22 幼馴染は応援したい


 ベッドに体を投げ出して、ぼーっと天井を見つめた。


(ゆっき、あんな顔するんだなぁ)


 私は、上にゃんに見せる幼馴染の表情を思い出す。ゆっきが、私たちのことを気にかけてたのは、あの時の様子からも理解できた。でもそれ以上に、雪姫にとって上川冬希というクラスメートの存在が、本当に大きいことは、その顔を見れば理解できる。


 雪姫の意識はどうしても上川冬希に向いていて。どれだけ彼女のなかで、彼の存在が大きいのかイヤでも分かって。

 彼女が外に出られた。


 過呼吸がなかった。

 当たり前のように、私たちと話をして。

 ――全部、今まで当たり前じゃなくて。


(上にゃんは分かってないんだろうなぁ、これがどれだけスゴイことなのか)


 あ、また視界がぼやけてくる。

 気付いた時には、手遅れだったのだ。一番近くにいた幼馴染みが。雪姫の苦しみも辛さもも全く理解できなくて。


 雪姫を守りたい、そう思ったのに。

 直接会おうとすれば、体を震わせて――呼吸がとまりそうになって。


 それなら、電話だけでも。でも、結果は同じだった。

 この時、私は理解したのだ。


 どんなに想っていても、支えたいと思っていても、雪姫にとっての私たちは、異物にしか過ぎなくて。

 あの言葉がどれほど、雪姫を傷つけたのか。苦しめたのか。

 だから――。


(ゆっきとまた仲直りできるのなら、どんなことでもする。そう思っていたのに――)


 上川冬希は、あっさりとそれをやってのけた。

 ひかちゃんから、間接的に聞いていたけれど。

 あの雪姫の苦しそうな表情を思い出せば、そんなの不可能だと。そう思ってしまっていた。


(でも、あんな表情かお見せられちゃったらね)


 彼を前に、あんなに幸せそうな表情を雪姫は惜しげもなく溢して。

 彼は彼で、雪姫の表情を機敏に察して。どうしたら雪姫の精神状態が落ち着くのか、理解して。私たちがいても、躊躇なく行動ができて。


 彼は間違いなく、孤高な猫だ。友人とつるんで、右向け右の私たちとは違う。自分が感じた正しい行動を、雪姫のために実行できちゃう人なのだ。教室にいる時はいかにも気怠くて、第三者を拒否しようとする姿と、まるで正反対で。


 雪姫も雪姫だ。私がつけた愛称ニックネームに、明らかなヤキモチを妬いてみせて。ゆっきは知ってるじゃない。私が人にニックネームをつける理由を。この気持ちは変わってないし、他の――。

 とスマートフォンが着信を告げる。


 私は画面の表示を見て、目を疑ってしまった。

【下河雪姫】

 そう表示されていて。

 鳴り響く着信音。それがやけに現実感がなく、妙に無機質に感じていた。




■■■



「ゆっき、大丈夫なの?」


 開口一番のセリフが、何とも情けない。でもこれが現実だ。少しでも励ましてあげたい。ずっとそう思っていた。でも雪姫は、電話上ですら過呼吸になってしまった。それが、どうしても頭からこびりついて離れない。


「……うん。ごめんね、彩ちゃん。お守りあるから、大丈夫みた、い。今は――だけど」


 雪姫も自覚があるのか、ポツリポツリと慎重に言葉を紡いでいく。所々、ドモった感じになるのは、緊張の現れで。そこは変わってなくて。少し安心する。

 でも、気になるワードがあった。


「お守り?」

「あ、えっと。それは、その……。私が冬君にお礼がしたくて。お菓子を作ってあげたら、冬君が今度は『雪姫にもらってばかりだなって思って』って。『これならお守りにもなるかな』ってくれたのが、ストラップで」

「あぁ」


 なるほどね、と納得がいった。今日も雪姫が、ずっとスマートフォンを片手に握っていて。もう片方の手で上川君の手を離さないと言わんばかりに、触れるように握り合っていたのが印象的だった。


「ゆっき? 過呼吸が止まったのってさ、やっぱりかみにゃんのおかげ?」

「……そうだと思う。冬君がいたから外に出られたし、呼吸ができたのは確かかも。今日も何回か息が苦しくなるタイミングあったけど、冬君が支えてくれたから」

「そっか」


 すごいな、上川君。改めてそう思う。雪姫の両親がスクールカウンセラーや心療内科受診をチャレンジしようとしたのを私は知っている。でもそもそも、雪姫は外に出ようとした途端、過呼吸になってしまって。市の保健師が自宅を訪問をしても、結果は同様で。雪姫の両親は、色々試行錯誤をした。そのなかには精神科への入院も含まれていたけれど。


 だけれど結論は経過観察――時が解決するのを待つ、それしか選択できなかったのだ。

 その状況を上川君。君は、あっさり乗り越えてしまったわけなのよ。みんなが未だに夢を見ているような感覚に陥ってしまう理由。多分、君は理解できないだろうなって思うよ。


「それで、ゆっきは何か、私に大事な用事があったんじゃないの?」


 私から聞いてみた。しばしの間。そして大きな深呼吸。私は雪姫の言葉を待つ。


「……冬君にあの後、言われて。私、みんなの言葉をしっかり聞くことができなかったから。電話、できるようだったら。しっかり謝った方が良いよって。私、あの時、頭が真っ白になって、周りが見えていなくて」

「うん」

「彩ちゃん、ごめんなさい」

「気にしてないよ? だって、私はゆっきと久々に話ができて、本当に嬉しかったからね」


 本心から、私はそう言った。雪姫は嬉しそうに「ウン」と頷いて。

 それから、私は雪姫から、上川君のことを聞く。この短い期間に、彼が雪姫に差し伸べたたくさんのことを。


「……上にゃんが、オムライスを焦がした?」

「うん。でも、一生懸命作ってくれたから、私は嬉しくて。冬君はとても落ち込んじゃったんだけど」


 調理実習でも、他者には我関せずで、黙々と作る上川君が印象に残っている。いや、だいたいだ。教室では愛想笑い一つ見せないあの猫が、雪姫の前ではあんな笑顔を見せるのだ。私もひかちゃんも、何度目を疑ったことか。


 だいたい、彼が他者に干渉して――しかも女子高生の家でオムライスを作るというシチュエーションこそが、どうしても想像できない。

 それは、電話の向こう側で、きっと本当に嬉しそうに微笑んでいる雪姫自身にも言えるかもしれない。


「リハビリもね、ずっと私のことを気にかけてくれて。過呼吸でひどくなった時も、冬君が手を握ってくれたから落ち着いて。今でも不思議だなって思う」

「そうだね……」

 私も頷く。過呼吸の現場は、今まで何度も見てきた。その都度、自分たちの無力感を感じてきたのだ。




 ――海崎、黄島さん、ごめん悪いけれど、しばらく席を外してもらえないか?



 上川君は、そう言ったかと思えば、すぐに雪姫のために行動を起こして。

 手を握るどころじゃない。全身で、雪姫を包み込むように抱き締めて。その行動にまるで躊躇がなくて。


 私達が席を外す余裕もなかった。思わず見惚れてしまって。

 でも、上川くんが行動を起こした瞬間に、雪姫の呼吸は確かに少しずつ、落ち着いてきたのだ。


(すごいな)

 何度目だろう――何度でもそう思ってしまう。


「ゆっき? この後、ひかちゃんにも電話するの?」


 無理にならないだろうか。つい心配をしてしまう。


「彩ちゃん、ありがとう。本当は海崎君にも連絡して、直接言いたかったんだけど。冬君が『一度に無理しちゃダメだよ』って。冬君が連絡してくれるって言うから、今度会った時には、自分の口から言いたいって思うけど」

「へぇ……?」


 私は目を丸くした。同性なら良いけど異性は――って上川君、それヤキモチってヤツじゃない? 上川君なりに、かなり譲歩して、私なら良いって判断したってこと?


(へぇぇ、へぇ)


 思わずニヤついてしまうのを必死に抑えた。上川君の本心はともかく、雪姫は精一杯の勇気を振り絞ってこの電話をかけてくれたのは間違いない。これなら、余り茶化すべきではないのだが――ただ、これだけはどうしても聞きたかった。


「ゆっき? 上にゃんのことを大切な人って言ってたじゃない? それは今の話でも良分かったんだけれど。ゆっきにとっての大切な人の意味って、何なの?」

「そ、そ、それは……」


 ボッと擬音で表現できるくらい、今、雪姫の表情が真っ赤になっているのが想像できて、つい微笑んでしまう。


「友達っていう意味の大切な人なら。今後、上にゃんを好きになる女の子が出てくるとするじゃない? 彼が幸せになれるのならゆっきは応援してあげることができ――」

「それは絶対にイヤ!」


 お? と思った。ソコはハッキリ言うんだね?


「……分かってるもん。自分の気持ちが友情とか、友達とか、そういうカタチじゃ収まりきらないのは」

「ゆっき?」


 自分の感情を持て余してる段階だと思っていたけど、これはかなり自覚しているね。正直、そんな雪姫を見れたことに驚いている。


「でも――冬君は、私のことを心配してリハビリを協力してくれているから。それは良く分かっている。だから、私は中途半端な気持ちじゃダメだと思うし。冬君に応援してもらっている以上、やっぱり学校に行けるようになりたい。でも、その上で、私は冬君の一番になりたい。だから、今は私ができることをもっともっと頑張って――」


「ゆっき、分かったよ。分かった、分かったから」

「彩ちゃん?」


「上にゃんは、どうか分からないけど。雪姫の気持ちは、すごく伝わったよ。どれだけ上にゃんを大切に思っているのかもね。ゴメンね、イヤな質問をしたよね。ゆっきにとっての一番は、上にゃんの誰よりも一番なんだよね?」


「これが、好きって感情になるのか正直、分からないの。でも冬君が私に向けて笑ってくれるのと同じように、誰かに笑っているとしたら、それはイヤだって思っちゃって。一番冬君のことを知っているのは、一番近くにいるのは、一番、冬君のことを好きなのは私だって、誰にも負けたくないって――」

「分かってるよ」


 私は微笑みが隠せない。雪姫はきっとこの気持ちを飲み込むことに必死なんだと思う。たったこれだけの会話で、雪姫の感情は揺れ動いて、止まらなくなってしまって。


「だから上にゃんの名前の呼び方にこだわったんだよね? でも知っているでしょう。私がニックネームつけてあげる理由」

「それは、かいざ――」

「みなまで言わないでよ! 恥ずかしいじゃん!」


 この会話は私と雪姫だけだとわかっていても。今度は私の方が耳の先まで熱くなる。


「でも彩ちゃん、昔からそうだったもんね。うん、分かった。彩ちゃんのこと、できる範囲になるけど、私も応援するよ」

「私も、だよ。全力でゆっきを応援するからね。上にゃんの学校での様子、しっかり教えてあげるからね」


 ニンマリと笑む。

 男子の鈍感に付き合ってあげるほど、女の子は悠長に構えてなんかいられないからね?


(覚悟しとけよ、ってことだよ。上にゃん)


 雪姫を、ここまで本気にさせたんだから。「単なるボランティアでした」なんて絶対に言わせない。そう思いながら、それこそ無意味な心配だよね、苦笑が溢れる。単なる取り越し苦労でしかない。

 あの二人の姿を見てしまったら、イヤでも分かる。お互いがどれだけ大切に想っているのか、なんて。


 でもこの二人は【リハビリ】を理由に踏み出せないし、想いが溢れても飲み込むことに必死で。そうなった時の周囲の被害の方が甚大なのだ。だって、二人揃って自分の感情に無自覚だから。


(これで、自分達の気持ちを隠せているって思っているんだから、イヤになるって)


 今日の二人を見て思う。溢れた想いを無理やり蓋をしたらどうなるか。――蓋を突き破って、想いが自制できなくて。他者を巻き込みながら、きっと自分自身を傷つけてしまう。二人は優しいから、そんな未来しか見えてこない。


 特に上川君は、私達幼馴染チームに遠慮する様子があって。入り込めないと彼は思っている節があるけれど、現実は逆だからね。


 私達ができないことを上川君は、この短い期間でやり遂げてしまったのだ。

 だから、雪姫の背中を押してあげるぐらいのお節介があっても良い。それは私の仕事かな、って思ってしまう。


「ねぇ、ゆっき?」

「彩ちゃん?」

「早速なんだけど、一つ教えようか? 上にゃんの学校でのこと」

「え?」


 雪姫の言葉が一瞬、固まって。きっと予想していなかったに違いない。でも、その後の雪姫の反応に、むしろ私が目を丸くする。


「――知りたい! 知りたい! 彩ちゃん、教えて!!」


 おぉ? かなり前のめりじゃん。ちょっと、こういう雪姫は新鮮だ。今までだったら、本人がいないところでそんな話はフェアじゃない――雪姫ならそう言っていたはずで。今でもきっと内心はそう思っているはずなのだ。

 だからこそ、雪姫の背中を押してあげるのが私の役目。改めてそう思う。


「大切な人のことを知りたいって思う欲求は、みんなが持っている当たり前のことだし。決して悪いことじゃないよ。むしろ知らないと、始まらないから。だからゆっきの、知りたいって気持ちは大切にした方が良いからね」

「うん……ありがとう、彩ちゃん」


 電話の向こう側、この瞬間、雪姫はきっと満面の笑顔を浮かべているのが想像できて。見たいなぁ、その笑顔。純粋にそう思う。

 そして許せ、上川君。私は今から、雪姫に特大の爆弾を投げ放つからね。


「上にゃんの、今日のお昼ご飯なんだけどね――」




________________


上川君の本日のお昼ご飯(報告者:海〇光 高校2年生)

・ゼリー急速エネチャージ

・野菜ジュース

・雪姫の作ったチョコチップクッキー

以上。



【報告者コメント】

「ちょっと上川は栄養バランス以前の問題で、いつか倒れると思うんだよね。僕から見てもちょっと心配です。下河による早急の救済策が望まれます」

「雪姫って怒ったら怖かったよねー。知ーらないっと」

「煽った人が言うのもどうかと思うけど?」

「サポートはしっかりするから! 上にゃんの骨は拾ってあげようね、ひかちゃん」

「ひどいなぁ。許してよ、上川」

「「南無」」

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