盗賊退治を断った場合
「……いや、断らせてくだせぇ」
ゲオルクは首を横に振った。
正直なところ、支配人の評判はあまり
「そうかい。……じゃあ、他を当たることにするよ」
支配人は澱んだ瞳に侮蔑の色を浮かべ、早足で歩き去っていく。
はぁあ、とため息をつき、ゲオルクは残りのビールを一息に煽った。
***
次の日、鉱山は騒ぎになっていた。
なんでも、支配人は力自慢の者を集めて自警団を組織したが、ほとんどが盗賊団に殺されてしまったとのことだった。
鉱山でよく見かける
ゲオルクは元兵士ではあるが、支配人が選りすぐった力自慢の者達が数多く死んでいったのだ。戦力としてそこまで頼りになったとは思えない。
支配人の話に乗っていれば、自分も死んでいたのだろうが……もし、そうなっていたとして、特に何か感慨があるわけでもない。
ゲオルクは騒ぎを避けるようにし、いつも通り石炭採掘の現場へと向かった。
白髪混じりの頭をガシガシと掻き、ツルハシを振り上げる。
また、虚しさを持て余す日々が続きそうだ。
それから幾年も、ゲオルクの生活は変わらなかった。
起きて、石炭を採掘し、運んで、寝る。
時折酒や賭博で気を紛らわせ、また鉱山に登る……そんな、単調な日々の繰り返し。
そんなある日、ふと、耳の奥で大砲のような音を聞いた。
気が付いた時には、足場が崩れ落ち、ゲオルクの身体も真っ逆さまに落ちていた。
次に目が覚めた時、ゲオルクは
「おーい! 誰かいるかー!? 返事をしろ!!」
誰かの叫び声が聞こえる。
ゲオルクは返事をせず、このまま死にゆくことを選んだ。
愛する妻の元へ。……そして、我が子の元へ。
戦場で人を殺した自分は同じ場所にはいけないだろうが、それでも、このまま空虚に生きていくよりはずっといい。
……そう、思ったはずだった。
「……いっ」
岩に潰された片脚が、激しい痛みを訴える。
助けを呼ぶつもりも、生き永らえるつもりもなかったと言うのに、ゲオルクの喉は彼の意に反し、張り裂けんばかりの叫びを上げていた。
「いっ、てぇえええええ!!!」
「お、おい!! こっちだ! こっちから声がするぞ!」
あれよあれよという間に救い出され、ゲオルクは医者の元へと運び込まれた。
片脚が完全に岩に潰され、二度と歩くことはできなくなったが、どうにか命は助かった。
もう働くことは無理だと、少し離れた街の救貧院を紹介され、他の鉱夫達に哀れまれながらも向かうことになる。
命が助かったところで、脚が不自由になったところで、生活の場が鉱山でなく救貧院になったところで、ゲオルクの根本が変わるわけではない。
ただ、虚しく、日々を繰り返すだけ。
ゲオルクは救貧院でも、変わらず色褪せた日々を送っていた。
***
ゲオルクが暮らす救貧院は、修道院と併設されていた。
母体になっている教会と政府の対立により、一度は修道院と共に閉鎖しかけたそうだが、ハインリッヒという司祭が方々に働きかけて存続したのだ……と、祈りの時間に何度も聞かされた。
そんな救貧院の内情は、お世辞にも良いとは言えなかった。
肉体だけでなく心の健康も失ったものが大半で、利用者どうしの争い事が絶えず、
死んだように生きているゲオルクも、落伍者の一人といって差支えなかっただろう。
そんなある日、訪問に来た司祭に声をかけられた。司祭がハインリッヒと名乗ったのを聞いて、ゲオルクは「ああ、お偉いさんだっけか」と小さく独りごちる。
ハインリッヒはゲオルクとさほど年齢は変わらないだろう年頃で、撫でつけられた黒髪には、ゲオルクと似たように多くの白髪が混ざっている。……それでも、その瞳の力強さ、表情に満ち溢れた生気が、ゲオルクとは大きく異なっていた。
「お加減はどうですかな」
「……脚を悪くしてから、めっきり動かないもんでしてね。ついでに不摂生なもんで、色々と良くねぇ病にかかっちまってるみてぇですが……なぁに、早く死ねるならめっけもんってとこです」
淡々と語るゲオルクに対し、ハインリッヒは静かに頷く。
「私で良ければ、話し相手になりますぞ。どうぞ、何でもお話しくだされ」
「はぁ……」
特に話したいことなど、何も無かった。
神を信じてなどいないし、今更救いがあるとも思えない。
「もちろん、無理にとは言いません。されど、話すことで楽になることもありましょう」
……だが、ハインリッヒの蒼い眼差しは真剣だった。
「……実は、戦争で……」
その視線に根負けしたかのように、ゲオルクはぽつりぽつりとこれまでの経緯を話し始めた。
幼いわが子を置いて徴兵されたこと。
戦場からは生きて帰れたものの、妻子を失ったこと。
鉱山で働いているうち、落盤事故に巻き込まれて脚を悪くしたこと……
一つ話せば、連鎖するように言葉が溢れ出し、止まらなくなった。
「……
全て聞き終えたハインリッヒは、沈痛な面持ちでゲオルクの手を握る。蒼い瞳が、再び、真っ直ぐゲオルクを見た。
「よくぞ話してくださった。……そして、よくぞ生き抜いてくださった。貴方に、主のご加護があらんことを」
祈りなど、意味の無いことだと思っていた。
少なくとも、ハインリッヒと出会うまで、ゲオルクにとっての「祈り」は耳障りな綺麗事でしか無かった。
だが、ハインリッヒの「祈り」は違った。
彼は正真正銘、ゲオルクの歩んだ道のりに心を痛め、その苦しみに寄り添う姿勢を見せたのだ。
「来月も、訪問に参ります。願わくば、また貴方とお会いしたいものですな」
穏やかに笑うハインリッヒ。
それが職務上の方便だとしても、ハインリッヒの笑みは、ゲオルクの胸に失われたはずの「何か」を蘇らせた。
翌月、宣言通りにハインリッヒは再び現れた。
救貧院内を歩き回り、目に付いた者に声をかけ、励ましの言葉を告げ……やがて、ゲオルクの順番が訪れる。
「おお、ゲオルク殿。よくぞ生きていてくださった」
ハインリッヒは気前の良さそうな笑みをうかべ、ゲオルクにハグをした。
これだけの人数の中、名前を覚えてもらっていた。……ただ、それだけのことが、ゲオルクの目頭を熱くする。
「へへ……ありがとうごぜぇます。こんな死に損ないに……」
「何を言いますか。貴方と私が巡り会えたのも、神のお導きですぞ。どうか、胸を張りなされ」
ハインリッヒの言葉には、聖職者にありがちな説教臭さがなかった。
だから、だろうか。掃き溜めのような救貧院の中には、ハインリッヒが現れれば明るい表情を見せる者も多い。
今までのゲオルクならば見落としていただろうが、ハインリッヒに声をかけられてからというもの、少しずつだが世界が色彩を取り戻し、視界が明るく
「神父様は優しいお方だ。こんなあっしに、良くしてくださって……」
「自らを貶めるのはやめなされ。……戦争さえなければ、貴方も、そうやって苦しんではおりますまい」
戦争さえなければ。
そう告げる時、ハインリッヒが唇を噛み締め、拳を握りしめたのがゲオルクには見えた。
「私は、貴方のような方を何人も見て参りました。みな、時が経っても癒えぬ傷を抱えて苦しんでおられる。……また、あのようなことがあっては断じてならない。そう、思わずにはいられませんな」
言葉の端々から、ハインリッヒの熱意が伝わってくる。
ゲオルクは何事か返そうとしたが、渦巻く感情を上手く言葉にできるだけの知識は、ゲオルクにはなかった。
「……少し、余計なことを話しましたな。またお会いできるのを、楽しみにしておりますぞ」
ゲオルクにとって、生きることは苦痛でしかなかった。
早く妻子の元に行きたいと願いながら、それでも本能の要請に肉体が渋々応じるかのように、
だが、ハインリッヒに再会を望まれるたび、ゲオルクの胸に歓びの感情が蘇る。
力強く握られた手をぎこちなく握り返し、ゲオルクは、とうに枯れ果てたはずの涙を流した。
「ありがとうごぜぇます、神父様……」
ゲオルクは神など信じていなかった。希望など、この世にあるとは思えなかった。
だが、目の前のハインリッヒという人間だけは信ずるに足ると、確かに思えたのだ。
***
やがて夏が訪れ、暑さのせいか、脚の古傷が
ゲオルクの身体は日に日に弱り、ついには生死の境をさまよう状態にまで陥った。
熱に浮かされながらも、ゲオルクは必死に生にしがみつく。
せめて、司祭の訪問までは……次にハインリッヒが訪れるまでは生きていようと、ゲオルクは懸命に歯を食いしばり、襲い来る苦痛に耐えた。
「大丈夫ですか。水を、お持ちしましょうか」
意識が朦朧とする中、ロザリオとカソックが視界に入り、ゲオルクはほっと笑みを零した。
「ああ……神父様……また、お会いできやしたね……」
「……! ……いえ、私は……」
ハインリッヒよりもずいぶんと年若い声音は、明らかに
ぼやけた視界に、ハインリッヒのものとは似ても似つかない、銀色の長髪が映る。
「……次の月には、きっと、来てくださります。必要であれば、私からも神父に伝えておきます。ですから……」
まだ二十歳にも満たないだろう青年は、懸命に言葉を選び、ゲオルクを励まそうとしていた。
「どうか……どうか、それまでは……」
熱に浮かされた思考が、遠い過去を思い起こさせる。
小麦畑を背に、明るく笑う妻。妻の腕に抱かれた息子……
嗚呼、彼の息子が生きていれば、目の前の青年くらいの年齢だっただろうか。
青年は、かつてのハインリッヒと同じく、ゲオルクの苦しみに心を痛め、寄り添おうとしていた。
……それだけは、確かなことだった。
「いや……良いよ。じゅうぶんだ」
「あ……」
ゲオルクは、命の限界を既に悟っていた。……おそらくは、目の前の青年もそうだったのだろう。
青年は目を伏せ、押し黙る代わりに、ゲオルクの手を握った。熱に侵された手が、心地の良い温度に包まれる。
「もしかして……お弟子さん……?」
「……はい」
「……なら……
「……わかりました」
ろくでもない人生だった。
妻を失い、息子を失い、空虚な心を抱え、死んだように生きた。
多くを諦め、多くの傷を背負い、人生の大半は苦しみに満ちていた。
「お世話になりやした……これで……後悔なく……死ねまさぁ……」
それでも満足げに笑い、ゲオルク・マイヤーは穏やかな眠りについた。
END2. Ruhe in Frieden(安らかに眠れ)
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