第2話「始まり」

 吉永翔太の葬儀が行われたのは小学6年生の2月だった。

最近は、春の兆しを感じるような暖かい日が続いていたが、葬儀の日は2月にしては冬が戻ってきたかのように寒く、どんよりとした黒い雲が立ち込めて、今にも雨が降りそうな空だった。



 翔太が亡くなったことはいまだに信じられない。

 出会った時からいずれこの日を迎えることを知ってはいたけど、いざその瞬間に直面してみると実感が湧かない。

 また明日も翔太と学校で会えるのではないかと思ってしまう。


 吉永翔太は小学6年生の9月に父の仕事の都合で転校してきた。

 最初は僕の心の内側に図々しく踏み込んでくるようなやつであまり印象は良くなかった

でも、彼はお構い無しで僕の心の中にある錆び付いて開かなかった扉をこじ開けて、暗闇に包まれた空間を眩しい光で照らし出してくれた。

 翔太と過ごす日々は同じ学校という空間にいるんだけど他の生徒から僕らだけまるで違う世界にいるかのように特別な時間…だった。


でも、君はもういない…。


光源がなければ闇は照らせない。


扉の向こうの明るく照らしていた光が少しずつ闇に呑まれ、錆びた扉が軋むような音を立てながらゆっくりと閉じ、その日から再び僕は心を閉ざした。



・・・・


 性格が暗い、大人しい、集団行動が苦手。

 たったそれだけでも小学生の集団生活で嫌われる対象になるには十分だった。一度、目をつけられたら逃げることはできない。いじめとはというのはそういうものだ。


 放課後、体育館裏での出来事だった。

「お前きもいんだよ!」

 胸ぐらを掴まれ突き飛ばされる。

 僕のことを突き飛ばした人間は井上大成という。クラスの中心的存在の人物でいつも大西、安田の子分を従えて我が物顔で学校を闊歩している。

 こういう人間に限ってスポーツも勉強もできる。だから、教師の目につかなければ悪さをしても皆、見て見ぬ振りをして誰も広めない。それどころか、スポーツも勉強もできるという時点でクラスの彼に対する信頼は厚い。

 スクールカーストで言えば彼は頂点で僕が底辺になるのだろう。

 小学生は体格差が顕著だ。体格が良い奴は強い、悪い奴は弱い。僕は後者だ。体格が良かったらこんな小学校生活は送っていなかったかもしれない。そんなことはどうでもいいか。ないものねだりをしてもしょうがないし、おそらく結果は同じだろうから。



 突き飛ばされた僕は体育館通路の塀に体を打ち付けてそのまま座り込んだ。

 相手はまるで悪を成敗したかのような満足げな顔をしている。

 こういう生活に慣れすぎてもう何も思わなくなった。感覚が麻痺してるのだろうか?

というか、どうでもいい…。

「天野触ったから天野菌が付いたわ!きったねぇ手洗ってこよーぜ」

「行こ!行こ!」

「さすが井上君!強いなぁ」

 安田が井上に対して尊敬の眼差しを向けながらそう言っていた。

「当然だろ!俺は正義のヒーローだぜ!」

 正義ってなんだ?もう考えるのもめんどくさい。

 井上は子分2人を連れて体育館裏から姿を消した。

 僕の視界は暗闇に包まれて、人気のない体育館裏で聞こえる草や木々が擦れる音は意識と共に次第に消えていく。



・・・


 どのくらい眠っていたのだろう?次第に視界が明るくなり、誰かの声が聞こえる。

「大丈夫?立てる?」

 放課後の人通りのない体育館裏に聞き覚えのない声が聞こえた。

 小学校6年間で自分に味方なんていただろうか?と記憶を呼び起こしてみるがそんな人はいない。

 とりあえず顔を上げて質問に対し頷いて返答した。


 そこには色白で細い手が僕に向けて差し伸べられていて、しばらくその手を見つめた僕はその好意を受け入れて手をつかみ立ち上がる。


「あ、ありがとう。」

 僕は呟くようにお礼を言った後、色白の彼は言った。

「俺は明日この学校に転校予定の吉永翔太っていうんだ。よろしくね。君は?」

 今の僕の言葉に自己紹介に繋がるキーワードが入っていただろうか?と疑問に思ったが深くは考えないようにした。

「あ、よ、よろしく。僕は天野樹」

「樹かよろしく。てか、見ちゃったんだけど、あいつらにやり返さないの?まだ近くにいると思うよ」

「いや…」

「なんで?やられたままじゃ悔しいじゃん」

 何をいってるんだ。この場が過ぎ去ったら僕はそれで満足だ。

「やり返したら。また、仕返しに来るから」

「君は優しんだね」

 優しい?どこがだ?

「優しくなんかないよ。弱いだけだよ。あいつら僕の顔見れば嫌がらせしてくるから」

「そうかな?君みたいに我慢出来るやつの方がずっと強いと思うけどな」

 そんな考え方をしている人がいるのか。いつでもやられる側が弱く、やる側が強いという決めつけた考え方をしていないことに驚かされた。

「でも、俺だったら返り討ちにしちゃうかも」

 笑いながらそう言っていたが、彼なら本当にやりかねないだろうという確信もあった。

「いや、流石にそれはよくないと思うけど…」

「まぁいいや。俺まだ、友達いないから少し話そうよ」

 そう言って僕らは体育館裏の階段に座り込みしばらく話した。

 家族以外とこんなに長い時間話したのは初めてかもしれない。話すと言っても、一方的に彼がしゃべってきただけだったけど。


 日が差していた外は気がつくと薄暗くなり吉永の母親が担任の先生と話し終えたのか吉永の名前を呼ぶ声がする。

「翔太〜翔太〜」

その声を聞いた吉永は返事をする。

「は〜い」

 所構わず大声を出すような性格の遺伝子は恐らく母親譲りなのだろう。

 体育館通路を歩きながら息子の名前を呼ぶ吉永の母親が息子の返事にすぐさま気づき駆け寄ってくる。

「あら翔太!。もうお友達できたの!翔太のコミュ力は私に似て良かったわね!」

「うるさいなぁ。それよりさ、さっき友達になった天野君だよ」

 吉永の発言の内容から強制的に僕が話す流れだと感じたので、とりあえず自己紹介をする。

 吉永の母は込み上げてきたものを全て吐き出すかのように僕にマシンガンのごとく話しかけ始めた。

「翔太と仲良くしてくれてありがとうね!そうだ!天野君うちでご飯食べてく?天野君はどこに住んでるの?うちの息子はバカでね、勉強教えてあげてねぇ…(以下省略)」

 吉永の上機嫌な母はこの後、うちで夕食を食べていかないか?と誘ってきたが、なんとか断り、挨拶を交わしてその日は彼らと別れた。

 僕は外が真っ暗になる前に1人帰路につく。


 歩きながらさっきの出来事や彼と話したことが頭の中で想起される。

 さっき2人で話したことを整理すると彼は隣街から父親の転勤で引っ越してきたらしい。家族は転勤族で引っ越しはよくするそうだ。

 でも、なぜ僕に言ったのかは知らないけど、最も記憶に残ったやりとりがある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「でも、この学校にはどのくらいいられるかな〜」

「また引っ越すってこと?」

「違うよ」

「じゃあ、何でいなくなるの?」

「僕、病気なんだ。しかも、治るかどうかもわからないんだよね」

「え?」

 一瞬何を言っているのかわからなかった。そもそも、出会ってまだ数分しかたってない人間に病気のことを打ち明けるのか?冗談だと思って初めは本気にはしていなかった。

 僕のことを騙してるのか?そう疑問にすら感じていた。

「だから、この学校に長くいられるかわからないんだ」

 ただ、彼の話している姿から嘘を言っているようには見えなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 何事もなかったかのように次の日を迎えたが、いつもとはちょっと違う朝だった。

 朝の会を迎え担任の教師は言った。

「今日から皆さんに新しいお友達ができます。ぜひ仲良くしてくださいね。では吉永くんお願いします」

 小学6年生の9月。卒業まで残り半年というこの時期に1人の転校生が現れた。

「吉永翔太って言います。隣街からお父さんの仕事の都合で転校してきました。うちは転勤族なんで転校はもう慣れてます。ここの学校が3校目です。よろしくお願いします」

 こういう場には慣れているのだろう。大きな声でハキハキとまるで小学生のお手本のように彼は自己紹介した。

「転勤族ってなにぃ〜」など吉永に対して様々な質問をする生徒がいる。転校生というだけでクラスの奴らは興味津々だ。

 吉永は彼らの質問に一つ一つ答えていた。どんな質問でも堂々と発言していることから彼の人間性がよくわかる。

「ありがとうございます。みなさんぜひ仲良くしてくださいね!では、吉永君は天野君の隣の席に座ってください」


 一番後ろの席に座っている僕の左隣の窓際の席が空いていたので、吉永はそこに座った。

「おっ!樹よろしく!」

 意気揚々と彼は僕に話しかけてきた。

 今思えば、この瞬間から暗闇の中にいた僕の生活に一筋の光明が差始めた瞬間だったのだろう。




 その日以降、吉永は活発な性格もあってクラスに打ち解けるのに時間はかからなかった。

 小学生にとって転校生が来るのは大きなイベントだ。みんな転校生に興味を持つ。前に住んでいた街のことや学校のことなど吉永の周りには絶えず人が集まった。


 そんな中、転校前に話したことや席が隣ということもあってか毎日僕にしつこいくらい話しかけてくるようになった。

 だが、僕は転校前の体育館裏の出来事で一度話しただけで仲良くなったつもりなのだろうか?と疑問に思っていた。

 きっと最初だけだ。僕のことを知れば知るほど避けていくだろう。みんなそうだった。人は信用できない。そういう生き物だ。


 でも、吉永が転校してきて2ヶ月経ったが彼の態度は全く変わらなかった。


 一体何を考えてるのか知らないけどあまりにも無理やり距離を縮めてくる吉永に対して根負けするように僕も彼に徐々に話す頻度が増えていき、僕は彼に対して少しずつ心を開いていった。

 そして、彼が僕にとって初めて「友達」と呼べる存在になった。


 僕は翔太と出会って小学生らしい遊びを初めて経験した。普段は1人でやっていたゲームを初めて友達と対戦した。カードゲームをやるために一緒にカードを買いに行って店で夜遅くまで対戦した。公園で暗くなるまで話したり、近くのゲームセンターで遊んだり、今流行りのアニメについて今後の展開を語り合ったり、2人でできる小学生の遊びだったらほとんどやったんじゃないか?と思えるくらい僕にとって濃密な時間を過ごした。



 しかし、1人味方ができたからと言って、クラスの奴らが僕への嫌がらせをやめることはなかった。

 でも、そのたった1人の味方は僕にとってまさに正義のヒーローだった。


 ある日の放課後トイレの個室に入っている時だった。


「入ったよ井上君」

「安田、大西準備はいいか?」

「おっけー!」

「大丈夫!」


 個室から出ようとした時、急に視界が影に覆われて驚いた僕は上を見上げた。

 目線の先には井上がスマホをこちらに向けて笑みを浮かべていた。その瞬間…。


パシャッ


 スマホカメラのシャッター音が聞こえた。

「みんなにも見せてやろーぜ!」と井上は言った直後だった。

 もう1人誰かがトイレに入ってきた。足音からして走って入ってきたのだろう。その後、何かがぶつかる鈍い音と弾力のあるものが地面に落ちるような音が聞こえた。

 何が起きたのかと恐る恐る個室のドアを開けてみると。白い肌を怒りで顔を赤くして3人を睨みつける翔太がそこにはいた。

 大西と安田の「いってー」と言いながら倒れ込んで頬を押さえていた。井上は上から落ちたようで尻を押さえている。

 状況はすぐに理解できた。どうやら大西と安田で肩車でもして個室を覗いていたのだろう、土台の大西と安田を翔太が殴ったらしい。2人がバランスを崩し倒れ込んだところに井上が上から落ちたようだ。



「お前ら良い加減にしろ!樹がお前らに何したってんだ!」翔太は殴った勢いそのままにそう言った。

 逆上した井上は「うっせぇんだよ!お前、転校してきたばっかりだからって調子乗ってんじゃねーぞ!。天野なんか庇ってなにがいいんだよ!」

 井上はそう吐き捨てて、安田と大西を連れて飛び出るようにトイレから姿を消した。

「あ、ありがとう」

「気にすんな。あいつら威勢はだけはいいよな。やり返さないで逃げやがって」


 彼はこんな僕に手を差し伸べてくれる。

 今、思えば翔太もこのクラスの中で浮いた存在だったのかもしれない。クラスで孤立してる人間の味方をするとはそういうことだ。


 後日、翔太は担任の先生にトイレで起こった出来事を全て話した。

 今回の出来事について担任は井上、安田、大西の3人を職員室に呼び出し叱った。井上の行為や学校にスマホを持ち込んだことや画像データを削除するように言われたこと、今回のあの行為に加担した大西、安田の2人についても教師からこっぴどく怒られたようで職員室から帰ってきた3人は不機嫌だった。


 翔太も職員室に呼び出された。相手が悪いとはいえ、手を出したことについて担任から叱られた。職員室から戻ってきた翔太は納得のいかない表情だったが、僕には「これでアイツらも懲りただろ」と言っていつも通りの翔太の表情に戻っていた


 3人、そして翔太の要件が済んだ後、校内放送が流れ担任の声で昼休みに職員室にくるようにと僕の名前が呼ばれた


 きっと、教師からの謝罪や今後の対策を考えてくれるんだろう。そう思っていた。

 教師は、3人の行動に早期に気が付けなかったことにまず謝罪をした。そこまでは想定通りだった。しかし、教師から出た言葉はそれだけではなかった。

「天野。今回の件、お前の生活態度も原因の一つだと俺は思っている」

 一瞬、教師が何を言っているのかわからなかった。

 しばらくして、教師が発した言葉を理解してから、教師に期待していた自分が間違っていたことだけは分かった。

 あぁそうだったな…。

 1人ヒーローが来てくれたから夢でも見ていたのかもしれない。

「自分から積極的に声をかけて仲良くなれるような努力をしてなかったんじゃないのか?」

 続けて教師は言った「いいか、友達と仲良くなるにはまず自分から積極的に声をかけること、明るい性格であること、協調性を持って…」

 途中から教師の言ってることは耳に入らなくなった。

 そうか、そうだったよな。

 教師が言うような人間が善であり僕みたいな人間が悪なんだよな。

 生まれ持ったこの性格を無理をしてでも変えようとして、正しい型にはめるのが学校という場所だ。

 僕は「はい」と答えるだけの機械人形のように返事を続けた。

 当然、教師側から今後何らかの対策が施されることはなかった。

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