第35話 朝食は大切
シェパーズ・パイ。ローストビーフ。ベイクド・ポテト。フィッシュ&チップス。ミネストローネ。
トレーに溢れんばかりに並べたお気に入りの朝食を前に、「いただきます」と厳かに告げてエルトゥールは食べ始めた。
隣に座ったレベッカはその様子をぼんやりと見ていたが、しばらくの後、ハッと目を瞬いて言う。
「今日は朝からすごく食べるんですね!」
エルトゥールはスプーンを持つ手を止め、お茶を一口飲んでから、真面目くさった顔で頷く。
「食べないといけないと、思い知りました。私、最近なんだか弱気になっていたんです。たぶん、食べていなかったせいだと思います。お腹が空いてふらふらして、判断力が落ちていました。昨日も仕事で全然声が出てなかったし。こういうの、全部、食事を
「そうですね、最近の姫様、姫様にしては食べないなぁと思っていたんですけど……。それでも私よりはよほど食べていたので、そこまで心配していませんでした。やっぱり、少なかったんですね」
「私の血と肉と骨を維持するには足りなかったようです」
きっぱりと言って食事を再開しようとしたエルトゥールの目の前に、トレーが置かれる。お茶とパンだけの、慎ましくも寒々しくガラ空きのトレー。
ここのところ毎日目にしていたその組み合わせに、顔を見なくてもそれが誰のものかはすぐにわかる。
「おはようございます、エルトゥール姫。今日もお美しい」
古城への招待を断られた後も、何食わぬ様子でエルトゥールの周りに姿を現す侯爵家嫡男のセドリック。
エルトゥールはちらりと一瞥すると、きっぱりとした口調で言った。
「おはようございます。今日は私、食事に集中しようと思っています。会話をしている余裕はありません。向かい合って座っているのに無視する形になりますけれど、ご理解ください」
「ははぁ、たしかに。姫、それはさすがにおひとりで食べる量ではないのでは」
「いいえ。食べます。これが私の普通なんです。そして話しかけないでください。返事をしていると、一限目の授業に間に合わなくなります」
(私が最近食べなかったのって、このひとの無駄口に付き合っていたのもあると思う。話しかけられると食べきれないから、しぜんと食事量を減らすようになって……。朝も昼も。それだけでだいぶ心身不調になって滅入っていたんだから、セドリックの私語の罪は重い)
食べる時間は、食べることに集中させて欲しい。
その思いのままに食事をしようとしているのに、セドリックは引き下がらない。
「姫、我が家には腕の良いコックがいます。食事会の誘いを受けて頂けなかったのはとても残念です」
(うっ……。美味しいもので釣れると思われてる。お腹を空かせた苦学生だけど、王族なのに)
「終わった話を、蒸し返さないでください」
「失礼しました。ところで、姫。後で構いませんので、この書面に目を通してください」
あくまで爽やかな笑みを崩さず、セドリックは小さく折りたたんだ便箋のようなものを差し出してきて、エルトゥールのトレーにのせた。スープ皿の横から無理やり押し込むように。
エルトゥールは鋭い視線をセドリックに投げかける。
はかったようなタイミングで、セドリックはにっこりと抜群の笑みを浮かべた。
「前回は少し、下準備が足りなかったようで。今度は抜かりなく、姫に喜んでいただけるように趣向を凝らしています。断ることはできないと思います」
(嫌な言い回しをする)
確実に裏がある。
一度断られたことで、正攻法では無理と思い知り、それならばとなりふり構わなくなった者の言い分だ。
その本音を晒せば、エルトゥールとて当然警戒する。
それでも、今度は断ることはできないだろうと自信を見せている。
「わかりました。確認してお返事差し上げます。今は食事を続けます。これ以上話しかけてくるのはやめてください」
「そうですね。お邪魔みたいですので、私はこれで」
用件は済んだらしく、セドリックは席を立った。
トレーを片付けて食堂から出て行くのを確認して、エルトゥールはローストビーフにフォークを刺して口に運んだ。
「姫様。私、いまのは見過ごせません。その件、必ず私にもご相談ください」
口を挟まずに見ていたレベッカが、静かながらも憤りを滲ませた声で囁いた。
「うん。ありがとう、レベッカ」
気持ちは嬉しい、との思いでエルトゥールは返事をしたが、レベッカはさらに強い口調で念押しをする。
「絶対ですよ。前回のお誘いだって、もし姫様がお受けするようでしたら、私もついて行くつもりでした。私は成り上り商人の娘ですが、ティム商会を敵に回したくない貴族は少なくないです。たとえ侯爵様でも、私には手を出しにくいはず。私が同席するだけで少しは違います。姫様はもっと周りを頼っていいんです」
(「頼って」……)
同じことを、最近違うひとにも言われたな、と思い出しながら、エルトゥールは淡く微笑んで今一度言った。
「ありがとう。レベッカがいてくれて良かった」
* * *
「今日の姫様、食べてるね。何かいいことでもあったか、それともヤケなのか」
エルトゥールやレベッカとは離れた席に座りながら、遠目に確認したジャスティーンが感慨深げに呟いた。
そのまま、エルトゥールに負けないくらいトレーに各種料理を取り合わせているアーノルドに目を向ける。
周囲に人がいないのを確認し、小声で言った。
「アル、姫に何かしていないよな。思い余って押し倒したり、無理やり……」
「馬鹿なことを言うな、ジャスティーン。俺がそんなことをするわけがない。姫がいつも言っていることはもっともだし、俺もその意思を尊重している。指の一本も触れていない。言葉で惑わすこともない」
次々と料理を平らげながら、失礼な、とばかりに憤然と言うアーノルドを、ジャスティーンはまったく信用ならないという目でじっと見た。
それから、アーノルドの隣でもくもくと食事を続けていたマクシミリアンに視線を流す。
「どう思う?」
お茶のカップをトレーに置いてから、マクシミリアンは「どうでしょう」と曖昧に答えて、眼鏡のつるを指で押し上げた。
「殿下の場合は、たとえば『好き』とか『愛している』という直接的な表現を使わない限り、相手に思いを伝えていないと信じているところがありますから。わりと侮れないですよ、その辺」
「わかる。殿下、そういうところある。素で『一緒にいたい』とか『帰したくない』って言いそう。ね、言ってない?」
二人からの視線に気づき、アーノルドは黒い目を訝し気に細めた。
「『一緒にいたい』も『帰したくない』も『好き』とは違……、ん、違わないのか?」
突然はじまった自問自答に、ジャスティーンは天井を仰いで「はい、殿下、失格」と宣言した。
耳を傾けていたマクシミリアンも「これは完全に言ってますね」と見透かしたような発言をする。
反論せずに無言になったアーノルドの態度は、ほとんどそれを認めてしまっていた。
「殿下、頭は悪くないし、腹芸もできないわけじゃないのに、ときどきやばいくらいにストレートだから。育ちが良いって怖いなって思うんだけど、何せ王子様だから育ちは実際良いんだよね」
「殿下、くれぐれも言う相手を間違えませんように」
言われっぱなしのアーノルドはもそもそとパンをかじりつつ、食堂の出入り口へと視線を流した。
エルトゥールの席から追い払われたセドリックの後ろ姿を、目で追いかけていた。
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