第13話 思ってたのと違う

 青い部屋から出て、また白い廊下を進むと、出たところは森の中だった。

 用意されていた馬車は一見アウゲにも馴染みのものだったが、よく見ると馬は金属質の鱗に覆われ、たてがみと見えたものは背びれだった。

 道は悪そうだったが、馬車は全く揺れなかった。しばらくすると森が途切れ、一面の青の中に出る。


(空……? じゃ、ない……)


 それは一面の青い花が作る風景だった。空の青と同じ色の花が、風に揺れている。


「空の中にいるみたい……」


 アウゲは窓枠に両手を乗せて、その風景に見惚れる。


「気に入りましたか?」


 蜜月を中断させられて、しばらくぶすくれていたヴォルフだったが、アウゲの喜んでいる顔を見て機嫌を取り戻した。


「ゼレの花ですよ」


「ゼレの?」


「ええ。人間界に持っていくと、どうしてかものすごく刺々しくなっちゃうけど、あれが本来の姿です」


「植えられる場所によって、姿も変わるのね……」


「もうすぐ王宮が見えてきますよ」


 ヴォルフが窓を開けてくれる。熱くも冷たくもない、乾いた爽やかな風が吹きこんだ。窓から身を乗り出したアウゲは驚きの声を上げる。道の先に見える壮麗な建物を、アウゲは知っていた。


「あれは……。王宮だわ。ギュンターローゲ王国の。戻ってきた……?」


 しかし周囲は青い花畑が続いている。


「人間界と魔界は、背中合わせの世界です。中でも人型の魔族の国は、一番近い姫さまの国の影響を受けてます」


 あとで、びっくりするようなものをお見せしますね、とヴォルフは楽しそうに言った。


 執事頭のメーアメーアに連れられて、王宮の中に足を踏み入れる。外観はアウゲの故郷、ギュンターローゲ王国の王宮そのものであり、アウゲの知っている範囲では、構造も同じと思えた。ただし、装飾や所々飾られている美術品はずいぶん異なっている。アウゲが立ったまますっぽり入ってしまいそうな白磁の壺を、これはどうやって焼いているのだろうと不思議に思いながら横目で見る。初めてなのに見覚えがあり、見覚えがあるのに初めてという、不思議な感覚だった。


 要所要所に、故郷の王宮と同じく近衛騎士たちが立っている。みな、若く美しい者だった。女性もいた。故郷に女性の騎士はいなかったので、女性でありながら近衛騎士になるとは、どれだけの鍛錬を積んだのだろう、機会があれば是非話をしてみたいと思う。


 廊下を進んでいくと、一際立派な、金で植物を模した細かな装飾が施された扉の前に出た。アウゲの記憶では、そこは、外国使節をもてなす際などに用いられる、謁見の間だった。


「ようやく来たのねぇ、待ちくたびれたわぁ」


 そこにいたのは、どう見てもアウゲとそう年の変わらない男性と女性だった。女性の方は、ゆるくウェーブした金の髪、深い青の目。明るい緑色の、チュールが何層にも重なったドレスを着ている。


「母上がうるさいから、仕方なく来たんですよ」


 ヴォルフが言う。


(母上!?)


 驚いてついヴォルフの顔を見上げてしまう。はっと我に返って、アウゲは慌てて礼の姿勢を取った。


「ご挨拶が遅くなりました無礼をお許しください。アウゲ・ギュンターローゲと申します」


「お顔を見せてちょうだいな、アウゲ姫。うふ、なんてお可愛らしいのかしら。アウゲ姫のことはもちろん、お生まれになったときから知っていてよ?」


(やはり、この方が、魔王陛下……)


 どうみても自分と歳の変わらない、ヴォルフにそっくりな女性をアウゲは呆然と見る。魔王は構わず、アウゲの頬に手を添え、身長の変わらないアウゲの顔を正面からまじまじと見た。


「嬉しいわぁ。わたくし、ずっと娘が欲しかったの。ねえ、王都の『サラ』というドレス工房はご存知? 今度、一緒にドレスを仕立てに行きましょう、もちろん2人で! 情緒のわからない男たちは置いていくの! ああ、楽しみだわぁ」


 魔王はアウゲの両手を取った。


「あ……は、はあ……」


(「サラ」といえば、王都一のドレス工房だけど……)


 毒が強くなる前の子どもだった頃、一度ドレスを仕立ててもらったと記憶している。魔王はちょくちょくギュンターローゲ王国の都に来ているのか。もう、何もかもがわからないことだらけだ。


「あ、こちらにもね、ドレス工房はあるのよ? でも、人型の魔族は希少種だから、選択肢があまりないのよねぇ」


「母上、もういいでしょう。触りすぎですよ」


 ヴォルフがアウゲを奪い返す。


「いいじゃないのよぅ、少しくらい。あなたは知らないのかもしれないけれど、触ったって減らないのよぅ?」


「おれの忍耐力が減るので」


「んもう〜、これだから男の子は。アウゲ姫、今度、ゆっくりお茶でもしながら日程の打ち合わせをしましょうね?」


「はい……承知いたしました」


「お顔がカタいわぁ。どうぞ、わたくしのことは、ローザとお呼びになってね? 仲良くいたしましょうね?」


 魔王は小首を傾げる。


「わたくしの方こそ、どうぞお願いいたします……」


(何か……色々……思ってたのと違う……)


「アウゲ姫、初めまして。魔界へようこそ。私は王配のヴァイスト・ギュンターローゲです」


 慌ててヴォルフの腕の中から逃れて礼を取ろうとしていたアウゲは、驚きのあまり硬直する。


「ヴァイスト殿下……? ヴァイスト殿下といえば、私の前に王配となったという……」


 しかしそれは、二百年以上前の話だ。目の前のヴァイストはどう見てもアウゲと変わらない年齢の若者だ。しかし、その声はヴォルフにそっくりだった。焦茶色の髪に、明るい緑の目をしている。魔王のドレスと同じ色だった。


「そうですよ。魔族と婚姻を結ぶことで、我々は魔族となり、それ以上老いることはなくなります。寿命は、ないわけではないが、人間の何倍もの時間を生きるようになります。人間界には、このことは秘せられています。不老長寿は人間の永久の欲望ですからね」


「そのうち、おじいさまやおばあさまにもご挨拶なさってね?」


 魔王ローザが言う。きっと、おじいさまとおばあさまも、見た目は変わらない年頃なのだろうな、とアウゲは思う。


「あ、そうだわ」


 ぽん、と魔王が手を打った。


「わたくしの伝言がなんだか間違って伝わったせいで、アウゲ姫には悲しい思いをさせてしまったそうでごめんなさいねぇ」


「伝言? 間違って……?」


 何のことだろうかとヴォルフを見上げる。


「ヴァイストがこちらに来る時、『必要なものはこちらで用意するので、何もいらない。安心して身一つで来てほしい』って言ったつもりが、伝言ゲームしてるうちに、『人の国からは何も持ってきてはいけない』ってことにされてしまってたそうじゃない。ヴォルフから聞いたわぁ」


「そう……だったのですね」


「そうなのよぅ。困るわよねぇ。だから……」


「あっ、ちょっ、母上、まだそのことは姫さまには伝えてないので」


「あらいけない。……それにしても、アウゲ姫はまっすぐ素直に育ってきたのねぇ。ヴァイストがわたくしと結婚した頃は、もっと病みまくりの拗らせまくりだったものだけれど」


「はは……そんな時代もあったねぇ」


 のんびりとヴァイストが同意する。


「おれの姫さまを父上と一緒くたにしないでください」


 ヴォルフが再びアウゲを腕の中に閉じこめる。


「あらぁ、拗らせまくった氷の心を、百年かかって溶かすのがいいんじゃなぁい」


「魔王としての母上は尊敬していますが、それはそれとして母上の恋愛観には、何一つ同意できませんね」


「嫌だわぁ。これだから男の子は。情緒ってものをわかってないんだからぁ」


「残念ながら、おれが娘でも同じことを言うでしょう。父上もぽやっとしてないで、なんとか言ってください」


「ヴォルフも仲間になれば、何も恐ろしくはなくなるよ?」


「お断りします。もう、御前失礼しますんで」


「えっ、あ、ちょっとヴォルフ……!」


 アウゲは礼をする間もなく、ヴォルフに腰を抱かれて引きずられるようにしてその場を後にした。



 目の前で扉が閉まると、ローザとヴァイストは堪えきれずに笑い転げる。


「うふふふふふ、ねえヴァイスト、見た!? ヴォルフのあの、執着剥き出しの顔!」


「あはは、そんなに笑っちゃ、ははは、悪いよ」


 そう言いつつヴァイストも笑いを抑えきれない。


「ああもう、あの子のあんな顔が見られるなんて、ねぇ」


 ローザは目尻の涙を拭いながらヴァイストを見上げる。


「やぁ、飄々とした彼にもあんな一面があったんだねぇ」


「やっぱり『正体を明かしてはならない』って条件をつけたのは、正解だったわねぇ」


「きみの手腕には恐れ入るよ」


 ヴァイストはローザの腰に腕を回す。


「正体を明かしてアウゲ姫に受け入れられていたらぁ、多分あの子は魔族であることを、捨てたでしょうねぇ」


「ギュンターローゲ王国の始祖みたいに?」


「ええ、そう」

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