75 事故る予感しかしない

 レベッカさんが両隣と後ろの家に持って挨拶に行くという「最新のお菓子」だけど、早々に店を決めて戻ってきた彼女が「じゃあ、教えてちょうだい」とか言うので俺は思いきり仰け反った。


「俺が教えるんですか!? 確かに少しは作れますけど」

「だって、泡立て器もジョーがいた世界にあったものでしょう? 今のここのお菓子を見て、物足りないと思うこともあるでしょう? 知っている限りのことを教えてもらうわ! 覚悟してね!」

「ま、まずは準備をさせてください。えーと、型とか必要ですし……」


 確かに、俺はお菓子が作れる。男子高校生にしては珍しいと思う。

 我がワンゲル部は男所帯をこじらせた故なのか、クリスマスとバレンタインデーとホワイトデーには手作りお菓子を交換し合うという恐ろしいイベントがあったのだ。

 手作りでなければならない。例え下手であっても。

 そして、おそらくそのイベントを恒例化させた何代か前の先輩が、レシピを残していたのだ。

 男子校でもないのに、本当に意味わからん……。


 まあ、俺自体は料理は嫌いじゃないし、お菓子も作れたら自分が食べたいときに作れるなーくらいでいくつかのレシピを習得している。一番得意なのはクッキーで、サーシャの実家に行くときに焼いて持っていこうと思ってる。

 シフォンケーキなんか、家で何度か練習で作ったら母がえらく気に入ったらしく、定期的にリクエストされるからすっかりコツを掴んでいるしレシピも空で言える。

 デコレーションは下手くそだけどスポンジケーキも焼けるし、パウンドケーキは一番簡単だしガトーショコラもチーズケーキも作れる。お菓子は基本を覚えてしまうと、後は本を見ただけで作れてしまうのだ。


 だけど、足りないものがたくさんある。何を置いてもまずは型。これはコリンに頼むしかない。それと、生クリームを絞るための絞り出し袋と口金。あれも多分コリンなら簡単に作ってくれるだろう。


 レベッカさんが商業ギルドから戻ってくるまで、サーシャと俺とコリンは3人でコリンの部屋を片付けていた。サーシャが混ざったのは「コリンさんとふたりきりにできません!」という物凄い理由だった。

 いや……コリンは友達だよ。距離感がおかしいだけで。

 でもコリンの方も「こんな時くらいふたりきりでもいいじゃん!」とか言うものだからサーシャの監視の目が鋭くなった。

 正直、コリンをこの家に迎え入れたのは判断ミスだったかと思ったくらいだ。


 でも、コリンがいてくれた方が、何かと助かる。

 資材なんか俺が買って渡したいくらいだ。


 その日のうちに俺はシフォンケーキの型とスポンジケーキの型と口金の図を描いてコリンに説明し、作ってもらえるように頼んだ。もちろん、底は抜けるように作ってもらう。

 新しいアイテムにコリンは目を輝かせて、最初首を傾げながら見ていたシフォンケーキの型も「ここが外れるようにするんだ」と説明したら「おおおおー!」って盛り上がっていた。


 型が出来上がるまでは正直何もできない。けれど、それがうまい具合にレベッカさんたちの引っ越し期間になった。

 ソニアとレヴィさんも出来上がったドレスを受け取りに行って、サーシャの神殿訪問の日取りも決まったし。

 神殿訪問については、ギルド長も伴ってレヴィさんがテトゥーコ神殿のトップクラスと打ち合わせをしたけども、どういうスタンスにするかで神殿内でも大揉めになったらしい。あー、そっちの担当にならなくてよかった。



 コリンが僅か2日という爆速で型と口金を作り上げた。試行錯誤はしていたけども、今回は1個作れればいいから。

 レベッカさんはスポンジケーキとシフォンケーキという新兵器をひっさげ、「なぐりこみ」を掛けるつもりらしい。


「周辺が貴族の邸宅というのが凄くいいのよ。ここに見たことのないお菓子を放り込めば、それが良いものならあっという間に噂になる。そしてそれを作れるのが私たちだけとなれば、蜜蜂亭の寡占状態になるの。確実に儲かるわ!」


 料理前に手を念入りに洗いながら、レベッカさんは鼻息荒く語った。

 簡単なシフォンケーキから教えることになったんだけど、いつの間にかサーシャが混じっていた。


「サーシャもお菓子作りに興味があるの?」


 サーシャは料理ができないことを気にしていたからなあ。作ってみたいと思うのかもしれない。


「そ、それもあるんですが、あの……ジョーさんと一緒にいたくて」


 スカートを掴んでもじもじしているサーシャに、俺とレベッカさんは崩れ落ちた。俺はともかくなんでレベッカさんまで、と思ったら「若さが眩しいわ!」と叫んでる。


「いいわね! その一緒にいるだけで楽しいって段階! 私にもそんな時代があったわ……。ところでサーシャは料理はどのくらいできるのかしら? 教会で修行するときにお菓子は習わなかったの?」

「あ、あのっ、私は! ええと、お料理は本当に簡単なものだけしかできないんです。教会時代は得意なことをやるという感じで、お料理以外のお掃除やお洗濯や子供たちの相手などをしていました!」


 レベッカさんに答えるサーシャの声が裏返っている……。

 料理経験に関わることってそんなに緊張するんだろうか。

 俺はサーシャの教会時代の話を聞く機会が今までなかったので、黙ったままで興味深くふたりの話を聞いていた。


「そうなの? 子供の相手? ああ、テトゥーコ様のところには託児所があったわね! ドーイ様の教会では料理の修業は必須よ。料理の神だもの。お掃除にお洗濯に子供の相手っていうと……つまり、サーシャが得意だったのは……」

「……はい、料理以外は全部、です」


 逆に言うと、割りと何でもできる天才肌のサーシャが、それだけ料理を苦手にしてるってことか!

 サーシャは真顔で、レベッカさんは苦笑いを浮かべて黙ってしまっている。

 俺はこっそりとふたりに背を向けて顔を覆った。

 サーシャには悪いけど、いきなりお菓子はハードルが高すぎるのではないだろうか。涙が出てきそうだった。



 まずは計量。これはレベッカさんの手伝いもあって、俺には見たことの無い形の量りだったけども難なくできた。

 そして、卵を割って卵黄と卵白に分けるところ。――この時点で既に恐ろしい緊張感が漂っている。怖い。

 レベッカさんはさっさと4つの卵を卵黄と卵白に綺麗に分けたんだけど、サーシャは卵を割ったところで困ってしまっている。俺がひとつ手に取って「こうするんだよ」と実演してみせると、目を限界まで見開いて驚いていた。

 そして――案の定、卵白に割れた卵黄を混ぜてしまっていた……。1個目だったからその卵は別のボウルに移しつつ、俺はふと気になったことをふたりに尋ねた。


「そういえば、卵で食中毒を起こしたりしないんですか? 俺のいた世界では温水で洗ったりして凄く管理をした卵が出回ってましたけど」


 鶏卵はサルモネラ菌が怖い……。俺は前に蒸し焼き目玉焼きをこっちで作ったことがあるんだけど、半生で平気だったんだろうかと今更気になっていた。


「大丈夫ですよ。そういったものは全て下位聖魔法の『浄化』で取り去ることができますから」

「そうよ。まずドーイのプリーストは回復魔法よりも『浄化』を覚えるの。食堂には大抵ひとりは下位聖魔法の使える従業員がいるのよ。ドーイのプリーストのことが多いけど、他の神様のプリーストのことも割とあるわよ」

「浄化! それがあるんだ!」

 

 殺菌に浄化魔法!

 目から鱗だ!

 魔法文明凄いな……。泡立て器もないのに、食中毒対策は万全なのか。


 そしてサーシャは俺の兄の「卵をちゃんと割れる確率60%」を下回る驚きの50%を叩き出し、小山のように買い込んである卵がみるみる減っていった。


「サーシャ、力が入りすぎだと思うよ。割ったときに親指がめり込んでるから、中の方まで割れちゃうんだよ」

「は、はいっ」

「あっ、卵は平らなところにぶつけてヒビを入れて。角にぶつけると割れた殻が中に入っちゃうんだ」

「はいっ……ああっ!」


 サーシャは厨房のワークトップに卵をぶつけ……いや、叩きつけ、って感じだったな。とにかく、力加減を失敗しまくっている。

 俺はひたすら、白身と黄身が混じった卵を3つずつのセットでボウルに入れ、魔法収納空間に保存している。

 どうせ後で全卵を使ったものを作るのだ。もったいないから再利用。使いきれなかったものは夕飯のおかずになるだろう。オムレツとか。


「最初だけ、手伝うから」

「ふぇええん……お願いします」


 最初に会ったとき以外泣いたことのないサーシャが、半泣きになっている……。

 俺は彼女の後ろに回って、彼女の手に自分の手を添えた。

 ……なんか、いい匂いがする。ケーキ関係じゃなくて、花のような優しくて甘い匂い。サーシャの髪の毛からしてるのかな。

 どうしよう、すっごいドキドキする!


 そして俺は手伝うと言いながら、追加で3個の卵を犠牲にした。 

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