地球消しゴム
紺野 優
1つ消せる、とすれば君は何を選ぶ?
「地球消しゴム? んだそれ?」
午後9時。静まり返った暗いオフィスの中、パソコンの青白い光だけが不気味に光っている。
「それ、出どころは? いつ何処で誰に聞いた?」
聞いたことねえぞんなもんと、パソコンの前でタバコをふかしながら
「駅前。女子高生に聞いた」
パソコンとカメラが入った重たいカバンを机の上にどさっと乱暴に置き、取材で疲れ果てた身体を椅子に預け、
「まあ聞いた、というより会話を盗み聞きした、というべきか」
「はあ? 女子高生? しかも取材じゃなくて盗み聞きって。お前今週のネタ無いからって、女子高生は辞めておけよ」
城崎の返事を聞いて青海は思わず吹き出すようにして笑う。
「うるせー笑うな。もうマジでネタねえんだよ今週。またデスクに怒られちまうよ俺」
深い溜め息をつき、城崎は椅子に座ったまま背伸びをして天井を仰ぐ。ちょうど目線の先に、天井から吊るされた「地域情報課」というプレートがパソコンの光でぼんやりと浮かび上がっている。
この部署に来てはや半年。慣れたと言えば慣れたが、市政担当時代に比べると取材内容はしょぼい。以前は市役所や県事務所の記者クラブへ足を運ぶだけである程度ネタを掴むことは容易だった。それに行政イベントなんてのは本当にゆるゆるで、取材という名のサボりタイムと言っても過言ではなかった。
それが今や此処に来てからというもの、取材内容は公民館や集会所で開かれる高齢者の体験教室や、小中学校の学校行事などなど、まさに地域の情報に特化した取材。
が、そういった行事が毎日開催されているかと言えば勿論ノー。やっと情報を掴んだと思っても「それ去年も載せた。今年も載せる意味は無い。去年の紙面くらいちゃんと目を通しておけ」とデスクにお灸を据えられることもしばしば。毎週水曜日の晩に開かれる編集会議で「今週は特に掲載予定のネタはありません」なんて言ったらまたデスクの雷が落ちかねない。
とは言え明日は水曜日。しかしながら、持ちネタは地球消しゴムのみ。これは完全に死亡フラグと言っていい。
「で? その地球消しゴムって具体的に何なんだよ? 環境保全を推進してる消しゴム? しょうもなくない?」
「いやそれがそういう系じゃなく、結構ハイテクアイテムなんだと。サンプルが駅前で配られてたらしい。一応現物も貰ってきた」姿勢を立て直すと、城崎はカバンに手を伸ばし、物色を始める。
「ハイテクアイテム? って、貰ったってお前また金で買ったのか」
「まあそんなとこ。1万円出したら喜んで渡してくれたよ。あ、これこれ」切羽詰まった記者は何でもするんだよと苦笑いを浮かべながら城崎は青海に丸く白い球体を渡す。大きさは野球ボールとほぼ同じ大きさ。表面はつるんとしていて、ゆで卵と間違ってしまうような見た目。重さは殆ど感じない。
「何? これがハイテクアイテム?」青海はまだしっくり来ていない様子で地球消しゴムをいろんな角度から眺める。
「俺もまだ試してないんだけど、物体を分子レベルで分解して消すことが出来るアイテムらしい」説明書も付いてると続け、「これを読む限り、専用のパッチシールが別に必要で、そのパッチシールを貼った物体のみを消すことが出来るらしい。お試しでパッチシールも3つ付いてる」
「なんか漫画でそういうアイテムなかった? とは言えそんな非現実的なアイテム、よく開発できたよな。んじゃこれはそのプロトタイプって訳か」
「そうなるな」小さく鼻で溜め息をつき、城崎は台帳からパッチシールを剥がし取る。
「なんかいらないものって無かった? 別に紙でもダンボールでも、家電製品でもいいけど」
「ああ、それならちょうどそこのパソコンモニター、これ電源入らなくなって捨てるから駐車場に出しておいてって言われてんだよね。その話が本当ならマジで助かるけど」半信半疑な様子で青海は隣の机のパソコンモニターをたんたんと叩く。
本当に消せるんだろうか。とは言え、城崎も同じく半信半疑だった。
女子高生が笑って話していた。使わなくなったガラケー、昔使っていた古い勉強机、パンクして使い物にならない自転車。そんなものを簡単に片手で消せる。ムカつく先生や同級生、先輩もこれで消せたらいいのにね、と。そんなことが本当にあっていいんだろうか。許されるんだろうか。そんなことをすればそれこそ地球そのものが消えてなくなってしまう可能性だってある。もしかすると開発者は本当に地球を消すことが目的だったのだろうか。だから名前は、地球消しゴム。
「おーい」はと我に帰る。青海が呆れた表情を浮かべてタバコをふかしている。
「さっさとやってくれ。俺もこの原稿仕上げたら帰りたいんだよ」
「ああ、ごめんごめん」城崎は咳払いをすると、パソコンモニターへ歩み寄りモニター画面にぺたりとパッチシールを貼り付ける。それから右手に持った地球消しゴムを同じくモニター画面にきゅっきゅと擦り付ける。この間、僅か5秒ほど。
「え?」
本当に一瞬だった。青海と城崎の声が綺麗にシンクロした。瞬きした次の瞬間には、ついさっきまで確かに机の上に置いてあったはずのパソコンモニターが電源ケーブルと共に跡形もなく消え去っていた。伸ばしたままの右手には、僅かだがまだ画面を擦った感触が残っている。
本当に消えてしまった。そんな、まさか。
「おい、城崎。やばいぞ。マジじゃねえかよ」
「え? ああ、うん」
「っていやいや何してんだよ! 書けよ原稿!」興奮した様子で青海は声を荒げる。
「それ他紙は? まだ書いてないよな? 今のうちに原稿書いて明日朝一でデスクに直接渡して交渉してみろよ。他紙よりも先に記事出せたら女子高生に貢いだ1万円くらいは戻ってくるんじゃねえの」
まあ確かにたまにスクープ記事を書くと1、2万円手渡しで報酬金を貰うことはあった。けれどそれも市政担当だった頃の話だ。
「けど、どうやって書けば良いと思う? 話を盛るしかない?」
「話を盛るかあ。まあありがちな手法だけど、一体何を盛り込むわけ?」
「実は、軍事目的で開発されていた、とか?」
「バカかお前は。そんな内容が通るわけねえだろ。SF小説の読みすぎだお前は」深い溜め息をつき青海は頭を抱える。
「例えばだけど、ほら、最近不法投棄された家電ゴミとかで困ってる地方あんだろ? 山間部の方とか。そういうところへそいつを持って行って、高齢者の手でも簡単に撤去できるようになった。それで環境美化が一気に加速。最新テクノロジーで劇的に変わる環境問題。そんな感じで書けばいいんじゃないか。って、いやいやなになに? 何すんだよ危ないって」
「青海お前天才か! それだ! ありがとう!」タバコをふかしながらぼんやりと語っていた青海に抱きつくと城崎はカバンを背負い、靴紐を強く縛って、ズボンからスマホを取り出す。「俺今からこれ持って山間の町とか村行ってみる。今から向かえば朝までにはお目当ての粗大ごみにもありつけるだろ」
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