第22話「文化祭」

 ついに文化祭当日が来た。うちの高校では土曜日に文化祭が行われ一般公開として学校関係者以外にお客さんが入ってくる。

 

 文化祭だからといって登校時間が早まるわけでもないのに僕はクラスで一番最初に教室に来ていた。というか緊張で朝早く目が覚めてしまい、二度寝して寝坊するリスクも考えた結果、起きるという選択をしただけだったが、早起きして家にいてもやることがなかったので、そこはかとない不安を補うように学校に来た。

 教室のドアを開けようとしたら鍵がかかっていて教室のドアが開いていないことに気がついた。うちのクラスはこんな早い時間にまだ誰も登校してくるわけないんだから当然と言えば当然のことだ。

 初めてこんなに早く教室に来て冷静な行動が取れていない自分に辟易する。

 職員室に教室の鍵を取りに行った。当番で早く出勤しているのだろうか職員室にも教師は1人しかいなかった。

 そして、教室に入りもう完成しているはずの装飾をあまり見栄えも変わらないはずなのに小さな修正を加える。

 正直、早く登校してももうやることはない。でも、文化祭が始まるまでの心を落ち着ける時間的な余裕が欲しかったのかもしれない。


 文化祭の資料を読んで段取りを確認していると教室のドアが開く音がした。

 僕は慌てて視線を上げると明島が登校していた。

「樹。おはよう、早いね」

「明島さんおはよう。なんだか早く目が覚めちゃって。明島さんも早いね」

 僕は文化祭本番が始まる緊張で早くなる鼓動を抑えつつ平静を装っていた。

「私もなんだか眠れなくて。それにみんなと朝練する約束してるから」

「そっか。でも、あんまり無理しないでね」

「大丈夫」

 心配しすぎだと思われたのだろう明島は少し強い口調で返答した。僕も改めて思ったが心配しすぎたかもしれないと少し反省した。明島は赤ん坊のように手取り足取り教えなくても自立して行動できるタイプの人間だ。

 お互い2人きりになるのは保健室以来だったから明島はどう感じているのかわからないが、僕は何を話したら良いかわからずしばらく2人の間で沈黙が続いた。

 もちろん、その沈黙を破ったのは明島の方だった。

「あのさ…」

「なに?」

「改めて。リーダー変わってくれてありがとう。後、保健室の件も」

「いや、僕はなにもしてないよ。みんなが協力してくれたおかげでなんとかここまでできたから」

「その言葉、1年生の樹だったら絶対言ってないよね」

 明島は微笑みながらグサっと僕の核心を突くようなことを言ってきた。確かに、1年生の時の僕だったらこんな発言はおろか文化祭に参加していたかどうかも怪しいだろう。それは、同じクラスだった明島がよく知っていると思う。

「樹も変わったよね。今までの樹だったら指名されてもリーダーなんて絶対やらないはずだったのに」

 明島の頭の良さを感じるところは、まるで僕の心の中を見透かしたような発言をすることだ。

「そうかもしれないね。そもそも指名されるほどの存在感もないし」

 そう自虐すると明島は大きな瞳を細めて苦笑いしていた。

「でも、僕の中で何か動き出したような気がしてるんだ」

 僕は自分が心に浮かんだ言葉をそのまま発言していたことを思い出して慌てて修正した。

「ごめん。なんか変なこと言って」

 明島が「ううん」と言って首を横に振っていた。

 明島は窓の外を見つめていた。

「私も変わらないとな」


 朝には各班の練習や準備に時間を当てている間に文化祭の開始時刻が迫っていた。

 流石に文化祭当日ともあって担任の福原は朝のHRのチャイムと同時に教室に入ってきた。

「今日は文化祭だ。お前らの集大成みせろよ」

 福原がシンプルにそうまとめるとクラスが「おー!」とやる気に満ちていた。


 5組で行うジャズバー風のカフェでは内装や装飾を担当していたメンバーが接客を担当することになっている。つまり、僕も接客することになっている。

 僕らの衣装は白いワイシャツの上に黒のベスト、蝶ネクタイ、男性は黒のチノパン、女性はスカートにしてジャズの雰囲気を壊さないようにシンプルにした。

 

 ついに公開時間になり、他校の生徒や中学生、大人も様々な年齢のお客さんが学校に入り、他クラスの生徒は1人でも多く集客しようとクラスの出し物を最大限に誇張した看板を持って廊下を歩き宣伝に力を入れているのがわかる。その光景を見ていると文化祭が始まったこと改めて実感する。

 宮橋は「頑張れよリーダー」そう言い残してサッカー部の演劇に行った。そのため、2年5組の文化祭クラスリーダーは僕1人になる。

「よし!俺らも始めようぜ!」

 気合十分にそう言ったのは僕ではなく柿原だった。

 僕も含めクラスのメンバーはいつお客さんが来てもいいように準備を整え、吹奏楽部と明島も演奏を始める。

 2年のフロアで楽器を使っているのは僕らだけだからかもしれないが、その音色に釣られるようにお客さんが次々と入店してきた。

「あのカフェでピアノ弾いてる子がめっちゃかわいいから見に行こうぜ」そんな声も聞こえてきた。実際これも集客の作戦の一つだ。

 初めに入店したお客さんを見つけると柿原はすぐに話しかけ席に案内していた。

 僕は当然のことながらかなり人見知りするので柿原のようになんの躊躇いもなく初対面の人と話しかけるコミュ力を目の当たりにすると羨ましく思える。そう思いながらぼうっとしていると急に肩を叩かれた。驚いて振り向くと大場がいた。

「なに驚いてんの樹。はいアイスコーヒー、初来客だからリーダーが」

 といって、手に持っているアイスコーヒーを僕に渡した。

「ああ、そうだね」

 そう言ってアイスコーヒーを手に取り友達同士で来たであろう、高校生か中学生くらいの女性2人が座る席に持っていった。

 そこまでしてようやく無事に文化祭を始めることができたことを実感した。頼りないリーダーながらも何とこここまでやってこれたんだ。そう思えた。


 始めに来たお客さんを皮切りに続々とお客さんが入店してきて、教室内も忙しくなっていた。

「天野、カフェラテ5番テーブルね」

 カウンターでドリンク作成を担当するメンバーから声をかけられた。

 カウンターですぐに作れる飲み物は作り、調理が必要なメニューは家庭科室で作っている。だから、ドリンクは比較的早く提供できるため回転が早い。

「わかった。ありがとう。5番だね」

「天野、それカフェオレ、カフェラテはこっちな」

「え?そうだったんだ。ごめん」

 全く見た目が一緒でカフェオレとカフェラテの違いがわからず困惑した。本番になっても小さなミスばかりしてるしてる自分が嫌になって、まさか自分だけでは?と思って周りの様子を見ているとみんなテキパキと仕事をこなしていることに驚いた。 


「こちらミルクティーとホットケーキになります」

「うわぁ美味しそう。ありがとうございます」

 大場は器用にやっているように見える。まるでカフェでバイトしていたことがあるかのようだ。それに、女性客が大場目当てで来客する人もいるようで、大場が通りかかるタイミングを見計らってわざと注文して話すきっかけを作ろうとしている他校の女子をさっきから散見している。


 柿原に至っては僕らが忙しい時でもお構いなしで、お客さんの席に平気で座って初対面にも関わらず、まるで友達と会話しているような雰囲気だ。改めて思うけどこういう接客の仕事で柿原のコミュ力が羨ましい。

 烏丸さんは僕に似て相変わらず無愛想だった。いや、僕とは少し違うタイプかもしれない。僕は初対面の人と話す時、緊張するけど烏丸さんからはそういう感じは全くしないし、むしろ物おじせず堂々と振る舞っているように見える。ただ単に人に興味がないと言ったところだろうか。


 こうやってみると1人1人考え方や振る舞いが全く違うことになんだか面白みを感じていた。

「天野、早く持っていって」

「あ、ごめんごめん」

 とりあえず、なんとか店が回ってるからよかった。

 

「お!オシャレなカフェじゃん」

「あれ開英高校の制服じゃん」

 県内で最も偏差値が高い開英高校にそう特別視する声が聞こえた。

「いらっしゃいま…」

 そこまで言いかけ時だった。

 僕の視線の先には開英高校とその他の高校だろう、制服を着た男子3人がいた。

 その3人の姿は自分の脳内からは消えたと思っていたが、僕の脳はそこまで器用ではなく時がたった今でも鮮明に記憶に刻み込まれている人間。

「よう、天野。久しぶり」

 今まで僕にしてきたことなど全て忘れて、まるで友達のように井上は僕にそう言った。

 彼らを見た瞬間、急に呼吸が荒くなった。そして、中学生のころ殴られた時の腹部への鈍痛が急に蘇る。逃げても逃げても逃げきれない、壁に追いやられた捕食寸前の子鹿のような無力感。 

 同じ街に住んでんだもんな、そりゃ会うよな。

 そう言い聞かせた。

 クラスの前で余計なとこを見せるわけにはいかない、そう思って表情を押し殺し、僕は平静を装った。


「お前倉西にいたんだな。せっかくだし一緒に座ろうぜ」

 話している僕らを見た柿原が駆け寄ってきて僕の肩を組んだ。

「なんだ、天野の友達か。そしたら4人席へどうぞ」

 まるで鼻歌でも歌うかのように柿原は席に案内した。今だけ柿原のコミュ力を恨んだことはない。でも、柿原がいなかったとしても結果は変わらなかっただろうけど。


 僕らは席について注文した。

「この前、お前のこと駅の近くで見つけたんだよ。見た目変わったから初め気づかなかったよな?」

 安田と大西が頷いた。

「最初に見つけたの井上くんだからね。よかったな覚えててもらえて」

 安田は井上に媚びるところは未だ変わらないらしい。そんな余計なことを思い出していた。

 でも状況はそういうことか、だから僕がこの学校に通ってるのがわかったわけか。つまり、僕の平穏はここで終わるわけだ。

「あの時一緒にいたの友達か?」

「うん」

 僕がそう言うと、なにがおかしかったのか3人が鼻で笑った。

「お前にも友達できるんだな」

 隣に座る大西が周りに聞こえないようにしながらしっかりと僕の目を見て小さく囁いた。

「調子に乗んなよ」

 井上がコーヒーを飲み干してカップを机に置いた。

「ちょっと来いよ」


「天野ちょっと借りていい?」

 井上は声を使い分けているかのようにさっきまでの声とは違って高い声だった。きっと彼は人によって声を使い分けているのだろう。小学生の頃からこうやって人によって対応を変える器用さで人脈を気づいてきたことを僕は見てきた。

「おお、いいよいいよ。行ってらっしゃい」

 柿原は井上がそういう人間とは知らず「楽しんでおいで」とでも言うかのように僕に手を振っていた。きっと、柿原はこの3人と僕が仲良しだと思ってるのだろう。

 僕らが教室を出て下駄箱に向かって歩いている途中、サッカー部の演劇を終えた宮橋と出会った。

「ようリーダー。その人たちは?友達?」

 僕は無言で頷くと大西が「そうそう。同中。天野ちょっと借りまーす」といって僕の肩を組んできた。

「そっか。楽しんでこいよ」

 大西に騙された宮橋は走って5組の教室へ向かっていった。

「驚いたなお前リーダーなんてやってんの?」

「本当、きもいわ」

「きもいきもい」

 大西が僕の肩を掴む力を強めて肩の痛みで思わず顔をしかめた。


 井上に連れられて、文化祭中で人気のない体育館裏に来て安田が周りに人がいないことを確認して井上に伝えると、井上は腕を僕の肩に回した。井上の腕が僕の肩から伝わる感触から筋肉質な腕の形状が伝わってきて、まるで僕の体が包み込まれて自分よりも一回り大きな動物に威嚇されているような恐怖を感じていた。

 そして、内緒話でもするかのように僕の耳元で囁いた。

「LINE交換しようぜ」

 それが狙いだったのか。高校進学を機に関係を断ち切ったつもりだったけど、どこまでも逃がさないつもりなんだろう。

 視線を移せばすぐ左隣に井上、そして右には大西がいる。血の気が引いていき、体に力が入らないどころか動かす気にもなれない。僕は何を思ったか2人の間から見える、力なく生える細い植木の葉を呆然と見つめて口だけは自動的に動いていた。

「なんで?」

 連絡先を渡したくない。また、あの時と同じこと繰り返したくない。そんな思いから僕は答えを先送りするように理由を尋ねた。

「俺らお前と仲直りしたいんだよ」

「…」

 なにも答えられない。嘘だと知ってるからだ。

 そうして沈黙していると僕が見つめていた植木の葉がひらひらと地面に落ち、腹部に重い衝撃を感じた。その瞬間、今まで蓋をしていた小学生の頃から中学生まで井上たちに振るわれた嫌がらせの記憶がフラッシュバックするように流れ込んできた。


 またか。またこうなるのか。


 さっきから体に力が入らず腹部の痛みから倒れ込もうとしたが、井上が片腕で僕のこと引き戻した。

「倒れると目立つだろ。俺らいじめてるみたいじゃん」

 まるで全身の骨が抜き取られたかのように体のどの部分にも力が入らなかった。

「もういいや」

 井上がため息をつくようにそう言って諦めたのかと思ったが、そんな期待はしないほうがよかった。常に最悪の状態を想定しておくべきだ。

 井上は僕のポケットに入ってるスマホを抜き出し、大西に投げた。

「ロックかかってる」

「暗証番号言え」

 手間をかけたくないのか2人の会話は短いやり取りだった。

 しばらく黙って、僕は言わなかった場合のリスクを考えた。


「ほらよ。仲直りしようぜ天野君」

 大西は僕のポケットにスマホを戻して肩を叩いた。

「一応言っとくけど、LINEブロックすんなよ。お前ここの高校通ってんだろ。わかるよな?」

「井上君そろそろ行ったほうがいいよ」

 見張りをしていた安田が帰ってきた。

 それを聞くと井上は肩を組んでいた腕で僕の背中を叩いて「じゃあな天野君」と不敵な笑みを浮かべてその場を離れた。


 僕は彼らの姿が見えなくなると学校の敷地を囲う金網に寄り掛かり、カシャっという音をたてそのまま座り込んだ。

 腹部の痛みを再び感じて、吐き気がする。これが殴られた痛みが原因なのかどうかはわからない。こんなところ誰かに見られたらどうしよう、そう思っていたけれど一人になりたかったからしばらくはこうしていたかった。


 空を見上げると非情なまでに雲ひとつ無い快晴で燦然と輝く太陽をこれほどまで憎いと思ったことはない。校舎内からは楽しそうな子供の笑い声が聞こえる。自分の感情と外から感じる感情が全く違うことに自分がこの世界からまるで孤立しているように思えた。

 もし、神様が存在するなら僕は今頃こんなところには座り込んでいないだろう。もしかしたら楽しい学校生活を送っていたのかもしれない、今頃文化祭を心の底から楽しめるような人間になっていたかもしれない。

 でも、僕は神が存在しないことを知っている。今まで願ってきたことは何一つとして叶ったことがないからだ。

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