第20話「期待され続ける代償」

「あれ、樹君」

 そう言うと明島は今まで眠っていたとは思えないぐらいスムーズに上半身を起こした。

「おはよう。明島さん。体調はもう大丈夫?」

「おはよう。もう大丈夫。ごめんね心配かけて」

 明島は起きたばかりにもかかわらずいつも通りに返答しているが、今の姿をあまり見られたくなかったのだろう無理して笑顔を作っているように見えた。

 やっぱり起きてすぐに目の前にいるのはよくなかったのかもしれない。そう思案している時だった。明島はすぐに状況を理解したのだろう。

「樹君。私、すぐ戻らないと。文化祭の仕事途中のままにしてきちゃった」

 自分が倒れてもなお、文化祭のクラスリーダーとしての業務を遂行することを考えていることに驚いたが、僕はその驚きを表に出さぬようにしまい込み、いつも通りの笑顔を貼り付けた。

「それは、もう大丈夫だよ」

「良太がやってくれたの?」

「いや、そういうわけじゃなくて…」

 明島が責任感の強い女性なだけに途中で交代になったことは言い出しづらく口籠もって僕は目線を下げて意味もなくベットを見て、次に何を言うべきか考えていた。本当はそれを言いにきたはずだったのに。

 様子を見かねた明島が「どうしたの?」とその大きな目で僕を覗き込むように言ってきたので、もはや言わざるを得なかった。

「僕が明島さんの代わりにリーダーをやることになったんだよね」

 目線を逸らして、人差し指で頬を擦りながら言う。

 それを聞いた明島はずっと平静を装っていたように見えたがその時だけは、隠しきれずに一瞬目を見開いたがすぐに元に戻った。

「やっぱり、僕じゃ頼りないかな?」

「いや、そんなこと…」

 そう言いかけて、ベットから起き上がって上体を起こしていた明島は息を吐き、なんだか肩の力が抜けた様子だった。

 そして、さっき言いかけたことをもう一度最後まで言い直した。

「そんなことないよ」


「ごめんね。樹君こんなみっともない姿見せちゃって」

「みっともなくないよ。明島さんはゆっくり休んだほうがいい」

「樹君ならそういうと思った。なんかさ…」

 途中まで言いかけると一つ息を吐き、明島の視線は保健室の天井を見つめていた。

「樹君は1年生の時からどんどん変わっていくのに私は全く変われないんだな」

「どういうこと?」

「今、時間ある?」

「うん」

「ちょっと話してもいい?」

「いいけど…」

「舞香また100点だったのね。えらいわ」

「舞香の頭の良さは母さん似だな」

 運動でも勉強でも成績上位を取ると両親は心の底から喜んでくれる。

 だから、両親からは常に結果を期待されているし、私も結果を残すために今まで努力してきた。


 私は自分で言うのもなんだけど、小学生の時から運動も勉強も学年でいつも上位だった。スポーツテストでは学年で上位だったし、体育祭でリレーをやる時はいつもアンカーを任されていた。テストだって、中学に入学してから学年順位は二桁まで落ちたことは一度もない。学級委員や生徒会だって自分から引き受けることもあったし、周りから推薦されてやることもあった。

 だからといって、テストや運動でも上位をとってクラスで注目を集めたいとか、みんなからチヤホヤされたいとか、そういう承認欲求は一切なかった。

 人間関係でも、運動や勉強で結果を残して、生徒会とか学級委員をやっているとクラス内での立ち位置も上位になって周りから人が集まってくる。もちろん、友達になるのは集まってくる子だけじゃなく私から声をかけて仲良くなった子もいる。

 そうやって、勉強でも運動、人間関係だって良い成績を残したら親が褒めてくれるし、その期待に応えることを喜びの糧にしてなんでも頑張れた。

 でも、小学生まではそれで済んでいたんだと思う…

 

 私にも良い結果を残し続けるのには流石に限界があった。

 中学2年生の頃、苦手な理科をどうしても勉強するやる気が起きなくてあまり勉強せずに望んだことがあったけど、その結果70点しか取れなかったことがある。そのせいで学年順位も普段は1位から5位の間にいたけど、一気に落ちて9位まで下がった。

 だから、教師から返されたその答案に書かれた点数を見た時に家に帰った時のことを想像するだけで鳥肌がたった。

 父と母が納得してくれるにはどんな言い訳がつけるだろうか?理科のテストが無くなった。それじゃあ、友達に聞かれてすぐバレてしまう。先生が体調を崩した。もっとわかりやすい嘘だ。そんなくだらないことを咄嗟に考えていた。

 上手い言い訳が思いつかず、結局親にテストを見せた時、両親の目はまるで不良品になった機械でも見てるかのように私のことを見ていた。

「あなた、こんな点数を取ってよくのこのこと帰ってこれたわね」

「ごめんなさい。これからもっと勉強します」

「当然でしょ。あなた、こんな成績二度と見せないでくれる」

 そう言われて私は部屋に閉じ込められた。

 この出来事が、私は結果を出し続けなければ両親にとって価値がない存在。そう強く思った瞬間だった。

 それ以来、親の期待に応えるように私は必死に勉強して学年順位は1位を取り続けた。

 これまでの私の考えは甘かった。そう思った私は、苦手科目だろうがなんだろうが自分の力で結果を残すことだけを考えて全ての活動に全力を注いできた。


 うちの中学はテストの結果は学年順位上位10名は名前が掲示板に張り出されている。

 なので、順位が張り出されると誰がランクインしているのか興味を持って見にくる人が多い。

「すげぇ、明島また1位か」

「1位はやっぱ安定だな」


「舞香また1位じゃん、すごい」

「舞香はいいなぁ頭良くて。私なんてまた順位半分以下だったし」

 順位が張り出されるたびに友達は私のことを羨ましいと言っていた。

 だから、周りは私のことを常に1位であり続ける存在だと思っている。結果を残せば残すほど私にそんな期待が膨れ上がっていく。


 ある日の掃除の時間、用具室にほうきを取りに行った時だった。同じクラスの女子3人が掃除の時間にもかかわらず近くにある倉庫の裏で話していた。

 彼女たちに気づかれないように近づいて話してる内容に聞き耳を立てていると、どうやら私のことを話しているようだった。

「明島さんってなんでもできて羨ましいよね」

「また、テスト1位だったもんね。成績優秀だし、スポーツ万能だし、友達も多いし、彼氏もいるし、モテるし。いいなぁ」

「明島さんってなんでもできるから悩みとかなさそうだよね」

「ないでしょ。悩んでてもなんでも自分で解決できそうだもんね」

「だよね。全て手に入れてるって感じ。私、生まれ変わったら明島さんになりたいな」

 これがクラスのみんなが私に対して抱く印象。

 でも、実際の私は彼女たちが考えるような私じゃない。親やクラスのみんなから期待されて押しつぶされそうになっている。弱い人間だ。 

 もし次のテストで1位じゃなかったら、学級委員としてクラスをまとめられなかったら、友達と喧嘩してしまったら、体育で恥ずかしいミスをしてしまったら、部活で成績が下がったらどうしよう、自分の弱さがバレたら、そんな不安が毎日私を襲ってくる。

 運動だって勉強だって親も学校のみんなも「明島舞香だったらできて当たり前」そう思われているからその期待に応え続けなくてはいけない。

 時々、この重圧を全てを投げ出すことができたらどんなに楽になれるだろうと考えることがある。でも、そんなことしたら親や学校のみんなが私のことをどんな目で見るんだろうと想像すると鳥肌が立って恐怖を感じる。

 そんな中、ある出来事が起こった。


 中学3年生の時、当時付き合っていた彼氏と些細なことで喧嘩したことがあった。

 学級委員の仕事や陸上部の活動で忙しくなって他クラスにいる彼氏とは学校で会うことや一緒に帰る頻度は少しずつ減っていった。

 彼氏からはせめて電話したいと言ってきてくれたけど、家に帰っても勉強をしなけれればいけないので電話もあまりできず、そんな状況に我慢していた彼氏も機嫌を悪くしているようだった。

 私だってどうにかしたいと思っている。彼の機嫌を良くしてあげたい。でも、こういう時はどうしたらいいんだろう?誰かに相談したい。初めて経験することで自分の頭では良い解決策が思いつかない。

 悩んで誰かに頼りたいと思う時、いつも倉庫裏で聞いたあの3人の会話が頭によぎる。


「明島さんってなんでもできるから悩みとかなさそうだよね」

「ないでしょ。悩んでてもなんでも自分で解決できそうだもんね」

「だよね。全て手に入れてるって感じ。私、生まれ変わったら明島さんになりたいな」


 周りが作り上げた明島舞香の理想像を演じるように生きてきた私にとって人に相談する、人に頼るという行為がどうしてもできなかった。

 人に頼るということは自分では解決できない問題が存在する。つまり、自分の力不足。そんな、恥ずかしい姿をなんでもできると期待されている私は誰にも見せたくなかった。

 1人でもそんな姿を見せてしまったら学年全体で私の噂が広まってしまうのではないか?今、思えば考えすぎだと思えるかもしれないけど、そのぐらい人に頼ることが怖かった。

 だから、自分の問題は自分で解決する。人には頼らない。それが、私であり、そうするべきだと思っていた。

 そんな中学生活を送っていたけど、受験のストレスからかやっぱりその重圧から解放されたい。限界を迎えてそう思った時期があった。

 あの時は中学生だったし、反抗期だったことも影響していたのかもしれない。


 期待に応え続けることから解放されたい。そう考えた私は県内で最も偏差値が高い高校である開英高校を受験せず、あえてレベルを下げて倉西高校を選んだ。今思えば、これが私の親に対して初めて反抗した出来事だったかもしれない。

 当然、親は私が開英高校に行くと思っていたため、それを裏切ったような形になったから、私に対して失望していた。

 倉西高校の合格通知を母に見せたとき「そんなもの見せないでくれる」と喜んでくれることは一切なく、目を見てもくれなかった。

  中学の友達もなぜ開英を受けなかったのか聞いてくる子が多かったし、担任の教師ももちろん聞いてきた。その時は、開英より通いやすいからとか制服が可愛いからとか理由をつけてその場を凌ぐために理由を作っていた。でも、そんな理由でもみんな納得しているように見えた。

 でも、本当の理由はこんな生活をまた続けるのが怖いから、だなんて誰にも言えなかった。

 開英に言ったら今よりもテストで競争が激しくなるし、親も求めるレベルが上がるはずだから行きたくない。理由はそれだけだった。


 高校受験を終えて以降、親は私に何も期待しなくなった。というか、あれ以来、私に無関心になったんだと思う。

 多分、私が高校2年生になって予備校に通いたいと言ったらすんなりと許可してくれたのも期待に応えられない娘とは同じ空間に一緒にいたくないと思っていたから、私を遠ざける意味で入れたんだと思う。

 でも、親が私に期待しなくなったからといって私の中で肩の荷が降りたような感じは全くしなかった。なにか、重要な問題に目を背けているようなそんな感覚だけが私の中には残り続けた。

 その自分の中に残り続ける問題が何かわからず、高校に進学しても結局今まで通り勉強をしてテストで結果を残して、学級委員も自分から立候補した。部活には入らなかったけど、友人関係にも恵まれて1年生の時から友達もできた。

 でも、ある日家に帰って鏡に映る自分を見た時に、まるで中学生の時の自分を見ているような、そんな感覚があった。

 高校生になってまた同じことを繰り返している。親の期待を初めて裏切って倉西高校に来たけど、結局行動を起こしたのはそれだけで私自身は何も変わってない。


 ただそんな高校生活を送る中で私と同じような何かを感じる人と出会った。

 それが天野樹だった。

 高校1年生の時、樹君が私の席の隣になった。あまり多くは会話しなかったけど、彼と話していて感じたことがある。 

 彼は話している時は目線はこちらを向いている。でも、人を見ているようで見ていない、目の奥はまるで闇に包まれているような、そんな感じがした。

 1年生の頃の樹君を見ていると、人との関係を拒んでいるように見えた。人と話している時は表情は笑っていてもそれはまるで笑顔の仮面をかぶっているように見えた。クラスの打ち上げや誰かが樹君を誘うと樹君はまるで作り慣れているような笑顔で断っていた。だから、彼も部活をやっていないし、帰りのHRが終わるとすぐに教室を出ていってしまう。

 だから、何かを隠し続けている。そんな共通点を彼からはなんとなくだけど感じていた。


 2年生になってまた樹君と同じクラスになって初めの頃は1年生の頃と変わらない様子だった。 

 でも、良太と出会ってから樹君は変わっていったんだと思う。

 ある日、良太から樹君の様子がおかしいと急に呼び出されたことがあった。その理由が小学生時代の出来事がきっかけなんじゃないかとか、伊達メガネの話とかいろいろと聞いていて、1年生の時に感じた樹君の違和感についてなんとなく謎が解けたような気がした。 

 それから、良太と何があったのかはわからないけど、2人とも傷だらけで学校に登校してきてから樹君は徐々に光を取り戻したように1年生の頃とは性格が変わってきていた。 

 だから、いつまでも変われない私は樹君を見ているとなんだか取り残されていくような、そんな寂しさを感じていた。


 でも、今日ようやく私も前に進めるのかもしれない。

 私はいつまで経っても自分の欠点から目を背けている。だからこうやって、自分が倒れて身を削ってようやく気づくんだと思う。

 頼れる人がいるってことを。人を頼っていいんだってことを。自分の弱さを見せてもいいんだってことを。


「だから…」

「だから、樹君に次のリーダーお願いしていい?」

 明島は何か吹っ切れたようにさっきまで作っていた笑顔ではなく、心の底から湧き出てきたような笑顔で僕にそう頼んだ。

 僕が頷いたら明島はなんだか満足げな表情を浮かべていた。

 だから僕も明島の話を聞いて思わず言った。

「明島さん」

「何?」


「頼っていいんだよ」


 そう言うと、明島は力強くうんと頷いた。

 この言葉は明島に対して言ったつもりだったけど、まるで自分にも言い聞かせるようにして言ったような気がした。

 

 明島は僕とは対照的な存在だと思う。これは性格的にも紛れもない事実だ。明島の周りには人が集まるし、いくら他人の期待に応えるためとは言いつつもクラスではまるで太陽のような存在だ。その明島をみんなも認めているから周りには人が集まる。

 しかし、それと対比すると僕は影のような存在かもしれない。同じクラスでも話したことがある人数は数え切れるほどだ。いつものあの4人と、柿原、長内、林ぐらいだろう。

 でも、全く対照的な僕らだけど共通していることがある。それは、誰にも言われたくない、気づかれたくない深い過去があることだ。明島は正直、僕が今まで見てきた感じでも、何不自由なく今までの学生生活を送ってきたように見えていた。でも、彼女から今回の話を聞いて始めて、遠くにいた彼女がなんだか近くにいるような、そんな気がした。 


 みんな誰しもが気づかれたくないことの一つや二つがあるものなのだろう、人の過去、本心を今日初めて聞いてそう感じる。表面では何も悩んでないように見えていても、実際にその人の内面を見てみると深刻な悩みを抱えていることだってあり得るのかもしれない。


 そう考えていた時、いつも通りの明島に戻ったように急に顔を赤らめた。

「ていうか、樹君。私が起きるまでどのくらいそこに座ってたの?」

「20分くらいかな?」

「ずっと、私が寝てるとこ見てたの?」

 そういえば、色々と考えていてずっとここで座っていた。だから、なんて言い訳していいかわからずまた視線を逸らして回答を濁した。

「いや、それは…」

「私いびきとかかいてなかったよね?」

「いや、それは大丈夫だったよ」

「本当に?」

 そう言った時だった、廊下からバタバタと走ってくる音が聞こえた。 

 その音は保健室の前で止み、静かにドアを開けて、一言添えることもなく明島がいるベットのカーテンを開けて言った。

「遅れて悪りぃ。明島大丈夫か?」

 宮橋が息を切らしながらそう言った。

「ありがと良太。もう大丈夫だよ」

「そっか。体調戻ってよかった。休憩中に走ってきたんだ。でも、もういかねぇと」

 僕らの顔を見て安心したようで宮橋はそう言い残してすぐに行ってしまった。


 慌ただしく宮橋が去った後、しばらくの沈黙が続いてから明島が口を開いた。

「ねぇ、樹君」

「何?」

「樹って呼んでもいいかな?」

「別にいいよ」

「そっか。樹も私のこと下の名前で呼んでもいいんだよ?」

「まあ、考えておく」

 明島は何か納得のいかない表情をしていたが、それでも何か吹っ切れたようなそんな晴れやかな表情をしているようにも見えた。


 

 

 


 

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