暁天清々~人は愛によって生きる意味を知る

平塚千彬

序章 強弓

 その日、迎賓館に隣国からの一団が挨拶に訪れていた。


 険しい岑剛しんごん山の裾野に広がる小さな王国『暁映ぎょうえい』。

 その国の王であるわん氏には、正妻の他に二人の側室があり、皇子が二人と王女が一人。

 正妻には息子一人だけしかなく、その子は生まれた時から皇太子として、大事に育てられていた。


 その皇太子・明煌めいこうは一週間後、十六歳の誕生日を迎え、元服式と同時に正妻を迎えることになっていた。

 正妻となる隣国の『頼静らいせい』からの使者は、結婚の貢ぎ物を持って、花嫁より一週間早く入国し、国王夫妻と皇太子へ挨拶するとともに、式の次第を整える役目を負う外交大臣の一行だった。


 暁映国は頼静と冬月とうげつという二つの国に国境を接しており、五十年ほど前まで三国は領土争いという名の戦を繰り広げていたが、混乱の最中、その外側の国から攻め入れられたことをきっかけに和解が成立した。

 それ以来、三国の王はそれぞれの王女を双方へ輿入れさせ、婚姻という名の人質を取ることで、平和的関係を維持するようになった。

 すでに暁映からは、側室が生んだ王女が冬月へ嫁いでおり、今回は頼静の姫を皇太子が娶ることになったのである。


 迎賓館の中央上段に置かれた玉座に父王が座り、段の下左側に王妃と息子である明煌が、それぞれの側近を背後に従えて座っていた。

 頼静の外交大臣は、背後に貢物の入ったたくさんのはこを置き、玉座の下から祝いの言葉を述べると、国への貢物のほかに、王への献上品である玉杯と酒、王妃への絹織物を、配下の者に出させて見せた。


「太子様にはこちらを」

 そう言って、明煌の前で彼が取り出したのは、金の箔を押し、赤や銀糸の装飾が美しい弓矢だ。

「当国は狩猟が盛んでありますれば、これは飾り物ではなく、実用にも使える仕様になっております」

 弓は装飾が映えるよう幅広に作られ、矢が通る部分は少し細くなっているが補強されており、弦は植物ではなく海の大きな生き物の髭を使って作られているという。


「どうぞ、お手にとってご覧ください」

 そういわれ、明煌が父王の方を見ると、触ってみよ、という顔で頷いたので、彼は立ち上がって頼静の使者の近くに行った。

 父王に向かって構える訳にはいかないが、それでも様子が見えるよう入口の方に向かって斜めに立つと、使者が弓を手渡した。

 動物を射るという道具にはふさわしくない金の箔が、手のかかった代物であることをうかがわせる。


 装飾のせいか、幅広の弓はそれだけでもかなりな重量で、次いで手渡された矢も、彼が触ったことのない太さがあり、

「かなり大きな猪や熊なども、一矢でしとめることができます」

 と使者が自慢するほどの強固さだ。


 実のところ、明煌はそれほど弓を練習したことがなかった。

 もともと外で身体を動かすより、おとなしく室内にいたい性格である上、重いものを持つ必要のない身分である。

 弓を引くには両腕に腕力が必要で、過去に何度かやってみたが上手に曳き絞れず、あまり好きになれなかった。

 それに、皇太子自身が武芸者である必要はない。護衛が常に周りにいるので、最低限の剣の扱いができれば良いのだ。


 それでも彼は、外国の一団が見ている前でそんな態度は見せられず、一応、弓を曳く真似くらいはしなければ、と思った。

 矢をつがえて、少しだけ曳き絞り、格好だけ見せればよい、そう思って下向きで矢をつがえて、曳きながら身体を起こした。


 その時、ひゅっと音がして、矢が飛んだ。

 力加減が分からなかったのと、弓矢の形状が大きすぎて、彼の手には扱いきれなかったのだ。


「あっ!」

 その場にいた全員が、飛んだ矢の方向を見た。

 建物の壁際に並んで、いつでも指示が受けられるよう待機していた宮女の列に矢は飛び込んだ。

 そのうちの一人の左肩に、矢が刺さっていた。

 周りにいた兵士が慌てて彼女の元へ飛んでいき、あっという間に宮殿の外へと連れ出した。


 一瞬でその姿が見えなくなると、迎賓館の中は静まり返った。

 どうしていいのか途方にくれていた明煌の元に、彼の護衛である月桂げっけいが近寄り、そっと弓を受け取ってくれた。

 月桂は先ほど、使者が弓を取り出した函に戻すと蓋を閉じ、明煌の元へ戻ると、彼の背中を押して、元の椅子へと導いた。


「良きものをいただいた。太子に代わって礼を言う」

 父王は何事もなかったかのようにそう言うと、

「それでは、婚姻の儀がつつがなく行えるよう、準備を進めてくれ」。

 それで謁見が終了し、先に訪問団が退席すると、父王と母妃は護衛とお付きの者たちを引き連れて王宮へと戻っていった。

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