第33話 沈む船
「これは……なにかの間違いでございましょう」
動揺を顔に出しているのは、重盛である。膝に置いた握り拳がやや震えている。そのことを確認して、頼盛は平静を取り戻した。こうなったからには、妻の兄を見放す判断をしなければならない。
ありがとう、貴様の無様さで我に返ったよ。沸き立った水が、時間を経ずにシンと静まるような感覚だった。
当主がそのような手を使うのならば、身を切ることも致し方ない。重盛は優しすぎるのだ。頭の中で計画を練り直す。
「密談が事実ならば、由々しきこと」
信じられないとでも言うように、非難の眼差しが向けられたが、気にして思考を止めてはいけない。
目的は、恐らくは寺社勢力の懐柔であろう。比叡山に追討の命を出した院とは違うのだと思ってもらい、将来的には、この人こそと見込んだ僧に国家守護の山を開かせるつもりだ。
白河院が思うままにできないと嘆いた「賽の目、鴨川の流れ、強訴」のうち、地の利と寺社の後ろ盾があれば、あるいはと考えたのだろうか。
「そうであろう。本来ならば双方の言い分を聞くのだが、疑義のある者どもの言葉は信用できない上、事態は緊急を要する。異例のことではあるが、ここで評決をする」
焼けた鉄を持った大男は、まだ涼しい顔をしている。このならず者に平の姓を与えた意図に、気づいたかもしれないと感じた。
平家一門の者に、神の意思を問う審判の場に立たせる。それで公平性を内外に示すつもりだとしたら……あまりにも愚かすぎる。誰がそれを真に受けるのか。
「私も信じたくはありませんが、是非もなし。日ごろより友好的に接していた者どもが陰で我らを欺いていたとなると一族の威信にも関わりまする」
笑わせる。彼らがなにも疑わずこの屋敷に現れたのは、後ろ暗いことがないからではないのか。心当たりがない者は潔白の主張しかできないではないか。口を封じておいて信用できないとは、どの口が言うのか。
ーーしかし、その内心を悟られてはならない。自分への期待、信用、絆が音を立てて壊れていくことを肌で感じた。ピリピリと刺すような痛みだった。しかし、私が賛同したことで、彼は安堵したらしい。
殿に対し物言える唯一の人間が、両手を上げて賛同してしまっては、誰も発言できなくなる。このまま、船に穴が空いたことに気づかず、沈没してくれればいい。
平家滅亡後の私の拠り所は、禿の内通者が用意してくれるはずなのだから。
隼人は自分に与えられた名にまだ慣れずにいた。しかし、
焼けた鉄は熱く、手のひらが爛れ皮膚が溶けていくが、それもすぐに修復されてしまう。ほんの僅かな時間でも体に傷を負っていないと、脳髄を締められるような苦しみに遭う彼にとって、ただ持っているだけで大火傷を負えるこの言いつけは天にも上るほど嬉しかった。
部屋の一番奥、板間に敷かれた薄い台の上にあぐらをかく偉いお方が、こちらに目配せした。言いつけられた通り、焼けた鉄を持って地面に降りたち、怯え震える人々に近づく。よいと言われたら、解き放たれ差し出された彼らの手の上に、この焼けた鉄を乗せる。
ーーこの人たちも、自分と同じように、痛みを感じたいがゆえに集められた者なのだろうか。
失禁した者もいる。恐怖の色を隠すこともできず、親とはぐれた子のように震え、瞬きするたびに大粒の涙が頬を伝う。
「よい」
許しがでたが、時人は躊躇した。固まったまま、凍てつくような視線を背に感じていた。
「よいと言ったはずだ。やれ」
有無を言わせぬその怒気に、時人は焼けた鉄を、目の前の人間の手の上に乗せた。
その者はすぐ、泡を吹き目を剥いて死んだ。
その次の者も、その次も、呆気なく。
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