。だいたい冬君は、純粋に心配してくれて、リハビリに付き合ってくれている。そんな目で見られるのは、冬君に対して失礼だと思う。


「だいたいさ、どっかの馬の骨が姉ちゃんを誑かしたなら兎も角、冬希兄ちゃんは姉ちゃんを支えてくれているわけでしょ? それは父ちゃんだって分かるでしょ?」

「ま、それは……」

「冬希兄ちゃんは、無節操に姉ちゃんを傷つけない。それは見ていたら分かる」


 私はつい冬君を見てしまう。思わぬ弟からの言葉に、今度は冬君が耳先まで真っ赤に染めていた。


「だいたい、授かり婚の張本人達がそれ言えないからね」

「「空?!」」


 矛先は、今度は両親で。お母さんの形相は鬼のように、お父さんを睨む。当の本人は、目が宙を泳ぐが空の弾劾がこれで終わらない。

 お父さんは結婚の経緯いきさつを子ども達に当たり前のように惚気けるから、こうなる。


「授かり婚って言葉が良いけど、理性を抑えられなかっただけだよね? 冬希兄ちゃんも姉ちゃんも、相手を傷つけないように、苦しめないように必死に考えているよ? だいたい『今日は安全だから』って囁いた母ちゃんも大概で――」

「ストップ、空、ストップ! お願いだから、分かったから!」


 お母さんが顔を真っ赤にしてのギブアップ宣言。でも安全? これはちょっと意味が分からない。見ると、冬君は沸騰してしまいそうな程真っ赤で。


「冬君、安全って何のこと?」

「そ、それ、俺に聞かないで……」


 冬君は慌てて私から視線を逸らす。ますます意味が分からなくて、私は首をかしげるしかなかった。 





■■■




 一息ついて、仕切り直し。


 冬君が落ち着くように、食後にダージリンティーと。チョコクッキーを出す。明日、冬君に学校で食べてもらう為に焼いていたんだけれど、この際仕方ない。


 その分、お弁当を頑張れば良いか、と思った。今日より豪華にしてあげようと、心の中て決めて。


 だからね、お父さん。冬君に感謝してね? そうでなきゃ、お父さんにはもう作らないから。――でも、そんな雑念もどうでもよくなってしまった。


 冬君が美味しそうに食べてくれる。ただこの表情を見ただけで嬉しくなっている自分がいて。私って本当に単純だなって思う。


「雪姫、ありがとう」

「え?」


「緊張が解れた。雪姫もしっかり聞いてくれる? 俺のお願い」

「う、うん……」


 コクコク頷くことしか私はできなくて。

 冬君が私の目を見て、ニッコリ微笑んでくれた。それから、私の両親――それから空にも優しい目を向ける。


「改めて、お願いがあります」


 お父さんも落ち着いたのか、背筋をのばして真剣な表情で受け止めようとしてくれる。最初からそうしてくれたら良いのに、とも思ったがひとまず安堵する。


「今までリハビリと称して、雪姫さんとお家にお邪魔してきました。外へ外出したこともそうです。ただ、本来ならご両親――ご家族の許可を得るべきでした。本当に申し訳ありません」


 冬君は深々と頭を下げる。私は頭が真っ白になった。違う。冬君は何も悪くない、冬君はこんな私を友達と言ってくれて。何ができるかを一生懸命考えてくれて。何も悪いこしていないし、むしろ私が支えられて、助けてもらっているのに――。


「雪姫、そんな顔しないの」


 と言ったのはお母さんだった。え? 今、私はどんな顔を……?


「今にも泣きそうよ? 大丈夫だからね。私達にできなかったことを、上川君がしてくれた。雪姫から上川君のことは聞いていたから。むしろ、先にお礼を言うべきは私達でした。そうよね、あなた?」


 とお母さんはお父さんの方を見る。お父さんも小さく頷いた。


「予想外のことがたくさん起こって、受け止められなかったんだ。許して欲しいのは僕の方だよ、上川君。娘がこんな風に笑うなんて思っていなくて。それは最初は、女の子の家に上がり込む、なんてデリカシーのないヤツって思ったよ」


「はい……」


 冬君は素直に受け止めてくれる。でも私は、今度は怒りの感情が芽生えてきた。私のために一生懸命考えて行動してきた冬君に対して、お父さんそれは失礼過ぎ――。


「でもね、改めて雪姫の笑顔を見て思ったんだ。元々、本当は良く笑う子だったんんだ。それが笑えなくなって。だから、担任の先生には、引き続き上川君との関わりを続けてもらえるようお願いしたんだ。でもね、こんな風に嬉しそうに笑う雪姫を、僕は今まで知らなかった。男親としての醜い嫉妬だと思って欲しい」


「いえ、そんな……」


「君がまず謝罪をしてくれたってことは、本当に雪姫を大切に考えてくれているってことだよね。それがよく分かったから。今日、僕は本当に君に対して失礼な態度をとったと思うんだけれど。でも、これからも雪姫のことをお願いできないかい?」


 お父さんが、頭を下げる。私は思わず、冬君を見る。冬君は狼狽して、でも気持ちを切り替えようと、大きく息を吸い込んだのが分かった。私は握っている手に少しだけ、力をこめる。


 目と目があって、二人は同時に笑みが溢れる。


「むしろ、こちらがお願いする立場だって思ってます。雪姫さんは、こっちに来て初めてできた、大切な友達なので」

「そんなゼロ距離のトモダチいるわけないじゃん」


 ボソリと呟く空を、私は睨んだ。慌てて、彼は目を逸らす。今、冗談言っている状況じゃないの分かって欲しい。


「だから、今回は俺の個人的な――友達から、友達へのお願いなんです」

「分かった。聞かせてもらって良いかな」


 お父さんが、冬君の真剣な眼差しを受け止めるように頷く。


「はい。実は俺、雪姫さんにずっとお返しをしたくて。友達として支えてもらっていたので。カフェオレを、雪姫さんに淹れてあげたいって思ったんです」

「うん」


「俺、喫茶店でアルバイトしていて。どうせなら最上の環境と、最高の品質で。雪姫さんに、俺の一番最初のお客さんになって欲しい。そう思ったんです」

「そうか……。ありがとう、上川君、でもそれは少し難しいんじゃないかな」


 私は唾を飲み込もうとして、喉がカラカラになっていることに気づいた。お父さんが言いたいことは分かる。冬君のおかげで、外に出ることができるようになった。でもお店となると、まだ少し勇気がわかなくて――怖いという気持ちが先にたつ。


「上川君が、雪姫のために色々支えくれていることは、聞いているよ。君が雪姫の過呼吸を抑えてくれていたこともね。でも、それは流石に――」


「ウチのマスターの厚意で、店を貸し切りにしました! 俺と、マスター、その奥さん。それから雪姫さんだけの空間です。もちろん、雪姫が過呼吸にならないように細心の注意を払います。無理はさせません! もしもそういう兆候が見られたら、すぐに戻るし、ご両親に連絡をします。それは絶対にお約束します。だからお願いします!」


 冬君が頭を再度、深々と下げた。

 気付いたら、私の視界が滲んで。冬君の顔を見たいのに、ボヤケて見えない。


「あなた、私は賛成するわよ。今までのリハビリから一歩踏み出すって考えたら、すごく良いと思う」


「あ、う、うん。そうだね……。いや、でも雪姫が泣い――」


「それとね。今思い出したんだけど、空の進路のことで話があるの。ちょっとリビング来て」

「え? 今?」


「(そこは気を利かせろよ、父ちゃん)俺モ進路ノコト相談シタイナ〜」

「え? え? だから今……?」


「(気が利かない!)いいから、大地さんはコッチに来る! 早く!」

「痛いって、春香さん。そんな引っ張らないで、行く、行くから!」


 そんな喧騒もどうでも良いくらいに、私の気持ちは暖かいモノで包まれていて。涙が止まらないのに、嬉しいって思うこの感情の正体は、いったい何なんだろう?


「……そりゃ嬉しいよね、ただカフェオレ淹れるんじゃなくて。お店で。その店のクオリティーを出そうって言うんでしょ? しかも貸し切りで。全部、姉ちゃんのためだもんな。普通、そんなことできないからね」


 空が小さく息をついて呟いて、リビングの方へ去っていった。


 あぁ、そうか。そうなんだ。この感情は。私、嬉しいんだ。今まで家族以外で、こんな風に自分のことを考えてプレゼントしてもらったことがなかったから。否定や非難の言葉ならたくさん投げられたけれど。


 でも冬君は違った。ストラップもそう。今回だってそう。

 自分の言葉が自然と、頭の中で再生されて。


 ――私ね、冬君。色々な目標ができたの。冬君と学校に行きたいとか。冬君にカフェオレご馳走になりたいとか。それからもう一つ増えたよ? 冬君と学校でお昼ご飯一緒に食べたい。

 その目標の一つが、こんなにも早く叶おうとしている。


「えっと、雪姫? あの、無理だったら本当に、またの機会で大丈夫だか――」

「無理じゃないよ」


 もう感情が抑えきれなかった。気付くと、私は冬君の胸に飛び込んでた。冬君の膝の上に乗るような勢いで。


「雪姫、危ないって、ちよっと、だ、大丈夫?」


 でも冬君は、しっかり私を受け止めて、抱きしめてくれていた。


「――嬉しかった。とても嬉しかったら……なんだか涙がとまらなくて。人間って嬉しくても、涙を流すだね。私、初めて知った」


 ぎゅっと冬君のワイシャツ掴む。私の涙で制服が濡れてしまった。でも気持ちが――衝動が抑えきれなくて――。


 と冬君が私の髪をそっと梳く。指先で優しく。美容院にも行けなくて。お母さんに切り揃えてもらう程度で。枝毛も多くて。全然綺麗じゃないし、可愛くない。それは自分が一番よく分かっている。


 でも――。

 冬君にこうしてもらう時間は、本当に気持ちが穏やかになる。外の世界が怖いと思う気持ちがあっても。その感情をあっさりと溶かしてくれる。


「無理はしないでよ。俺がワガママでお願いしただけだからさ」

「うん、冬君がいてくれるから大丈夫」


「あ……貸し切りって言っても、それはマスターの厚意だからね。俺が何をしたわけじゃなくて――」

「冬君が私のことを考えてくれた。それが私は、一番嬉しい」


「それは……。だって、雪姫は……。一番大切な、友達だから」

「うん。友達が一生懸命、考えてくれたんだもん。嬉しくないわけないじゃない? 本当に嬉しかったんだよ。冬君、ありがとう」

「うん……」


 冬君の照れ臭そうな声を聞きながら。

 冬君の温度に包まれながら。嬉しいという感情が、自分のなかから溢れてしまいそうで。嬉しくて。本当に嬉しくて。私は、これ以上もう何も考えられなかった――。




■■■



 私はベッドの上で膝を抱えながら、今日のことを思い返していた。無理に思い返さなくても、幸せな言葉が自然とフラッシュバックする。


 きっと自分でも信じられないくらい、溶けそうになっているのを自覚する。今も、自分の唇の端から自然と笑みがこぼれているから。


(――冬君があんなことを言うから)


 でも、嬉しくて。嬉しすぎて。嬉しいという感情が、本当に止まらなくて。

 と、コンコンとドアをノックする音がして。


「雪姫、入るよ?」


 とお母さんが声。今のこの顔を見られるのは恥ずかしいが、体調不良と心配される気がするので断ることはできない。


「うん、どうぞ」


 その返事を待って、お母さんが入って来たけど、私の顔を見るなり、ニッコリ微笑んでくる。


「な、なに?」

「いい顔してるって思っただけ。隣、座っても良い?」

「うん……」


 とん、とお母さんは私の隣に座る。ベッドがやや揺れる。その振動すら、私の感情を打ち消すことはできなかった。今も冬君の笑顔が目蓋の裏でチラついて離れない。


「上川君はステキな子ね」


 開口一番、お母さんからそんなことを言われると思っていなかったので、私の顔は熱く火照る。今日は本当に意識し過ぎて、感情をコントロールできない。


「……知っている。冬君は本当に素敵な人だもん」

「そうね。夏目先生にお願いして良かったと思うわ。上川君に継続して関わってもらうようにしたの、本当に正解」


「冬君は……。今は先生にお願いされなくても、来てくれている」

「それは見たら分かるわよ」


 ふふっとお母さんは微笑む。


「正直、安心したのよ。雪姫から聞いていたけど、直接会ったらね。納得したって言うか」

「納得?」


「雪姫のことをしっかり見てくれているって思ったの。雪姫も上川君のことしか見えてなかったけみたいだけどね」

「うー」


 距離、少し近かった自覚があるけれど。お母さんに改めてそう言われると、恥ずかしい。


「言っとくけど、距離ゼロだったからね。雪姫がどれだけ上川君のこと、す――」

「ちょっと、お母さん! 変なこと言わないで!」


 慌てて、言葉を打ち消す。それ以上、言われたらもっと意識してしまう。


 自分だって分かっている。この感情の意味ならイヤになるほど。だから、必死に飲み込んでいるのだ。冬君との関係が壊れてしまわないように。


「……分かった。雪姫は雪姫のペースで向き合えば良いと思うよ」


 そう言って、ポンポンと私の頭を撫でる。


「でも、嬉しかったんでしょう?」


 改めて、お母さんに言われて、私は小さく頷く。嬉しかった。こんな言葉じゃ、全然足りないくらい本当に嬉しくて。満たされて。今日は本当に幸せで。


 ――雪姫は……。一番大切な、友達だから。


 冬君の言葉が、頭からずっと離れない。

 私もあなたの一番でいたい。本当は、友達なんて枠じゃ満足できないくらい。あなたのことしか考えられなくて。


(――冬君があんなことを言うから)


 今日はこの感情を、蓋することがなかなかできそうになかった。

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