1章 5.私は虹の橋で、絶叫する。

「次の方どうぞ!」

  

 書店内に明るいスタッフの声が響く。私はいつものようにずらっと並ぶ『エンジェラー』達に慣れた手つきでサインをし、握手をして少しの間おしゃべりをする。


「わ~良太さん、いつもありがとうございます~。ビガーサイトでの握手会も来てくれてましたよね~」

「え!? 覚えてるんですか!?」

「もちろんです~ 今日も爽やかで素敵です~」


 実は私には隠されたすんばらしい特殊能力がある。それは一度会った人の顔と名前を忘れない、という能力だ。このおかげで今のアイドルの地位を築けたと言っても過言ではない。このお陰で猛烈な熱狂ファンを作り、皆を喜ばせているからな。そんなエンジェラー達に今日も名前付きで写真集の表紙にサインを書き、ミカエルスマイルで渡せばもう心臓鷲掴みってもんだ。


「わ~本物のまこちゃんだ~」


 次に現れたのは、タレ目でおっとりしていそうなボブカットのミニマム女子だった。初対面の子だ。同世代だろうか。はっきりいって珍しい。女子が来るのは。なんてったって私は女の敵みたいなもんだからな。


「ふふっ、もちろん本物ですよ~」

「テレビで見るよりもっともっと可愛い~」


 あ、この子は純粋無垢っていう奴だな。くりくりっとした真っ直ぐな瞳で私を見て心から笑っている。まるで今の自分とそっくりだ。まー私は偽りだけどな!そんな風に微笑み笑いかけてくるこの子は自分のように偽っていないのが分かる。なぜなら同じ女だからな。匂いで分かる。


「ありがとうございます~。サインにお名前を書きたいので教えていただけますか~?」

「ん~~、ん~~」


 どうした? 名前を言いたくないのか?

 斜め上の天井を見つめながら腕を組んですんごい可愛く考えてるんだが。


「名前無しでも大丈……」

隆斗りゅうと!!」

「りゅうと?」

「はい! 隆斗でお願いします~」


 この子が『りゅうと』という名前でないことは私でも分かるぞ。ああ、そうか、誰かの代わりに来てるってことだな。


「はいっ! どうぞ~」

「わぁ~! 嬉しい~」


 ご機嫌なそのミニマム女子と最後に握手を交わし、にこにこで彼女は帰っていった。友人か兄妹か知らないがあんな純粋な女の子が近くにいる奴って幸せだよな。


 ――


「終わったーー!!」

「お疲れさまでした」

 

 水戸の声を合図にしたかのように、書店の控え室で思いっきり背伸びをした。

 相変わらずサイン会の後は顔がぴくぴくと痙攣している。今日も表情筋は鍛えられたってわけだ。だが私は今わくわくしている。なんてたって明日は久々の終日休みなのだ!弟と妹に美味しいご飯を作って、思う存分小説の執筆をするぞ!私は今俄然やる気に満ちている。なぜなら自作物語に初めてのコメントをもらったからだ!!


「ひゃっほーー!! やったるでい!!」

「なぜ関西弁なのでしょうか」

「いや、勢いだ、勢い」


 いつものように無表情の水戸に突っ込みを入れられながら朝着てきた毛玉付きスウェットに着替える。あ、水戸は男性と付き合ってるし、ゲイだし、人前で着替えるのは仕事柄慣れてるし、いつものことだ。

 

 すると、水戸のスマホから着信音が響いた。


「はい、水戸です。社長お疲れ様です」


 社長からか。なんか嫌な予感がするんだが。


「はい、ええ、そうですが。明日ですか……」


 ちょっと待て。『明日』というキーワード。完全に嫌な予感がする……!


「おい、水戸、明日はダメだ、ダメだって!」


 必死に抵抗しようと水戸へ詰め寄り発言する。


「社長、ですが……」


 こうなったら直談判だ! 水戸のスマホをぶんどり、大声で叫ぶ。


「社長! 明日はダメですって!」

「まこちゃん~そんなこと言わないでよ~。明日お母さん退院するんでしょ? 前みたいに仕事たくさん入れるでしょ? お金稼がないといけないんだよね~? アイドルの寿命は短いよ~?」

「うっ……」


 そんなこと分かってる、だけど、だけどっ……


「でもっ……明日は久々の休みで……」

「いいの~? 先方の要望を一度断ればもう呼ばれないかもよ~それでもいいの~?」

「うっ……」


 アイドルの寿命は短い。それに旬が過ぎるとお茶の間はあっという間に見向きもしなくなる。分かっている。今が稼ぎ時ってことは。


「まこちゃん、家族のためでしょ~?」


 社長というおっさんが甘えるような声を出し続け、現実を突き付けてくる。


「……分かりました。あとは水戸にお願いします」


 ねっとりした声を耳から引きはがし、黙ってスマホを水戸に手渡したら、水戸は少し困惑した表情を見せていた。


「……はい、……はい、かしこまりました」


 水戸は社長との電話を終え、私を静かに見つめてきた。


「明日はプジテレビでバラエティ番組の収録です。9時にお迎えに上がります」

「……分かった」


 結局は自分自身が最後に判断したんだ。小説をどんなに書いたって家族とどんなに笑って過ごしても一銭にもならないのは事実だ。これは家族のためであり、自分のためでもあるんだ。だが、なんだこの痛々しい不甲斐ない気持ちは。


 書店の裏口から出て、青い春の光を浴びながら水戸の車へ乗り込んだ。書店のスタッフ達に笑顔で見送られ、私はいつものミカエルスマイルでお返ししながら会釈をし、ゆっくりと手を降る。


 帰宅の道中、レインボーブリッジに差し掛かった。そんなお台場の海に目をやると、地平線と共にキラキラと輝く太陽が目に入る。あんな風に私はいつも堂々と輝けないじゃないか。こんなにたくさん表舞台には出ているのに。なんだこの矛盾と虚しさは。全て偽りで固めてるじゃないかこのやろう。心底情けないじゃないかこのやろう。ふつふつと怒りが込み上げてくるぞこのやろう……!!

 

 窓のボタンを力強く押し込んだ。窓がゆっくりと開く。遅い、遅いぞ! もっと速く開け!!


 全開まで開くか開かないかの時点で我慢できなくなり、激しい向かい風に声をぶつけるように思いっきりふっとい声で外に向かって叫んだ。


「どあふぉーーーー!!!!」


 もちろん誰もいないと思ってたんだ。

 だって、ここいつも人歩いてないし。

 

 が、私の動体視力を試すかのような車のスピード越しにヤツと目があった。


 何かおぞましいモノを見たかのように、口をあんぐりと開けた同じクラスの男とな……。

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