23 大変な嵐でした
それは雪でも降りそうな程に冷え込んだある日のことだった。帰り支度を終えて軍務省の門を潜り抜けようとしたエディットは、そこに予想外の人物を見つけて足を止めた。
「ダニエラ⁉︎」
「あ! エディットさん、こんにちは〜!」
ダニエラは子犬のような人懐っこさで駆け寄ってくる。驚きつつも挨拶を返したエディットは、どうしてここにいるのか問いかけてみた。
「えへ! エディットさんを待ってたんですう。軍務省勤務だなんてずるいですよ〜!」
「ず、ずるい? そうかな……」
もしかすると上昇思考が強い子だったのだろうか。自身はあまり出世には興味がないから、ある意味尊敬すべき心構えかも。
そんなことを考えていたら、ダニエラは華やかな笑みを浮かべて見せる。
「だって軍務省って言ったらエリート士官の集まりですよお! 最高じゃないですか〜!」
「いやそっちなのね⁉︎」
思わず突っ込んでしまった。ダニエラは臆した様子もなく、笑顔でエディットへと詰め寄ってくる。
「ねえねえ、いい男いました?」
「いや、いるとかいないとかではなくね」
「またまた、ぜったい沢山いますって。エディットさん可愛いからモテモテでしょ?」
ね? と小首を傾げる仕草は文句なしに愛らしいのだが、この押しの強さはどこから来るのだろうか。
エディットは困り果てて、やんわりと断り文句を並べようとした。
「あのね、まずはモテないし。話があるなら聞くけど、とにかくここだと邪魔になるから」
「あ! ねえねえエディットさん、あれって……!」
しかし続く言葉を遮られてしまった。ダニエラはエディットの後方へと視線を向けて目を輝かせているようだ。
何を見てそんなに嬉しそうにしているのかと、エディットは後ろを振り返り——視線の先でロルフと目を合わせたことで硬直してしまった。
軍服の上に官給品の黒いファー付きコートを羽織ったロルフは、帰宅を邪魔されたせいか明らかに不機嫌な様子だった。鋭い眼光を向けられて身をすくませるが、ダニエラはむしろ小さな歓声を上げた。
「ちょっと、ダールベック大佐ですよお!」
「う、うん、そうね……」
「もう、どうしたんですか! 挨拶しましょうよ〜!」
「でも、ダニエラは勝手に入っちゃ」
「いいからいいから!」
はしゃぐダニエラに半ば引きずられるようにして連行される。すると花のようないい香りがして、エディットは胸が苦しくなるのを自覚した。
ダニエラはロルフに会いにきたのだ。
積極的で明るくて、若くて華があって。素直なところが愛らしい、魅力的な女の子。
エディットとは何もかもが違う。生真面目で面白みがなくて、可愛げなんてどこかに置いてきてしまって、殆ど初対面なのに食ってかかったりするような女とは。
きっとダニエラはそんなことはせず、もっと上手に立ち回って仲良くなるのだろう。
——嫌だな。
ああ本当に、嫌だと思う自分が嫌いだ。
エディットは綺麗な笑顔の仮面を被って、ロルフに向かって会釈をした。
「お疲れ様です、大佐殿。今お帰りですか?」
「ああ。……そちらは」
ロルフは相変わらず仏頂面のままだったが、女性に興味を示したのなんておよそ初めてのことだ。
やっぱり、ダニエラは可愛いもの。
エディットはますます耐え難い痛みを訴える胸を無視して、己を奮い立たせるために朗らかな笑みを浮かべた。
「こちらは魔法省勤務の魔術医務官で、ダニエラさんです」
「ダニエラ・ヨンソンと申します。大佐殿にお会いできて光栄です」
いかにも守ってあげたくなるようなふんわりとした笑みを浮かべて、ダニエラは一礼して見せた。
可愛い。とても可愛い。こんなに素敵な女の子なら、きっといくら女嫌いのロルフでも——。
「用もない部外者は立ち入り禁止だ。今すぐ出ていけ」
想像だにしないほどの冷え冷えとした声を投げつけられて、ダニエラが笑顔のまま固まった。
エディットが思わずロルフを見上げると、先程の台詞にぴったりの無表情をしている。
「あ、わ、わたし。大佐殿に憧れて、一度でいいからお会いしたかったんです……!」
流石というべきか、ダニエラはぷるぷると肩を震わせつつもめげなかった。潤んだ瞳で見上げる様は、「そんな酷いことを言わないでください!」と庇ってあげたくなるほど庇護欲をそそる。
しかしながら、ロルフは灰色の瞳を氷のように冷たくすると、苛立ちを隠しきれないため息を吐いた。
「……ダニエラ・ヨンソンとかいったか。貴殿の名は聞いたことがある」
聞いたことがある? はて、彼女はこの可愛さで軍務省でも有名人なのだろうか。
「部下のネルソンと付き合っているそうだな。あとはストールと、タウべもだったか」
エディットは思わず声を上げそうになった。
軍務省の士官と付き合っている。しかも複数を相手に。
まさか、と思う。ダニエラが恋多き女性であることは知っているが、流石に何人も同時に付き合うようなことはしないはず。
しかし否定を求めてダニエラへと視線を滑らせると、すっかり青くなって全身を震わせているではないか。
「私生活の話だからな。騙される男どもに非がないわけではないだろうし、俺からとやかく言う気はなかった。……だが、ここまではた迷惑で愚かな振る舞いをされると不愉快だ」
「お、愚かって……私、付き合って欲しいって言われたから、頷いただけで」
ダニエラが震える声で言うと、ロルフは低くため息をついた。
グレーの眼光は氷点下まで冷えきり、道端の石ころでも見ているかの様だ。ロルフは激怒した顔よりも冷徹な無表情の方が恐ろしいのだと、エディットはこの時初めて知った。
「俺はお前のような女をこの世でもっとも軽蔑している。わかったら二度と声をかけてくるな」
少しも心を動かされた様子のない、吐き捨てるような声だった。
これは流石のダニエラもショックを受けたのではないだろうか。エディットはおろおろと二人を交互に見た末に、せめてダニエラを宥めて連れ去ろうとしたのだが、残念ながらそれはできなかった。
ダニエラはきっと目を釣り上げて、ロルフを睨みつけたのだ。
「酷い! せっかく私が声をかけてあげたのに! やっぱりエディットさんのことが特別なんでしょ⁉︎」
「ダニエラ、何を言い出すの……⁉︎」
いつかの会話を持ち出してヒステリックに糾弾し始めたダニエラに、エディットは顔を青ざめさせた。
省をまたいだ問題になってもおかしくない程に無礼すぎる態度だ。完全に非はこちらにあるし、部外者のダニエラが軍務省の土を踏むのを黙認したエディットも同罪。平謝りして然るべきだというのに。
しかも特別なのかだなんて、本当に何ということを言うのだろう。絶対に否定されるに決まっているのに、わかりきったことを聞かないで欲しい。
「当たり前だろう。メランデル軍医少尉の働きぶりを知らないのか。お前のような男漁りにしか脳がない女など、比べること自体が無礼な話だ」
エディットは地面に埋まりたい気分になっていたので、力強い肯定に思わず顔を上げた。
相変わらず冷徹な顔をしたロルフと、悪魔のような形相で怒りを露わにしたダニエラ。先に動いたのは、やはりダニエラの方だった。
「ばっかみたい! 本当に最低! こんなにつまんない男だとは思わなかった! そんなに仕事が好きなら、二人して仕事と心中しろよ!」
今までの可愛らしい彼女はどこへと思うほどの形相で口汚く吐き捨てたダニエラは、肩を怒らせてその場を去っていった。
エディットはあまりのことに呆然としてしまって、数秒の間動くことも話すこともできなかった。
——な、なんだか、凄かったな……!
こういうのを修羅場というのだろうか。いやでも、修羅場というのは深い中にある男女のものというイメージがあるから、今回は一方的な嵐とでも言うべきなのか。
どうでもいいことを考えていたエディットは、そこでようやくロルフに謝らなければと思いついた。
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