第26話快楽と箍
地中から黒く大きなものが飛び出す。ノアが斬り捨てたものを良く見れば、表面は湿り気を帯びて巨大なミミズのような魔物だった。
道らしきものはないにも関わらず、彼は時折現れる魔物を倒しながら迷わず進む。話を聞くと、十代の頃に一度腕試しに訪れたことがあるという。
ガサガサと草木を掻き分ける音が後ろの方でして、彼が私の背中を押すようにして木の裏に回る、と同時に口を手で塞ぐようにされる。
「どうやら追っ手のようだ」
小さな声を私の耳に吹き込み、ノアが様子を窺っている。
こんなところまで捜しに来たことに驚いたが、それよりも気になることがある。
木に背を押し付けられるようにしている私のすぐ目の前に彼の鎖骨があった。息遣いに合わせて上下する胸、微かな汗の匂いに、乱れていた彼のことを思い出す。それに昨夜私の体に回された逞しい腕の感触を。
ドキドキと心臓がうるさい。無性に触れたくなってしまい自分の服の裾を握りしめる。
「マナ」
「むぐ!」
ビクッとしてしまったが、彼は追っ手に集中していて気に留めなかった。
「相手にするには人数が多い。気付かれないように離れよう」
こくこくと頷き彼に手を引かれて足音を立てないように歩く。追っ手は私達とは違う方向へと行ったようだった。背の高い草木を分けて進むと、雨露が弾けて腕や足を濡らした。
小さな虫のような魔物が飛んでくることもあったが、その度に彼が薙ぎ払ってくれた。
足場の悪いそこを抜けたと思ったら、私達の前には川が横切っていた。
「本来は跨いで渡れるほどの小川なのだが、雨のせいか」
灰色の水が大量に流れる川は渡るのは困難だと思われた。このままなら。
「仕方ない、遠回りだが迂回しよう」
「ノア、大丈夫だよ。私が」
彼の袖を引っ張ってそう言った時。こちらを向いたノアが、いきなり私を突き飛ばしたのだ。
「ぐ!」
訳が分からず尻餅を付いた私が次に見たのは、胸に矢が刺さって片膝をつくノアの姿だった。
「あ………」
バシュッと、今度は私の耳にも風切り音は聴こえた。
私の前に躍り出たノアが剣で矢を切り落とした。
「マナを、なぜ狙う、『鷹』!」
切れ切れにノアが叫んで、彼の視線の先を目で追うと弓を構えたジベルが草地に立っていた。
「私は貴様を狙ったまでのこと。『紅蓮の盾』は自らに向けられた攻撃はものともしないが、誰かの盾にならざるをえなくなった時は隙が出やすい。『盾』、貴様は昔も今も同じのようだ」
つまり庇うことを想定して私を狙ったというのか。
黒い軍服を着たジベルの背後からは先ほどの追っ手が控えていた。私達がこの森を通ることも想定していたのだろう。
最初のイメージがアレだったので、まさかここに来て彼と出くわすとは思いもしなかった。
この男、計算高く遠くからでも標的を定める様は確かに『鷹』だ。ここまで追ってきた執念深さは蛇っぽいけど。
再び放たれた矢は、今度はノアに向けられていた。片手だけに剣を持ちそれを防いだ彼だったが、直後に咳込み血を吐いた。
「ノア!」
射された部位は肺の辺りだろうか。駆け寄って支えようとすれば、青色の服に広がっていく赤い染みを見てサアアと血の気が引く。これは危険だと私でも予測がついた。肩を貸すと、彼はやっとのことで立ち上がった。
「早く、早く治療しなきゃ」
「諦めろ、マナ」
薄く目を開けて私を見ているノアを連れて、じりじりと後ろへ下がっていたら、弓を下ろしたジベルがゆっくりと歩いてくる。
「後ろは川だ。そこでじっとしていろ」
踵が水に浸かった。
「別にマナに罰を与えるようなことはしない。そなたは聖女なのだろう。怖がることはない、私の傍にいれば大事にしてやろう」
「そんなの………」
首を振ってから、川の方を確認するようにすればジベルが焦ったように畳み掛ける。
「川には飛びこむな、二人とも溺れ死ぬだけだ。そなたが大人しくしているなら、そいつを生かしておいてもいい」
俯いていた顔を上げ、ノアが私を見ている。
もう謝らないでいいのに、そんな顔をしないで欲しい。
ジベルが指を鳴らすと、兵達が私達に向かって走ってくる……………のを神聖力で止めた。
「く、苦しい」
「息、が」
私が片手を宙に掲げたのは、ただの厨二病ではない。目に見えないがそこにある『空気』に神聖力を振るったからだ。
「何をした?」
私自身あまり知らないが、無限に広がるものに力を流す場合は、発揮できる範囲は限られているらしい。どうやらジベルまでは効かなかったようだ。苦しむ兵達の様子を観察するかのように眺めている。
「普段当たり前のようにある酸素が無くなっただけよ」
「は………素晴らしい」
ジベルが感嘆の声を上げた。余裕な態度が堪に障る。
仕組みなんて分からない。でもできるのだ。
兵達が呼吸困難になっている辺りは、真空に近い状態だ。だが私が神聖力を流すのを止めれば、すぐに元に戻るだろう。
だが足止めするには十分だ。
一度彼に肩を貸したまま屈むと川へと手を伸ばす。するとピタリと流れが止まった。意を決してそこに足を浸けてジャブジャブと入っていけば水深は胸までで泳ぐほどではなかった。
「マナ!」
それまで黙って見ていたジベルが鋭い声で呼んだ。いつ射られるかと思い急いでいた私は川向いの岸に上がってようやく振り返った。
意外なことにジベルは、一人腕組みをしてニヤリと唇を歪めていた。そして少し首を傾けて言った。
「また会おう、マナ」
森へと逃げ込むまで、私の背へとジベルの視線だけがまとわりついた。
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