42 小さなささくれと絆創膏
ファーブ鉱山までは歩いて2日ちょっと。道中は小さな村がいくつかあるけども、かなりの田舎だ。そして、俺が犬なので宿屋に泊まるよりは家を道端に出して寝た方がいい。一応鍵も付いてるし。
その日は夕暮れ前に村に着き、空間魔法使いなので村の外に家を出しても良いかと許可を取ってから設置をした。
これを知らせておかないと「こんなところに家がー!?」ってなるからな。
村の側に家を建てるメリットは、「魔物が出ない」ということに尽きる。
基本的には人里には魔物は出ない。街道沿いでも滅多に出ない。
人間を積極的に襲う魔物は討伐対象。だから、先輩冒険者たちの努力の積み重ねで安全が確保されているのだ。
それでもたまにどこかで増えた魔物がやってくることがあるので、今でもギルドにはそういう討伐依頼があるわけだけども。
空が朱に染まる頃には、俺たちは家を出して早い夕食を食べ、俺から入浴を済ませていた。
「じゃあ……ちょっと犬になってくるよ……」
悲しい宣言をして小さい部屋に入り、全裸になって待機することしばらく。俺は黒い犬に姿を変えていた。
なんだろう、このなんとも言えない虚無感。
日本にいた頃は「全裸待機」って言葉をネットではよく見たけど、実際やってみると虚無しかないぞ。
ともあれ、今日の俺は人間の姿で食事もできてるし、先に風呂にも入れた。それに関してはささやかな満足を覚えている。
サーシャとソニアのために風呂の湯を入れ替え、後から入ったサーシャの使った湯をしまう。
そして一応ふたりにお手をしておやすみの挨拶の代わりにして、俺は小部屋へ戻った。
毛布の上に丸くなって、目を閉じる。まだいつもなら寝る時間ではないけども、寝るしかない。というか、やれることが何もない。犬の手では本のページもめくれないし。
その時、俺の耳がささやかなノックの音を拾った。
本当に、ごくごく控えめな、指先で叩いたかのような音だった。
「ジョーさん、起きてますか?」
サーシャの囁く声。俺は起きてるよという返事の代わりにドアを前脚で引っ掻く。
音が立たないくらいそっとドアが開いて、少し沈んだ表情のサーシャが顔を覗かせた。
「あの、少しだけお話ししてもいいでしょうか。あ、ジョーさんは話せないから、私がひとりで喋るだけですけども……」
翳りのある彼女の表情が気になって、俺は大きく頭を振って頷いた。胸に手を当ててほっと息を吐いたサーシャは、小部屋の中に入ってきて静かにドアを閉める。
俺の目線に合わせるように、サーシャは石床に座り込んだ。彼女の前で俺はお座りをして向かい合う。
「ソニアさんはもう寝てしまいました。なんだかんだ言って、あの人って凄く冒険者向きですよね」
それは俺も思う。軽率なところはあるけども、妙なところが図太くて、すぐに眠れるし起こせばぱっと目を覚ます。メリンダさんより余程適性がある気がする。――魔法以外は。
だけど、サーシャが本当に俺に言いたいのはそういうことじゃないだろう。
ソニアが寝付いたから、ふたりで話をしたい――一方的に自分が喋るだけだけど。そういうことだ。
「撫でてもいいですか?」
俺はそれに応えるようにサーシャに頭を差し出した。頭がゆっくり撫でられて気持ちいい。
サーシャだったら抱きつかれても全身わしゃわしゃ撫でられても俺的にはドンと来いだけども、さすがにそれを言うのは恥ずかしいんだよな。
「ジョーさんが犬になるようになってしまってから、避けられてる気がして時々無性に寂しくなるんです。今までずっと一緒だったのに、同じ部屋の中にジョーさんがいなかったのも変な感じで、なんだか悲しくて」
いや、サーシャを避けてるんじゃないけどね!?
俺が避けてるのは、アーノルドさんとレヴィさんだよ。3人一緒のところで、「サーシャはいいけど野郎共は駄目!」ってできないし。
あとは、「犬だったら無制限でサーシャとベタベタできるぜ、ゲヘヘヘヘ」とか思いたくないのだ……。
サーシャは犬を触りたいのであって、俺に抱きつきたいのとはちょっと違うのだろうから。
でも、寂しいと思わせてしまったのは俺が悪い。きっともっとうまいやり方とか、ちゃんとした説明の方法があったかもしれないのに。
彼女の心を守りたいと思ったのに、俺がサーシャの心に小さなささくれを作ってしまった。
俺は座り込んだサーシャの手の甲に、ぽふぽふと手を乗せた。出っぱなしの爪が当たらないように気を付けて。
サーシャはハッとした顔で俺の手を取ると、肉球をむにむにと揉み、ぱっと笑顔になる。
「や、柔らかーい。しかもすべすべ! うちで飼ってた犬とは全然違います!」
そうか、サーシャは実家で犬を飼ってたのか。だから犬好きなのかな。
そして俺の肉球は柔らかくてすべすべ……いらん情報を手に入れてしまった。
まあ、犬になったのはごく最近だし、そんなにこの姿で外を歩いていないから当然かな。
俺は思いきってサーシャの膝に顎を乗せた。ちょっと頭を傾けると、凄く甘えている感じになる。
犬なのに、凄くドキドキする。人間の姿だったら、絶対にこんなことできない。
そんな俺の首にサーシャの細い腕が回されて、首筋に彼女が顔を埋めた。
「ふふふ……」
背中から脇腹まで撫でられる。力加減がちょうど良くて、凄く気持ちいい。
それに、やっぱり抱きしめられるのはいいな。
鎧を着ていないから、サーシャは温かくて柔らかくて、いい匂いがする。
そんなことを思っていたら――。
「犬の匂い……ふふふふふ……」
犬の匂いなのか。さっき風呂に入ったのに。
サーシャの何気ない言葉に俺は打ちのめされた。
結構なショックだ……。
やっぱりサーシャは、ちょっと俺にはわからないところがある。
やきもちを焼くことはあるけど、俺に対して抱いている感情が何なのか、とか。
まあ、別の人間だからわからないのは仕方ないし、サーシャが今幸せそうにしてるからいいかな――。
それからしばらく、俺は彼女との間に空いた小さな隙間を埋めるために為すがままになり、サーシャはたっぷりと犬とのふれあいを楽しんで満足したのか、すっかり笑顔になって「おやすみなさい」と言って帰って行った。
複雑な気分だ。
俺が人間だったら別にサーシャを避けないし、だったらサーシャは「無性に寂しくなる」なんてことはなかったはず。
でも俺は犬になってしまうから、「犬」のつもりでスキンシップを取られると居たたまれない気持ちになる。
これは犬だからであって、素の俺にだったらしないんだよな、って思うから。
いっそのこと、俺以外に犬がいたら俺の気持ちは落ち着くのかな。
サーシャの態度が俺に対するものと犬に対するもので分かれてはっきりするから。
いや、別に犬を飼う予定はないんだけど。
翌朝、俺が目覚めて服を着てから、隣の部屋でふたりが起きたのを見計らって大部屋に戻ると、顔を洗ったところだったらしいサーシャが顔の周りの髪を少し濡らして風呂場から出てきた。
「おはよう、サーシャ。その……いろいろごめん」
「えっ? あ、その、私こそすみませんでした。……ひゃああああ! 私、私ったらなんてことを!」
人間に戻った俺を見て、黒犬と俺が今頃はっきりと結びついたのか、今更サーシャは顔を真っ赤にした。
反応が遅い! というか、今更照れるくらいなら昨日あんなに好き放題しなければ良かったのに!
「どうしたの? 昨日何かあった? とうとうサーシャがジョーを抱き枕にしたの?」
ソニアがいないと思ってたのに、サーシャに続いて風呂場から出てくる。仲良くふたりで顔を洗っていたのか! いや、それができる設備はあるけども。
「し、してません!」
「サーシャ、俺はサーシャを避けてたんじゃないから。俺が避けてたのは、手加減がなさ過ぎるアーノルドさんとレヴィさんだよ。それに、犬は宿屋に泊まれないし……だから、急にサーシャを突き放したみたいに感じてたらごめん。――いろいろ、ちゃんとうまく言葉にできなくて、サーシャを悲しい気持ちにさせてごめん」
ソニアの言葉にわたわたしてるサーシャに向かって、俺は頭を深く下げた。
視界の隅でソニアがニタリとしている。ぐぬぬ……。
けれどサーシャは俺の言葉を聞いて、昨日と同じように胸に手を当てて息を吐いた。
目を閉じて、安らいだ表情で。
「ありがとうございます。ジョーさんが私を避けてないっていうのはよくわかりましたから。ちょっと落ち着かない気持ちになってましたけど、あなたの言葉が私を癒やしてくれました」
ソニアはサーシャの後ろにいるから、今のサーシャの顔は見られないだろう。
サーシャは俺が一番好きな、ほんわりする幸せそうな笑顔を浮かべていた。
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