第三章 水地獄

第23話 ハードボイルドな大人の毛ガニ

 古代ギリシャの哲学者タレスは言った。万物の根源は水であると。

 水があって生物は始めて生きていける。水の恵みが命の炎を消えないように支えていくのである。しかし、その命の源である水を我らはどれだけ大切にしているだろうか……。


 大理石の白い門を抜けた先には、海が広がっていた。ニャン吉の顔に潮風が吹き付け髭をなびかせる。

(潮風だにゃん)


 ニャン吉が周囲を見回すと、そこは海に囲まれた小さな島であった。

「小さい島だにゃ、門から10歩も歩けば海だにゃん」

 海に前脚をつけて「冷たいにゃん」と喜ぶニャン吉を冷めた目で見る鬼市。


 手をかざし遠くを見る骨男がニャン吉に説明しだした。

「おう、ニャン公! ここは南国の水地獄だぜ! ここにはいくつかの島があってよ! 多分そのどっかで番犬に必要な物があんじゃねぇか?」

「ここの門番は誰だにゃ?」


 ニャン吉が振り返り皆に聞くと、鬼市だけ顔を引きつらせる。それに御構い無しで骨男が続ける。

「すまねぇ、ニャン公。その辺は勉強不足なんでぇ。手当り次第倒してしまえば、いつかぶち当たると思うぜ」

「分かったありがとにゃん。さて、海を渡るかにゃん。……で、島はどこだにゃん?」


「ちょっと、おいらには分かんねぇな。適当に泳いでみろよ」

「そうするにゃん」


 準備運動のブリッジを済ませると、ニャン吉は豪快に海に飛び込んだ。水面からも豪快に飛び出しバタフライで泳ぎ出す。皆が皆、ニャン吉の泳ぎ方に面食らった。


 レモンは海に浮かんで頭の上に虫たちを乗せて泳ぐ。

 鬼市は前もって用意していたゴムボートに乗ると、骨男も乗せてもらった。


 広大な海を豪快に泳ぐニャン吉。飛ばした水飛沫が太陽に照らされて7色に輝いている。

『猫は水が苦手というのは迷信だにゃん』と生きていた時に常々言っていただけのことはある。


 やがて、島が幾つか見えてきた。南国らしく、椰子の木が並んでいる。地面に生える草も青々としている。


 ニャン吉の目に止まったのは、空から滝が降っている島だ。そこへ上陸することに決めた。


 島に上陸したニャン吉はずぶ濡れなので、体を乾かすため全身をブルブル振った。レモンも同様に全身を振るう。鬼市と骨男は2人でゴムボートをしまう。


 まず、ニャン吉は島を探索する。島の奥へと茂みを分け入り、空から降る滝を目印に島の奥へと進んだ。


 島の中央まで来ると開けた所へ出た。中央には湖があり、そこへ空から落ちてくる滝が飛沫を上げ水を注いでいた。滝壺となっている湖は透き通っていて、飛沫が無ければ数メートルは見通せそうだ。


 湖からは放射状に島の外へと向かって幾筋もの川が伸びている。その7つの川には錦鯉らしきものも泳いでいた。川に隔てられた陸地には、背の低い草が生えている。


 滝のそばまで行くと凄まじい勢いで滝が落ちていた。しかし、驚くべきことには、音も立てずに滝が落ちていたことだ。


 湖からパシャッと音を立て軽快に上がってくる1匹の毛ガニがいた。赤黒い殻を持つ毛ガニは泡を一吹きすると、滝を振り返りハサミを上げた。


「毛ガニだにゃん」

 ニャン吉の声に反応した毛ガニがニャン吉の方を振り向く。予想に違えてカニ歩きではなく前歩きで近寄って来た。そして、毛ガニはニャン吉の瞳をジッと見詰める。


「俺は毛ガニの可児鍋かになべクラブ。ハードボイルドな大人の毛ガニだ。対義語は泣き虫子ガニ。俺をボイルする鍋に触れると火傷するぜ」

 突然喋りだした毛ガニのクラブにニャン吉は一瞬固まった。


「ふっ、無理もない。俺ほどの美男子はそうそういるもんじゃない。オーラン・ブルーも俺に良く似ているらしいからな」

「えっと……、ここで何をしているにゃん?」


「クラブでいいぜ。俺はこの滝の様子を見に来た。この美しさ、その辺の奴にも見せてやりたいぜ」

「本当に美しいと思うにゃら、その辺の奴とかいうにゃよにゃ」


「この滝には様々な伝説があってな」

 クラブは遥かな空を見上げた。

「この滝は天国から降ってきているらしい。甘露かんろの再利用のために水地獄に下水として流しているとかでな」

きたにゃ」


 クラブは海へと流れる川を見てハサミを向けた。

「そして、恵みの水は湖に流れ込み、7つの川を伝って海へ流れている。これを八丁堀という。ここを泳ぐ鯉は皆、派手な入れ墨をしているぜ」

「不良かにゃ?」


 クラブはクールに笑い、ハサミでニャン吉の方を差す。

「ふっ、俺には最初から分かっていたぜ。この滝には番犬候補をこの地獄に適応させる効果があってな。1日1時間滝に打たれれば何度目かに適応できる」


 協力的なクラブの言動に驚いたニャン吉。そして、番犬の試練を手伝ってくれることに感謝を述べた。

「初めまして、ニャン吉です。番犬候補です。教えてくれてありがとにゃん」


 クラブはそばに転がる岩に右脚の1番上の1本かけると、クールにニャン吉の方を振り向いた。

「お前番犬候補だったのか! そういうことは早く言え!」


 格好をつけて恥を晒すクラブに、ニャン吉は空いた口が塞がらなかった。分からないなら素直に聞けと言いたくなる。

「一体何だと思ったんだにゃ?」


 クラブは岩にかける脚を左に変えた。そして、クールに言った。

「珍しい鬼を連れた見世物小屋か、閻魔の告知を配っているドア弁慶の仲間かと思ってな」

 クラブは遠目で椰子の木を見ていた。とことん格好をつけている。


「てやんでぇ! おめえ、おいらたちのことを見世物小屋だとおもったんか!」と骨男が腹を立てる。

「しょれはひどい!」と集太郎も腹を立てた。

「俺が見世物小屋の主人だーと思ったーんだねー」とペラアホだけ何か勘違いしている。


 忙しないニャン吉メンバーに、クラブはやれやれとハサミを左右に突き出し呆れた。


 阿呆らしくなったので、骨男は気を取り直しクラブに聞いた。

「おめえ、今ドア弁慶が閻魔の告知を配っているって言わなかったか?」

 クラブはそうだと背中を向けハサミをチョキチョキさせた。


 骨男は鬼市の方を振り返る。

「おい、鬼市! これは番犬候補の告知なんじゃねぇか?」

「だね。おい、クラブ。ドア弁慶は今この島にいるのか?」


「もちろんさ! あ、ちょっと、用事よーうじ、はいっ! あーりまーして」

 不意打ちを決めるドア弁慶。鬼市の後ろに突然現れ驚かす。


「うわっ! おい、ドア弁慶! お前どこまで意表を突けば気が済むんだ!」

「魔界鬼市、そう怒るな。だって、用事よーうじ、へい! あったーから」

 悪びれもせずどじょうをすくうドア弁慶。南国のせいか、いつもより動きが緩やかに見えた。


 ――青い空、青い海、暖かい風に気分も高揚するニャン吉であった。海に浮かぶ島の1つに上陸すると、可児鍋クラブという毛ガニと出会う。

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