83 彼女の居場所
「もし何かあったら、聖女の名にかけて私が彼女を退治します」
傍目に見てもサーシャに懐いているレナの手を握りしめ、サーシャが宣言する。
その言葉であるものはあからさまに安堵し、あるものは痛ましいものを見る目をレナに向けた。
そしてレナは――。
「聖女様、あたしがいけないことしたらちゃんと叱ってくれるんだね? もし、もしあたしがおかしくなって大変なことをしたら、あたしを止めて、助けてくれるのね?」
彼女は本能的に自分の中にある「魔物」の部分を感じ取っているんだろうか。
澄んだ青い目をサーシャに向けるレナは、サーシャの言葉にも信頼を揺るがせたりはしなかった。むしろ、「自分を止めて助けてくれる」と取ったらしい。
誰だよ……こんな幼女メンタルのいい子を生け贄に選んだ奴は……。
その当時の村長が生きてたら、俺はきっつーい言葉をぶつけていたかもしれない。
そこへ、紙束を抱えた女性がレナとサーシャを囲んだ輪の中から踏み出してきた。
初老の女性は目元に強い意志を湛え、俺を見据えている。
「山に入った男たちを連れ戻してくれてありがとう。すまないが、うちの馬鹿亭主を出してもらえないかね」
「てい――あ、はいっ!」
何を言われたのかが一瞬遅れて頭に入ってくる。
この女性は村長の妻らしい。俺は迫力に押され、言われるがままに彼女のすぐ側に村長を出した。
村長は山の中から突然村に出されて状況が掴めずにきょどきょどとしていたが、レナを目にした途端に取り落としていた斧を掴み上げて吠えた。
「蜘蛛め! 殺してやる! 俺が、村長として――」
「村長だったらアラクネを退治できるのかい? いつからあんたはそんなに強くなったのさ! 強さに自信があるなら今からでも冒険者になったらどうだい!」
村長の妻は持っている紙束を周囲にばらまいた。そして、それに驚いた村長が地面に落ちた紙を拾い集めているところを、後ろから蹴り飛ばした。――強い。
「な、なにするんだ、アニタ!」
「今日という今日は堪忍袋の緒が切れたよ!
物凄い勢いで罵声が続く。俺とレナとサーシャも驚いていたけど、村中が激しく驚いているようだった。村長の妻のアニタさんは普段はこんな怒り方をする人じゃないのかもしれない。
「昔の村長がやってきたことがそんなに怖いのかい! その結果を真っ向から見てみな! 魔物になった哀れなこの村の娘がそこに実際にいるんだよ! あたしはアラクネを――レナを信じる。先祖の罪を償えるのは今を生きてるあたしたちしかいないんだ!」
あまりの剣幕に、彼女以外が言葉を失っていた。アニタさんは、散らばった紙を示しながら尚も声を上げる。
「ごらんよ! これが証拠さ! 代々の村長の覚え書きと悔悟録――あたしもこの家に嫁に来てから知ったんだ。目を剥いて驚いたさ。爺さんや婆さんから聞いてた生け贄の話がはっきりと残ってたからね。字が読めないやつには読み上げてやるよ!」
「お、おまえ、これをどこから!」
「どこもなにも、人にだけ家事全てを押しつけて下女のように働かせて! こんな真っ黒の証拠が見つかっても何の不思議もないんじゃないのかい? 人間ってのはね、罪悪感を抱えたら苦しくなるようになってるのさ。歴代のジジイ共の中にも、罪悪感の吐き出し先を求めてこうやって紙に書き殴るしかなかった奴がいる」
「信じるな! こんなのただの老人の妄想書きだ!」
「信じるか信じないかはあんたらに任せるよ。ひとつだけ言っておくかね。その娘――レナはあたしの婆さんの妹、そして最後の生け贄さ。レナが大蜘蛛を止めたと言っても過言じゃないと思うのはあたしだけかねえ」
フン、と鼻を鳴らして彼女は腕を組んだ。その視線が向いている先は村人たちだ。
あまりに怒濤の展開でちょっとついて行けてないけど、これは間違いなくレナにとって援護射撃だ。
「俺の、ひい婆さんの妹……道理で似てるわけだ、うちの子に」
「ええっと、お姉ちゃんの、孫? の、子供?」
考え込むレナに、村長の息子は一度輪の中に戻り、少女の手を引いて戻ってきた。顔を見合わせたレナと少女は、お互いに「あっ」と声を上げている。
似ていると言われれば似ている。でももしかしたら、ボサボサ髪のままでは気付かなかったかもしれない。サーシャのナイスプレイだ。
「レナねーちゃんは何もしてないよ! 弟が崖から落ちかけた時に糸で助けてくれたんだ!」
「そうだよ! 何度も村長に言ったのに、俺は無理矢理案内させられたんだ!」
キールとその兄も声を張り上げる。
村長は背中を丸めてかき集めた紙を抱えたまま、少年たちの告発にすらも肩を揺らした。
完全に、村長を見る村人たちの目が冷たい。
それはそのまま、レナに対する憐憫の情へと変化したらしい。キールたちの母親らしき人が出てきて、そっとレナの頭に手を伸ばした。
一瞬だけレナはビクリとしたけど、村の女性の日焼けした腕から逃げようとはしなかった。
「うちの子を助けてくれて、ありがとう」
綺麗に梳かれて洗われ、香油も付けたレナの髪の上をその手が滑る。
レナは目を閉じてうっとりと頭を撫でられた後、ぱっと花が咲くように笑った。
「うん! 助けられてよかった! あたしが蜘蛛じゃなかったら、もしかしたら助けられなかったかもしれない」
「はぁぁ……うちの馬鹿亭主を山に捨てて、レナを代わりに村に置こうかと思っちまうね」
アニタさんが深いため息をつく。
俺も、その方がいい気がしてきた。
「親父が村長を辞めて、お袋が村長代理になることを提案する。また身内、と思うかもしれないが、この場で村長の不正を暴いた功労者は間違いなくお袋だからな」
「くそっ! お前、育ててもらった恩を忘れてそんなことを!?」
「そういうことを人に向かって言うから嫌われるんだよ」
既にアニタさんは怒鳴ることをやめたらしい。冷たい声で村長に告げていた。ブリザードと言いたくなるような、本当に聞いている俺ですらひやっとする声音の冷たさだ。
「お、俺は賛成だ」
山で村長を糾弾していた人が、ビクビクとしながらも声を上げた。彼なりに精一杯現状を変えようとしているのかもしれない。
「領主様が認めるまでは村長代理、認められたら村長になってもらおう。アニタさんなら信頼できる」
「そうだよ、アニタさんなら村長の仕事もこなせるよ!」
村人の中から様々な声が上がっていく。概ね、村長をその座から降ろし、村長の妻を代わりに据えることで話はまとまりつつあった。
ちょっと不思議に思ったのは、反村長派筆頭が村長の妻であるアニタさんだってことなんだけど……村長が余程奥さんにも横柄だったんだろうな。
俺は、サーシャには絶対そんなことをしないと心の中で誓っておいた。
「大丈夫そうですね」
村人の話し合いの場となった広場を見て、サーシャが小さく呟く。
俺はそれに頷いた。村人はレナに危害を加えるつもりはないだろう。何かあってもきっとアニタさんが止めてくれる。
「……じゃあ、あたしは山に戻る」
「レナ……」
「ジョーさんは移動魔法が使えるから、たまにレナさんの顔を見に来ますね」
「ほんと!? 嬉しいな、聖女様ありがとう」
後は村の人たちが道を決めることと、俺たちはそっとその場を立ち去ろうとした。
レナは山へ、俺とサーシャは旅に戻るために。
「レナ、お待ちよ!」
人波を掻き分けてアニタさんが出てきて、レナの腕をつかんだ。
驚いている俺たち3人に向かって、いや、その場にいる全員に向かってアニタさんは高らかに宣言をする。それはある意味、さっきのサーシャの「私が倒します」というのと同じくらいに覚悟を必要とする言葉だった。
「レナをこの村の一員にする! あたしが責任を持つよ。レナが万が一村人を襲ったら、あたしの命で
「あ、あたし、村にいてもいいの?」
予想していなかった展開に、レナが胸の前で両手をぎゅっと組んだ。
「反対の奴は今声を上げな!」
「俺は許さん! 絶対に許さんぞ!」
村長だけがわめいたけども、村人全員から華麗にスルーされていた。これは……なかなかキツいな。今後ずっとこの人はこういう扱われ方をするってことだ。
「レナ、多くの村人を守るためだったとはいえ、あんたを生け贄にした昔の愚かな行いを許しておくれ。……いや、許してなんて簡単に言っちゃいけないね。もしあんたがこの村で人と一緒に暮らしてもいいと思うなら、この村にいなさいな。どうだい? もちろん、その体でできることはしてもらうよ。子守とかならできるだろう?」
「いたい! あたし、この村にいたいよ! 本当はひとりきりの山じゃなくて村で暮らしたかったの。子守でも飯炊きでも何でもする! 子守は好きだったんだよ。だから、だから、あたしをここに置いてください……」
レナが村人たちに頭を下げた。編んだ髪の毛がさらりと肩の上を流れる。
「その……さっきは鎌を向けたりして悪かった。怖かっただろ」
「うん……怖かった。でも、おじさんたちもあたしのことが怖かったんでしょ? あたしも最初に自分の姿を見た時怖かったもん」
レナと村人のそんなやりとりに、一部から小さな笑いが起きた。
きっと大丈夫だ。
レナは心優しいだけじゃなくて聡明でもある。精神は幼いけども、うまくやっていけるだろう。
「俺たちはそろそろ行こうか。サーシャも言ってたけど、移動魔法があるから時々様子を見に来るよ。レナ、元気でね」
「ありがとう、お兄ちゃん! 聖女様も、本当にまた来てね。約束だよ」
「もちろんですよ。みなさん、お元気で。レナさんのことをよろしくお願いします。何か困ったことがあったら、近くの街の冒険者ギルドに相談してください。ハロンズ本部から私たちにすぐ伝わるようにお願いしておきます」
「聖女様、ありがとうございます!」
村人が俺たちに頭を下げる。あちこちからサーシャを呼ぶ聖女様という声も聞こえるけども、それはハロンズのテトゥーコ神殿を揺るがしたものとは違って温かかった。
俺とサーシャは馬に乗り、何度も振り返りながら村を後にした。
アニタさんとレナは、その姿が見えなくなるまでずっと俺たちに手を振り続けてくれていた。
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