18 君が教えてくれたとっておきの場所


 すーっ。


 二人で深呼吸するのが重なって。俺たちは思わず、苦笑が漏れた。

 手を出して、引っ込めて。でも、始めなければ何も進めることができないから意を決して手を――二人は同時に手をのばしていた。


「あ、あの……お願いします……」


 雪姫が恥ずかしそうに、俯く。でも上目遣いで。恐る恐る、すがるように俺を見ていた。妙にポカポカする。何で耳の端まで熱くなっているんだろう俺は。意識しすぎだ、そう言い聞かせる。


「あの、あれだよ? その無理はしなくても――。それと、息が苦しくなる手前でも、もちろん良くて――」


 雪姫は首を横に振った。そして、雪姫の方から手をのばす。


「……息が苦しくなるのはイヤ」

「そうだよな」


 暖かいその手の温もりを感じながら。俺の方の心臓が激しく打ち付けて、こっちが死んでしまいそうで。


(落ち着け、落ち着け、俺。)


 でも――。不思議なもので、鼓動は早い。ドキドキする。その一方で、雪姫の温もりを感じることで、落ち着いてる自分もいて。


 行こうも、そろそろどう? そんな言葉もなく、俺たちは歩み出していた。錯覚かもしれないが、何となく手を繋いでいると、意思が言葉を交わさなくても伝わる錯覚を憶えた。映画じゃあるまいし、そんなことあるはずが無いのに。


「それに誰でもこうしたいわけじゃない。冬君だから、だし」

「え?」

「何でもないよ」


 雪姫は前を向く。行こうと、そう意思を示しながら。ちょっとだけ、触れるように手を握っていた雪姫が、少しだけぐっと力をこめた。

 玄関を出る。庭を出て、公道を出る。時々、雪姫の表情を窺うが、今のところ呼吸苦は感じられなくて。


「ん。大丈夫、今は苦しくない」

「そっか。それなら良かった」

「うん、今日はすごく、体の調子が良いよ」


 俺は思わず微笑んだ。雪姫の手に力が入る。ありがとう、そう言われたような気がして。それが単なる思い込みかもしれないけれど。

 ちょっとだけ、握り返して、どういたしましてを気持ちにこめる。


 あっという間に、昨日の公園に来られた。


 この間、色々な人とすれ違った。小学生、中学生、主婦、高齢の男女。ウチの生徒とすれ違わなかったのは救いか。雪姫の呼吸を気にしながら、喉もと、胸、唇に目が行くのだが――意識すると顔がさらに熱くなる。


(いや、ヨコシマな気持ちでココにいるわけじゃない。そうじゃないんだ!)


 そう言い訳をする自分が何より邪だ、そう思ってしまう。唇、小さいなって思う。でも艶やかで。その唇から漏れる、一見弱そうに見えるけれど、自分の意思を見せてくれる、雪姫の声が俺は好きだ、ってつい思ってしまう。


 この好きは、どんな好きなんだろうか。思わず勘違いしてしまいそうになる。雪姫のそれは純粋な友達としての親愛だと思う。ただ、一般の友達関係に比べて、距離が近いなって思うのは、今までの背景を考えたら仕方がない。


 逆に俺は、ソコに付け込んじゃダメだと思う。

 俺自身も、折角つながったこの友達をそんな形で失いたくない。


「――冬君、あのね、冬君、冬君?」


 声をかけられていたことに気付いて、俺ははっとする。


「あ、ごめん、考え事してた」

「考えごと?」


 そんな唇に見惚れてたなんて言えるわけが――。

 かぁっと、雪姫は顔を真っ赤に染めた。


「あれ? 言葉に出てた?」

「うん、見惚れてたって……」


 どうも雪姫を前にすると、自分は本当に無自覚で。余裕がないとも言えるのか。俺ってこんなヤツだったんだなぁ、と自分ながらに驚く。故郷の幼馴染達が知ったら、どんな顔をするだろうか。多分――狐に化かされたような。そして異物を見るような目で見られんじゃないかと思う。


 ――あんた、本当に冬希?


 そう言われるのは、目に見えて。そうだよな、って自分でも思う。俺は今まで、誰かのために一所懸命になることなんてなかった。いつも幼馴染み達の後ろをついていくのが俺で。


 だから県外の高校に進学すると言った時、本気で心配されたのだ。親の仕事事情と、このままで良いのかという自問自答が噛み合った結果の進路だったけれど。

 と、また想い耽ってしまった。見ると、雪姫が少し――いや、かなり不満そうに俺を見ていた。若干、頬を膨らませながら。


「えっと、雪姫さん?」

「冬君の考えごとについて、私はどうこう言えないけれど」

「う、うん……」

「そのなかに私がいない気がした」


 はっとした俺は、まるで心臓を掴まれたような感覚になって。俺はバカか。心底そう思う。目の前の友達を蔑ろにして、故郷の幼馴染みに想いを馳せても仕方がない。

 俺は、目の前の雪姫に、しっかりと目を向けた。


「うん」


 雪姫の表情に笑顔が咲く。


「冬君が、やっと私を見てくれた」


 本当に嬉しそうに笑ってくれて。今は友達のリハビリに全力を注ぎたい。俺はそう思った。


「じゃ、冬君。今度こそ、私の話しを聞いてくれる?」


 え? って思った。ずっと雪姫は声をかけ、話しかけてくれていたのか。今さらながらに、自分は何をやっているんだろうと自己嫌悪してしまう。

 それに気付いたのか、雪姫は俺に微笑んでくれる。


「そんな顔しなくても大丈夫だよ。だって、今は冬君、私のことをしっかり見てくれているから。やっぱり嬉しい。冬君とお話できるのって」


 雪姫の笑顔がどんどん咲いていって。


「冬君と一緒に行きたい場所があるんだ」



■■■





 俺は雪姫に手を引かれるままに歩く。団地を抜けて、畑や田んぼが増えていって。雑木林の間を、雪姫は迷いなく抜けていく。春先だと言うのに、枯れ葉が道を埋め尽くして。


 俺は目を丸くした。


 さっきまでいた住宅街がウソのようで。

 アーチのように木々が生い茂る。森がこんなにも近い。


 朽ちた石畳がかろうじて、道を主張している。それもどんどん、緑に侵食されて。木の根が階段のように張って。

 雪姫は、器用にこの道を通っていく。むしろ俺が、バランスを崩しそうになって――。


「冬君、大丈夫?」


 むしろ雪姫に抱きしめられるように、受け止めてもらって。


「あ、うん……うん」


 近い、雪姫。きょ、距離が近いから。


「道はそんなに良くなくて、ごめんね。でも、あとちょっとだから」


 雪姫は微笑んで。今度は俺のペースを見ながら、進んでいく。

 くねくねとした道を抜けて。


 虫の音色。鳥のさえずり。風のささやき。

 まるで別世界のようで。

 真っ赤な鳥居が俺たちを待ちかまえていたかのように、そびえ立つ。


「もう少し、だよ」


 さすがに雪姫も疲れたのか、呼吸が荒い。でも苦しそう表情はなかったので、俺は彼女のしたいように任せた。

 寂れた神社の境内を抜けて。


 さらに階段を上がって。


 一段、一段。雪姫に手を引かれて。

 と――緑のカーテンが一気に引かれたかのように、その光景が眼下に飛び込んできた。


「すげぇ」


 思わず息を呑む。

 街を見下ろすように、空が目の前に広がった。そんな俺の表情を見て、雪姫は嬉しそうに笑う。

 まるで今、自分達は空中庭園にでもいるかのような錯覚すら憶えた。絶景――そんな言葉じゃ足りないくらい、俺は目の前の光景に飲まれていた。


「久々。ちょっと苦しかったけれど、なんとか来れた」


 この間も、雪姫は俺の手を離さない。


「呼吸が苦しい?」


 思わず雪姫の呼吸を確認しようと、俺は耳を傾ける。雪姫は気恥ずかしそうに、視線を逸した。心なし頬が紅いのは、長いこと歩いたからだと思う。全く、だいたい一気に無理をしすぎなのだ。


「ありがとう、冬君。呼吸は大丈夫。冬君のおかげ。苦しいのは、私が運動不足だから」

「無理してない?」

「してないよ。冬君に、ここからの景色を見て欲しかったんだもん。辛い時、寂しい時に、私はいつも一人でココに来てたから」

「秘密の場所……だったんだろう? 良いのか、俺に教えて?」

「冬君だからだよ。私のとっておきの場所を冬君に知って欲しかったの……友達に紹介したいって、それじゃダメかな?」


 俺は切り株に腰を掛けてた。ちょうど、二人が座れるサイズで。雪姫も隣に座る。目の前に広がる景色よりも、満面の笑顔の雪姫に目を奪われながら。


 無意識に、雪姫の髪を撫でて。

 雪姫は安心しきったように、俺に体を預けた。

 友達と言うには、少し距離が近すぎて。


 妙に意識してしまう、自分の邪な感情を封じることに俺は必死で。


 雪姫は、人との関わり方、距離感の保ち方が分からない。だからこそ、付け込むような感情を抱いたら絶対にダメで。自分の行動で雪姫を傷つけることだけはしたくない。心の底からそう思う。

 だから俺は雪姫の言葉を、まっすぐに受け止めた。


「ダメじゃない。嬉しいよ」


 それはウソ偽りない本当の気持ちで。雪姫は、俺に体を預けながら満面の笑みを浮かべる。自分を肯定された満足感――からなんだと思う。

 雪姫のことをもっと知りたいと思う気持ちと。あくまで雪姫が望むトモダチとしての関係を維持していきたいと思う気持ち。その両方が俺の中でぶつかり合うけれど。


 ただ雪姫に、もっと笑って欲しい。飾らないこの笑顔をもっともっと見たい。この感情だけは抑えることができなくて。貪欲だなって思う。それ以外の感情は蓋をするから、コレだけは許してもらっても良いだろうか?


雪姫ともだちが笑ってくれるって、こんなに嬉しいことなんだな」

「それ私もそう思ってた。冬君が笑ってくれるだけで、安心するし。すごく満たされるのを感じるから。冬君が友達で本当に良かった」


 雪姫が重ねた手に少し、力を入れたので。俺もその気持ちに応えたくて――俺もだよ、とそう気持ちをこめて握り返した。

 




■■■





「上川と雪姫――下河さん?」

「ゆっき?」


 制服の男女――一人は海崎で。俺は思わず目を丸くした。

 現実感が無いというのはこういうことか。まさか、こんなところで海崎に会うなんて。思いもよらない展開に、俺の思考は麻痺する。


 雪姫がビクンと体を震わせて、俺の背中を隠れようとするが、切り株に座っているので隠れられるはずもなく。結果、より密着して抱きつかれる格好になって。


 ただ、この瞬間、俺に迷いはなかった。

 雪姫の浅い――苦しそうさ呼吸を感じてしまったから。


 躊躇なく雪姫を引き寄せて、彼らから隠すように抱き締める。

 海崎と、もう一人――同学年と思われる制服の彼女は、そんな俺たちを見て、唖然として言葉を失っていた。

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