第4話 真鍋蓮実の仕事

 本堂のすぐ隣、6畳の応接室。そこが真鍋蓮実の仕事場だ。電話機とパソコンを置いたデスクに背凭せもたれのない椅子が2つ。もう1つゆったりと座れる肘掛けの付いた1人掛けのソファ。パーテーションで区切られた向こうには簡易ベッドがある。畳の上ではあるが、まるで田舎の診療所のような雰囲気だ。

 引き戸を開け、応接室に入ると彼女は電話対応していた。俺に気づき掌をこちらに向け、ちょっと待っててね、と口の動きだけで示した。

 そうですね。それは辛いですね。相手の気持ちを逆撫でしないよう、優しい言葉で相槌を打っている。電話で無料カウンセリングを行なっている最中だ。俺は邪魔しないように1人掛けのソファに腰を下ろし、待つことにした。ジリリと畳が擦れる音がする。

 蓮実の仕事はカウンセリングだ。カウンセラーだからカウンセリングが仕事なのは当たり前なのだが、何故お寺で、と問われることが多い。彼女も、俺と同じく一般企業で働いていたが、社会に馴染むことを拒絶した人間なのだ。

 元々は一般企業で人事労務を担当している事務員だった。主に入社や退職の手続きが仕事。そのうち長期休暇社員への対応、つまり心身を病んでしまった社員のサポートをするうちにそれも担当することが多くなってしまった。メンタル不調者は湧いて出てくる。メンタルケアで復帰のサポートをしても、また別のメンタル不調者が出てしまう。彼女は多忙を極め、心身疲れ果て、妊娠中に交通事故を起こしてしまった。居眠り運転だった。事故後、意識が回復して知らされたのは娘の死産だった。

 彼女は自分の娘を法要する場所を探し、和尚の元に辿り着いた。それが彼女がここにいる経緯だ。


リュウくん。昨日も遅かったの?」


 気づくと俺はソファでウトウトしていた。フカフカしたクッションに深々と体を委ねて、寝てしまったようだ。体を起こそうと肘掛けに手を突くと、いいよそのままで、と彼女は膝掛けを寄越した。女というものは、こちらが寝ていると、こういう膝掛けなんかを用意してくれるが、俺はこんなものを使ったことがない。寒ければ服を着るか、暖房をかけるかで充分なのに、こんなものを膝にかけても邪魔で仕方がない。受け取ったそれは使わず背凭れにひっかけ、体を起こした。


「なんだ。話って」


 蓮実は膝掛けにチラッと視線を移し、それには触れないでパソコンを開いた。パソコンでメールを開いた。俺は目を擦って、フカフカのクッションから尻を引き剥がすように立ち上がった。

 デスクに片手をついてパソコンを覗き込んだ。背後に気配を感じた蓮実が、俺の顔を見上げた。俺の方にパソコンを傾けて、メール画面を見せる。


「このメールなんだけど」


 会社の上司が好意を寄せてきたので断ると、それから付き纏われている。上司は会社では重要なポストの人間で会社にも相談できず、被害という被害もまだないので警察にも言えない、というような内容。よくあるような相談だ。

 画面をスクロールすると、相手は何歳なのか、家まで押し掛けられたとか具体的にどんなことをされているのか、断ったあとその上司は会社ではあなたにどんな接し方をしているのか、など蓮実とのやり取りが繰り返されている。


「これだけじゃ、わかんねえな」


 彼女は肩を落とし溜息を吐いた。キーボードの上に手を置き、少し考えてから、『もし御来訪いただければ、直接の話を聞きますよ』と打ったが、カーソルを送信の上に置いたまま手が止まった。


「もうちょっと、様子を見てみれば」


 そうね、と言ってこちらに向いて頷き、メール内容を消した。

 この手の類の相談は多く、判断に難しい。大抵痴情のもつれということが多く、加害者と被害者の立場が10ゼロと判断できない。よく調べてみると相談者の一方的な被害妄想だったりすることもある。俺たちは弁護士ではないので、首を突っ込みすぎるとよくない。それでも蓮実は助けを求めてくる人間を放っておけないのだ。以前、似たような例で痛い目をみたことがあった。だから判断に迷う場合、正確には自分が突っ走りそうになった時に、彼女は俺に判断を仰いでくる。あまり他人に興味がない俺は、大概様子を見ろという返事しかしない。

 パソコンは『悩みの駆け込み寺 KARMA』の画面が映し出されている。彼女が運営するホームページだ。主に会社や学校でのハラスメント、対人トラブルの悩みを受け付けている。ホームページからのメールや電話での相談は無料で行い、場合によっては対面でのカウンセリングを行っている。対面カウンセリングは、ここはお寺なので金額は有料と謳わず、『お気持ちで』というお布施で頂戴する形をとっている。彼女のこの仕事部屋のことを俺たちは『カルマの部屋』と呼んでいる。

 俺たちの寝ぐらとしている『龍幸寺りょうこうじ』のサイトとリンクし、地元ではカウンセリングもしてくれるお寺として有名になっている。近所の小学生からは『カルマのお姉さん』と慕われ、学校の友達とのトラブルなんかを5円や10円のお賽銭で聞いてやっている。

「金にならねえことやってんな」と天馬はいつもぼやくが、「お金の問題ではない」と和尚に一喝される。そんな和尚も檀家さんからお布施という大金を受け取っているから、あまり説得力はない。


『カルマ』というのは『ごう』のこと。仏教では業というのは負の要素だけでなく、良い行い、悪い行いの区別ではなく、行為、所作のことを指し、因果の道理によって『楽』や『苦』の報いが生じるとされている。良い行いをすれば良いことが、悪い行いをすれば悪いことが自分に帰ってくるという意味だろう。『自業自得』という言葉は後者の意味で使われるが、本来は負の意味だけではないと思える。

 俺もちゃんと勉強したわけではないが、和尚の元に身を置かせてもらっている者として、和尚の説教を聞き、自分でも普通の本屋で買える仏教の本を買って読んだりしている。さらさら学ぶ気のない天馬は鼻で笑うが、知っておいて損はないと考えている。

 自由時間に精舎で『初心者でもわかりやすい仏教入門』的な子供でも読めそうな本を読んでいると、和尚は何も言わずに頷くだけだ。そんな本を読んだって仏教の本質などわからないけれど知らないよりマシだ、と和尚は思っているかもしれない。

 いくら理解しようとしても、俺には受け入れられない部分が多い。当たり前のことを言っているようでもあるし、綺麗事に感じてしまうこともある。偏屈な人間の話を聞いているようで、途中で諦めてしまうことも度々ある。そんな本を読んでいても、黒い法衣を着ているだけで、僧侶としては偽物なのだ。


 蓮実は寺の中でカウンセリングを行なっているだけなので、彼女は普段着だ。最初は檀家さんから、家の人でもないのにと好奇な目を向けられるも、彼女の人当たりの良い性格で、今では檀家さんにもちょっとした相談を待ちかけられるなど頼りにされている。まあ檀家さんやご近所さんと相談なんて、世間話程度のものだ。ただ、人が人と関われば、揉め事なんてどこにでも生まれる。こんな静岡の田舎町でも、トラブルなんてそこら辺にゴロゴロと転がっているもんだ。

 和尚には家族がいない。結婚をして死別したのか離婚したのか、それとも結婚すらしていないのか、あまり詳しく聞いたことはない。子供もいない。俺たちの他にお弟子さんが2人いるだけだ。こちらは本物の僧侶。和尚もかなりの高齢なので、お寺を相続するのはこのどちらかのお弟子さんになるのではないか。和尚は「揉めるようなら、蓮実さんに相談しなきゃねえ」と冗談混じりに言う。


利休りきゅうくんが昨日、映像解析してくれたのよね」


 ああ、とだけ返事をした。蓮実は他のメールもチェックして、パソコンをパタンと閉じた。彼女は一休のことをちゃんと『利休』と呼ぶ。


 カウンセリングというものは、依頼者の悩みを言葉を介して解決に導く。専門的な知識を使って、時には悩み自体を吐き出させるだけの時もあったり、時には依頼者自体の考え方を改めるよう促したり、俺の浅い知識で言うのもなんだが、仏の教えと似ている部分が多い。悩みを言葉にして、それを言葉で癒しに導く。

 それでも依頼者の心が解放されない場合、実力行使に出るしかない。それが俺たちの仕事だ。


「さっき、陽夏ひなのところ?」


 蓮実は椅子を回転させ、こちらを向いて言った。『陽夏』とは彼女の娘のことだ。それにも、ああ、とだけ返事した。「ありがとう」と小さな声で返事をする彼女の横顔には少し暗い影が映る。


「じゃあ、お昼の後で、その映像見てミーティングしましょう」


 パッと笑顔に切り替え、明るい声で立ち上がった。カルマの部屋から出ようと引き戸を開けると、食べ物の匂いが流れ込んできた。俺も蓮実の後に続き、昼食の時間であることを確認し、台所へ向かった。





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