真逆の聖女の誤算だらけの顛末

ゆいみら

第1話死にかけの奴隷

 人生初、奴隷を買った。


 相場の半額だった。




 奴隷は労働力、年齢、性別、美醜の違いで金額に差が付くそうだが、最低でも20万デラ(日本円で20万)以上するのに正に叩き売り。


 宅配で届いた奴隷さんは、我が家の一つだけあるベッドにぐったりと横たわっていた。宅配のおじさん二人が床に転がそうとするのを止めて寝かせてもらったのだ。叩き売られていた最初から意識の無い状態だった。




 安売りだったのは明白な理由がある。男の奴隷は死にかけだったからだ。狭いゲージの中で、寒いのに布切れで腰から腿までを隠しただけの半裸で、値札を足首に付けられた上に血塗れの姿だった。目のあたりにした時は、身体が震えるような怒りを抑えるのに精一杯だった。


 愛想を振り撒く小太りな奴隷商人に、自分でも分かるぐらいぎこちなく微笑んで経緯を問うと、叩き売りたかったようでペラペラと聞いてないことまで良く話していた。




 その奴隷は、元は戦争捕虜だったそうだ。隣国との戦争が終わったのが一年前。本来なら還されるはずの捕虜にも関わらず、死亡したと通知され、密かに奴隷に落とされた。こんなことは尋常ではない。この国の有力者に相当憎まれていたと思わざるを得ない。




「可哀想に」




 枕元に腰掛けて、防水シートの上で細く短い呼吸をする奴隷の血で張り付いた前髪を指で上げると、額に大きく切り傷があった。汚れた顔は造作も不明だが、血の垂れた傷は分かった。頬にも鼻筋にも細かい傷が新しいものから古いものまで。背中には鞭を振るわれた傷が沢山。右足の踵上には最も深い傷、筋を切って早く走れないようにしたのだとか。首には制約が掛かった首輪。


 法律で規制がかかっているはずなのに。何度も逃亡を謀り、反抗的な態度を取り、その度に罰を与えられて買い手を転々とした奴隷の末路。




 同情とは違う気がする。これがもし自分だったらとゾッとしたから。ゾッとして無性に腹が立ったから。




 同じ人間なのに、人権も何もあったものじゃない。いや、この世界でこんなことを感じる方が稀なのかもしれない。


 私は、足を踏み外したのだ。




 比喩ではなく実際に私は地球から違うこの世界に間違って踏み込んでしまった。ただ湖に落ちたはずだったのに。


 この世界の何もかもを知らなかった私は森をさ迷い、幸いにも山菜採りに来ていた親切な老夫婦に発見されて、お世話になっていた。


 それから、もう3年も経ってしまった。




 だいぶ慣れたと思ったのに………




 毎日のように通る道に並ぶ市場の一角に、週一で開かれる奴隷市。気に留めないように目を逸らしていたのに。




 彼は気配があった。長身なのもさることながら、何というか…………存在感があった。気を失っていても発するものに誘われるように視界に入れてしまった。




 固く閉じた目蓋には、今尚意志を感じた。


 こんな強い人は、死んではだめだ。




 深い傷に手のひらを添えるように置くと、ヌチャと血でぬるついた。それを歯を噛み締めて堪え、傷に集中する。直ぐに手先が温かくなり僅かに白く光った。


 一分もいかない内に光が消え、手を離せば傷が最初から無かったように消えていた。




 奴隷の様子を伺いつつ、横向きにして新しい鞭傷にも手を当てて治していく。次第に無心になって傷を消していたら、彼が「うう………」と小さく呻いた。


 血色が戻ってきて、眉をひそめている。




「ごめんね、辛いけど我慢して」




 危険は脱したみたいでホッとしたが、やはり罪悪感は付いて回る。




「く……………」




 身を捩ろうとする彼の肩を押さえ、無数の小さな傷に取りかかると、呻き声は更に大きくなり息も苦しそうだ。




「あ、あ……………!」


「ご、ごめん」




 拷問してる気分だが、これは治療だ。




 この力は『神聖力』…………のはず。老夫婦曰く、言い伝えによれば、この世界に稀に来た人に神様が与えるギフトだという。




 ただの(?)治癒力ではないと分かったのは、恩返しのつもりで老夫婦のささくれだった手を治そうとした割りと早い時期に気付いた。




「う、ふあ……………!」


「い、急ぐからね!」




 目を覚ましているわけではないが、彼の口から流れる苦しげで悩ましげな呻きを遮るように声を掛ける。




『真逆の神聖力』と勝手に名付けている。


 私の力は破壊を再生に変え、実りを枯らし、流れるものを止める。その逆も然り。もしかしたら死んだものを復活させられるかもしれないが倫理的に躊躇いがあって試していない。




 だから傷付いた部位は、神聖力により逆に戻っただけ。


 ギフトは人により違うらしいが、やって来る人自体稀だから、きっと私しかこんな力は使えないと思う。




「あ………あ…………は、ああ」




 ピクピクと体を震わせていた奴隷は、私が全ての傷を元の状態に戻した時には、ぐったりとして頬を赤く染めて息を弾ませていた。弱った体を酷使させてしまったが、命には変えられない。




「お、終わったからね」


「は………………は…………ひ、く」




 人に力を使った時だけだと思うのだが、対象となる者の感情や感覚にも、神聖力は作用してしまう。たぶん私が傷を治す時に苦痛を取り除きたいと思うからかもしれない。私が力を使う間『苦痛』の真逆が付与される。




 つまり『快楽』が。




 どうして良いことをしたつもりなのに、こうも後味が悪いのか。




「……………はあ」




 宙を見上げて溜め息をつくと、奴隷に目を落とした。その表情はやけに恍惚として色っぽかった。


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