第33話 二通の招待状

 仕事にも復帰し、授業にも出て学生生活にも慣れてきた、とある休日。

 エルトゥールの手元には、二通の招待状があった。


(ラッセル侯爵家と……、王家から)


 いずれも上質な紙の使われた封筒で、丁寧に封がされた状態。

 奇しくも同日、女子寮のエルトゥールの部屋まで届けられた。


 眺めていても仕方ないと中身を確認する。

 侯爵家からの招待は二週間後の休日。学友であるセドリックからの、茶会及び食事会の誘い。

 郊外の古城で、侯爵家の家族メインにごく内々に開催される肩肘張らない席であること、一泊二日の日程で送り迎え付き、ぜひ友人と誘い合わせてどうぞと書かれている。


 一方、王家からの誘いはといえば。


(国王陛下……!)


 日付は三か月以上先。王家の主だった面々が揃い踏み、「イルルカンナの王女の王宮訪問」として、報道機関にも通達するとある。

 それだけ「正式な場」を設けられてしまうと、エルトゥールも空手で出向くわけにもいかない。

 エルトゥール自身の衣装や、王宮への贈り物など、然るべき立場の人間と打ち合わせねばならないし、故郷から取り寄せなければならないものもある。

 その時間を考慮して、先の日程なのだろう。


(最近ようやく、シェラザードではアルと普通に話せるようになってましたが……。学校で私がアーノルド殿下を無視しているのは相変わらずなのに、まさかここまで本格的な席を用意してくるなんて。たしかに少し前に何か言っていましたけど、もっと具体的に教えてくれても良かったのでは?)


 足の怪我から復帰したその日「進めている」と宣言されて以来、しばらく音沙汰がなかった。あれはなんだったのだろうとか、どうなっているのだろうと気にはしていたが、いざ蓋を開けてみたら大ごとになっていた。


 エルトゥールとしては「やられた」という気分でいっぱいである。

 売り言葉を買ったとばかりに、国王の名前まで出されてしまっては、もはやひくにひけない。

 とはいえ、そちらはまだ三ヶ月も先のこと。


「差し当たり、侯爵家のお誘いですね……」


 自室ということもあり、ベッドの上でごろごろしながら何度も招待状を読み直す。

 やがて、埒が明かないと見切りをつけた。

 レベッカに相談しようと、立ち上がる。


(セドリック……。最近、学校で何かと話しかけてきて、気がつくといつも近くにいる。悪い人じゃないと思うし、私が残された期間で「結婚相手」を探すつもりなら、候補者として考えてもふさわしい相手だと頭ではわかるんだけど……)


 少し苦手。

 理屈ではなく。

 話しかけられると息苦しくて、つい目がアーノルドを探してしまう。

 

(上滑りの会話をしているくらいなら、アルと仕事の話でもしていた方が、よほど楽しい。セドリックのようなひと、私はあまり好きじゃない)


 エルトゥールは首を振って、部屋を横切りドアに向かう。


 * * *


 レベッカの部屋を訪ねてみたものの、不在。

 女子寮内をふらふらと歩いているうちに、寮生の食堂に行きついた。

 休日は終日開放されているが、学校の外に出ている生徒も多いので、利用者はぐっと少なくなる。

 人影もまばらの中、レベッカは数人とお茶を飲んでいるようだった。

 ジャスティーンと、リーズロッテに、ジェラさん。

 テーブルにつく前に自分のお茶も用意しよう、とエルトゥールはカウンターに向かった。


「おはよう」


 背後から声をかけられて、文字通り飛び上がる。


(最近、学校で接触してくることはなかったのに、なんで)


 戸惑いと警戒は顔に出ていたのだろう。

 アーノルドは苦笑しながら「届いた?」と気さくに聞いてきた。


「はい、招待状ですね。届きました。まさか国王陛下からとは思いませんでしたが。アルは本当に王子様だったんですね」


 言ってしまってから、学校なのにアルって呼んでしまったと後悔したが、アーノルドは気にした様子もなく、面白そうに目を輝かせた。


「全然動じてないところを見ると、エルがお姫様というのもどうやら本当らしい」

「十分動じていますよ。殿下主催の内々のお茶会くらいだと想定していました」


 侯爵家のように。

 そう心で続けて、エルトゥールはアーノルドを軽く睨みつける。

 その視線を受けて、アーノルドは生真面目な調子で答えた。


「それはまずいだろ。姫が気にしているように、俺には婚約者がいる。もしこの先俺が婚約を解消することになった場合、世間では姫がきっかけとなって俺が婚約を解消したとみなされるかもしれない。それは姫が望むところではない、だろ?」

「たしかに。あくまで、王宮への招待は殿下からではないと印象付ける必要があるわけですね」

「実際、姫が王宮に来てくれても、俺から個人的に接触する気はない。あくまでこれは陛下と姫の会談であり、俺は同席する王族の一人という位置付けだ。心細いなら、『学友』としてエスコートするのもやぶさかではないが」


 少しばかり挑発するような一言を付け加えられて、エルトゥールは言い返そうとするも、飲み込んだ。

 そのまま、溜息をついてしまう。


「……どうした? 本当に何か困っているなら、遠慮なく言ってくれ」

「そういうわけでは……。ただ、今の会話でよくわかってしまいました。『ご両親同席』『招待は本人から』『内々の小宴』という場合、貴族のとる方法としては、結婚への前準備の意味合いがあると考えるべきかもしれませんね」

「誰からだ。誘いがあったってことだな?」


 アーノルドの察しの良い問いかけに、エルトゥールは迷いつつ告げた。


「セドリックからです。郊外の城へ、一泊二日で招かれています。ちょうど今日、殿下と同じタイミングで招待状が届きました。文面に不審な点はありませんでしたが……。迂闊に受けると、何かもっと違うことを受諾したことになるのではないかと、不安になってきました」


 困惑のまま切々と言ってから、アーノルドを見上げる。

 心配げな黒瞳に見つめられていることに気付いて、エルトゥールはようやく我に返った。


(気をつけていたのに、普通に話してしまいました。アルとアーノルド殿下が同一人物だから、つい)


 学校では絶縁状態で無視をし続けてきたのに、会話ついでに話す気もなかったことまで、打ち明けてしまった。


「その誘いは絶対に受けるな。ラッセル侯爵は『魔法』マニアの噂があるし、セドリックから姫への執着も目に余る。裏があるに決まっている。既成事実を作られてあることないこと吹聴されてからでは遅い」


「はい。いま殿下と話してよくわかりました。私もその件については同じ考えです」


 誰かに聞かれても、事務的な話をしていると受け取られるように。

 学友としての一線を引いた付き合いに見えるように。

 エルトゥールとしては最大限努力をしているつもりなのに、エルトゥールの正面に行く手を塞ぐように立ったアーノルドは、厳しさすら漂わせる声で言った。


「もし断り切れなかったり、身の危険を感じるようなことがあったら、俺を頼れよ。何を置いても駆けつけるから」

「殿下……、殿下の誠意は痛いほどわかりますが、それはジャスティーン様に第一に向けられるべきものです。相手を間違えています。失礼」


 会話を打ち切って、エルトゥールは一目散に食堂を飛び出した。

 遠くでレベッカが名を呼んでいた気がしたが、どうしてもそこには近づけない。


(ジャスティーン様の顔を見られない。最低だ、私)


 アーノルドに「何を置いても駆けつける」と言われて見つめ合った瞬間、不思議な高揚感があった。

 それは、抱いてはいけない思いだ。育ち切る前に、枯らすべきもの。


(他に目を向けなければ。アーノルド殿下ばかり見ているからこんなことになる。さっきはああ言ったけれど、たとえば侯爵家の誘い。受けてみれば、案外悪くないかもしれない……)


 闇雲に自分の部屋まで引き返す。

 ドアを閉めたところで、エルトゥールはその場に崩れ落ちて、感情の高ぶりを抑えきれずに少しだけ泣いた。

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