第二章

第15話 聖女さま(小さい)

(眠い)


 カフェ店員として二日目の仕事もなんとか終えて、深夜。

 アーノルドと学校まで帰ってきて、無事に女子寮にたどり着いた。

 レベッカに手引きしてもらって部屋に戻り、温泉があるおかげで湯は使い放題の風呂を使って、倒れて寝た。

 迎えた朝。

 とにかく眠い。


「姫様、大丈夫ですか? 早くも疲れが出ていませんか?」

「大丈夫大丈夫。食事をすれば目が覚める」


 本当は体がバッキバキな上に、瞼が重くて今にも持ち上がらなくなりそうであったが、エルトゥールはやせ我慢をしつつレベッカに答えて食堂に向かった。


「疲れているというより、眠いんです。でも、レベッカも眠いですよね。意味なく遅くまで起きていないといけなくて……。もう少し何か工夫が必要です。私一人で、夜も出入りできるようにしないと」

「そこは姫様が考えるところではないです。私はお待ちしているのが苦ではありませんし、あんな時間までお仕事をなさっている姫様に比べたら、全然何もしていないようなものです」


(レベッカは、ものすごく性格が良いです。迷惑かけたくないんですが……)


 成り行きで世話係のように尽くしてくれているが、自分の問題に巻き込んでしまっているだけに、エルトゥールとしては心苦しい。

 男子寮のアーノルドがどこかから出入りできているのならば、自分も女子寮で同じことはできないだろうか。


(わからないことを、一人で考えていても仕方ない、か。まずはアーノルド殿下に聞いてみよう。女子寮のことはわからないかもしれないけど、何か抜け道があるかもしれない)


 そこまで考えて、はっと思い出したのはジャスティーンの存在。

 なんの抵抗もなさそうに男子寮に現れたジャスティーンならば、或いは。どちらの寮の事情にも通じている可能性がある。

 とはいえ、どう聞くかは悩むところだ。


(そもそも、ジャスティーン様が男子寮のアーノルド様の部屋を把握していて、よく来ている様子だったのは……、裸を見ても動揺しないし……。普段から逢引をなさっているのでは)


 想像するのはやめようと、自分に言い聞かせる。

 婚約者である二人がどこでどんな風に逢引をしていたとしても、世間から後ろ指をさされるような関係ではないのだから、構わないはずだ。

 まったく無関係の自分がアーノルドのベッドで朝を迎えた方が、倫理上の大問題のはず。


 レベッカと連れ立って食堂の入り口まで来たとき、ふと目の前を小さな女の子が歩いていることに気付いた。

 食堂の重いドアが閉まっていて、「うぅぅ……」と呻きながら開けようとしている。

 追いついたエルトゥールは、レベッカより先に後ろから手を伸ばして、そのドアを押し開いた。


「どうぞ」


 はっと女の子が顔を上げる。

 長く、背に流している髪は、黒にも群青にも見える不思議な色合い。光の加減で変わる。

 瞳は深緑。宝石のように輝いて、エルトゥールの顔を見ていた。

 目が合うと、表情がさっと強張る。何も言わずに背を向けて、食堂の中にさっさと入って行ってしまった。


(十歳くらいか、もっと小さいかな。学校関係者の子ども? それとも、とびきり優秀で飛び級している?)


 制服ではなく、白くてふんわりとしたドレスを身に着けていた。幼いながら整った顔立ちはひどく印象的で、成長したらさぞや美人に違いない、と感心してしまう。


「今の方は、リーズロッテ様です。ジャスティーン様の従姉妹で『聖女』の」

「聖女!?」


 レベッカが親切に説明をしてくれたが、突然出て来た言葉にびっくりしてエルトゥールは聞き返した。

 その反応をどう思ったのか、レベッカは何やら焦った様子で「驚かせてしまって、申し訳ありません」と言った。「私こそごめんね、謝らなくても大丈夫。聞き馴染みのない単語だったから」と言い訳をしながら、視線を感じたエルトゥールは辺りを見回す。

 険しい顔つきで睨みつけてきている、リーズロッテの凍てついた瞳に行きついてしまう。冷ややかだが、いまにも泣いてしまいそうな表情にも見えた。


(何かが気に障った? 謝ってきたほうがいい?)

 

 迷っていたところで、ふっと手に感じていた重みが軽くなる。


「姫、ドアをずっと押さえてどうしました。食事に来たのでは?」


 聞き覚えのある声。

 すぐそばに立って、エルトゥールに代わってドアをおさえていたのはアーノルド。

 目が合うと、にこっと笑う。


「おはようございます。今朝の目覚めはいかがでしたか」

「おはようございます。無難です」

「無難?」


 咄嗟に適当な返しが思いつかず、本音で言ってしまったエルトゥール。その目の前で、アーノルドは楽し気に笑い声を響かせた。


「そんなに笑わなくても」

「失礼。そういうときは、『とても良いです』とか『あなたに会えて心が弾んでいます』と言うのではないかと思って」

「言わないですね。そういう、歯の浮くようなセリフは、出てきません」


 アーノルドのそばには、眼鏡のマクシミリアンとともにジャスティーンもいる。エルトゥールと目が合うと「おはようございます、姫君」と麗しのハスキーボイスで言いながら片目を瞑ってきた。

 今日も大輪の花を背負ったかのような美貌は健在。


(こんなうつくしい婚約者連れの男性に、お世辞でも「会えて嬉しい」みたいなこと、言えません)


 学校ではいちいち絡まないで欲しい、と思いながら歩き出す。

 それなのに、当然のように食事を選ぶカウンターまでアーノルド一行が一緒で、テーブルでも向かい合って座ることになった。

 他国の王族が編入してきたということで、同学年に在籍している以上アーノルドが気を遣うのは当然ということかもしれないが、周囲からの注目度が段違いに上がる。エルトゥールとしては複雑な心境だった。

 そんな心中など知らぬように、アーノルドが何気なく話し始めた。


「先程食堂の入口で見かけたリーズロッテ嬢ですが。見た目が子どもでびっくりしたかもしれませんが、年齢はあれで十五歳です。成長が止まっているんです」

「そうなんですか……」


 うまい相槌が思いつかずにエルトゥールはそう言うにとどめた。

 リーズロッテは、声は届かない程度に離れたところで、ひとりで食事をしている。


「我が国には『聖女伝説』がありますが、リズは生まれたときに『聖女』の素質があると複数の魔導士から断定されました。魔力を持って生まれた子どもなんです」


 スープにスプーンを差し入れていたエルトゥールは、手を止めて向き合って座ったアーノルドを見る。


「実際に、現代人としては類を見ないほど強い魔力があるとされています。それ自体は事実のようなのですが、その魔力をうまく扱えないようで、魔法として使うことはできません。そのせいかわかりませんが、何か内側で誤作動を起こしているらしく、七~八歳くらいで外見の成長が止まって、そのままです」


「魔力の誤作動……? 不老不死に特化した魔力なのでしょうか?」


 エルトゥールは神妙な面持ちで問い返した。

 アーノルドは、一瞬瞳に鋭い光を走らせたが、すぐに「わかりません」とさりげない口調で答えた。


「いかに『聖女』の素質があるとはいえ、魔法が使えないので、この話はそこまでです。年齢も年齢なので、ふつうに学生としてこの学校に入学しました。今後は、魔法学の研究に関わるでしょうが……。家族に家に閉じ込められていて、年齢から考えても、あまり人馴れしていないんです」


 アーノルドが言い淀んだことを引き継ぐように、ジャスティーンが笑顔で口を開く。


「意地っ張りで素直じゃない性格で、周りとうまくやっていけるか心配なんですよ。学年は違いますが、普段は私たちと同じく女子寮で過ごします。今後、何かと顔を合わせることもあるかと思いますが、見かけた際には、ぜひ仲良くしてくださいね」


 少しキツイ性格ですけど、悪い子じゃないんです、と言い添えて。

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