2-2 初恋の人

彼の目には、屏風の横から赤い布団が見えているようだ。

「これは、…どういうことなのでしょうか」

扉に背が付くまで後ずさると、そう言った。


彼、そうは、千慧里の幼い頃の遊び相手のひとりだった。

母妃の侍女の産んだ子で、一つ上だったので、彼が六歳で男子の学び舎に入るまで、いつも宮殿の中で一緒に遊んでいた。

他にも何人かそう言う子がいたが、宗伽は妹のように千慧里を大事にしてくれたので、千慧里も何となく特別な存在に思っていた。


ただ、この国では六歳を過ぎると、男女の行く末がはっきりと別れていく。

そうしてほとんど逢う機会もなくなっていたが、彼は二年前に官吏として召し抱えられ、母妃の館で仕事をするようになった。


彼が初めて出廷した日、母妃の御殿で、千慧里は久しぶりに彼を目にした。

いつも自分をかばってくれていた男児は、背も伸び肩幅も広くなり、すっかり大人の男になっていた。

「姫さま、お久しぶりにお目にかかります」と、大人の男の声で堂々と言われたとき、なぜか胸が熱くなった。


その時はすでに、暁映国へ嫁ぐことが決まっていたので、それ以上、何も思うことはなかったのだが、昨年、彼が妻をめとったと聞いたときに再来した胸の痛みは、彼女の淡い恋心を認識させた。


「宗伽、こちらへ」

千慧里は立ち上がり、扉の前で這いつくらんばかりに縮こまっている彼に近寄ってその手を取ると、小さな卓の前に座らせた。

自分に起こったことに動揺している彼に任せておいたら、今夜のはかりごとは叶わない、と気づいた彼女は、自分も策士になるしかない、と思ったのだ。


前にあるふたつの杯に酒を満たし、ひとつを彼に持たせる。

そして自分の杯を持ち上げ、彼の目を見ながら飲み干した。


自分もそれに倣わないといけないと思った宗伽も、その杯に口を付け、酒を飲み干した。

千慧里はその杯にもう一度酒を満たし、自分の杯にも注ぐと、もう一度それを口に運ぶ。

それを見ると、彼も同じように杯を空けた。


彼の手から杯を取って卓に置くと、思い切ってその首に両腕を回し、彼の胸の中へ倒れ込んだ。

彼の膝の上に身体をもたせかけ、下から顔を見上げる。

彼女の身体をとっさに支えた自分の手を、彼女の身体から離し、「申し訳ありません」と触れたことをわびる宗伽に「いいのよ」と言うように頷いてみせる。


千慧里は下着には見えないものの、寝間着代わりの薄物を着ているだけで、触れば女人じょにんの身体を感じることができたはずだ。


「私はもうすぐ他国へ嫁ぐ。見たこともない男の妻になるのよ」


この男は酒を飲んでも赤くならないのか、見た目にはいつもとそれほど変らない。

むしろ青ざめているように見えるが、目はかなり赤く潤んでいる。

ここに来る前に、それなりに呑まされたらしい。


「そこで私が求められていることは、その男の皇子みこを産むこと。それだけ」

彼の目を覗き込むようにして、

「可哀想だと思わない?」


彼は酒のせいもあってか、素直に頷いてしまった。実際、そう思っていたからだ。

「今夜のことは、計画されていたことなの。母上もご存じだわ」


「なぜ、私なのでしょうか」

「私があなたを選んだから」


そういうと、彼は驚いたように千慧里を見た。

「どうやら、あなたが私の初恋の人らしいわ」

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