15 6倍掛けとn倍掛け
バラバラと斜面を登り始める冒険者。
その中で、サーシャひとりが足に羽が付いたように身軽に山を駆け上っていく。
八艘飛びか! と思わず言いたくなる。舟から舟へ飛ぶ源義経を思い起こさせるほど、サーシャの一歩は軽く、移動距離は大きい。
ブオォォォーン! と何かの獣の雄叫びが聞こえて、俺はそちらに目を向け、そして固まった。
――本物の大猪は、象だった。猛り狂ってその巨大な牙で木すら薙ぎ倒す、恐ろしい生き物だった。
あ、あんなものとどうやって戦うんだ!?
「《
風は見えないけども、空気が歪んでいるのはなんとなくわかった。メリンダさんの放った魔法は大猪の牙を根元から切り落とし、顔にざっくりと傷を付ける。
大猪が前足を上げ、怒りに吠える。
残ったもう一方の牙での突撃は、ギャレンさんが盾で食い止めた。そして、大猪の喉が晒された一瞬に――。
「アーノルド!」
「ああ、任せろ!」
アーノルドさんの剣が大猪の下側から喉を貫く。
剣を引き抜くとそこから血が噴き出して、立ったまま痙攣していた大猪はやがて重い音を立てて倒れた。
凄い……! さすがに連携ができている。
危なげなところは何もなかった。これがアーノルドさんたちの実力!
……と5秒くらい感動したんだけど。
「はっ!」
跳躍したサーシャが、その牙に守られている大猪の眉間にメイスを叩き込んだ。いつか聞いたような、皮の下の骨が砕けるくぐもった音が響く。
その一撃だけで、どさりと大猪は倒れた。
一瞬だけサーシャはしゃがんで緑色の羽を挿し、身体を伸ばす勢いでまた飛ぶ。そして僅か2歩で次の大猪を屠っていた。
「す、凄い……」
コディさんがぽかんとしている。
俺もサーシャの動きを呆然と見遣っていた。
古代竜は1体倒すだけだったから、倒したらそこで終わりだった。次への動きというものは今回初めて見た。
白い革鎧を身に纏い、左手には白銀の盾を、右手にはメイスを持ち、金色の三つ編みをなびかせて重力なんて無いかのように飛び回るサーシャ。
それは昔ハマったゲームに出てきたワルキューレのようで。
俺は、ただただ彼女に見蕩れていた。
「ジョーさん、羽がなくなりました!」
サーシャが戻ってきたのは、多分10分もしないうちだったと思う。
彼女は髪は乱しているものの、汗ひとつ掻いていなかった。
「サーシャ、ここでやめておこう」
「えっ? どうしてですか?」
「……40本」
「はい?」
訳がわかっていないらしいサーシャが、俺の言葉に首を傾げる。
「あの羽、40本用意してたんだ。それがなくなったなら」
「……えええ!? 私ひとりで40頭倒したってことですか!?」
「そう」
単純計算、1分に4頭。でもサーシャの動きを見ていたら全然不思議じゃない。
ぶっちゃけ、サーシャひとりでも100頭の大猪は狩れそうだった。
でもそれをやったら、他の冒険者の心が砕ける……。
「サーシャさん、実は間違えて補助魔法をサーシャさんにも掛けてしまって」
悪いことをしたわけでもないのに、コディさんは青い顔でサーシャに告げた。
結果的にアーノルドさんの足を引っ張っちゃってるからなあ……。悪いことをしたわけじゃないんだけど。
「そうなんですか、なんかいつもよりちょっと身体が軽いなーって思ってたんですが、気のせいじゃなかったんですね」
「まあ、5倍が6倍になっても極端な違いは出ないからね」
これが、「2倍が3倍になる」ならば、掛かった本人にも顕著にわかるんだろうけども。
「とにかく、サーシャはこれ以上戦うとどんどん注目を浴びちゃうから、ここまでにしよう」
「そうですね、もう手遅れな気もしますが」
「うん、手遅れだね」
周囲で戦っている人たちは大猪に必死だけど、プリーストやスカウトなどの直接戦闘していない人たちはあからさまに好奇の視線をサーシャに向けていた。
「さすが殴り聖女……」
「噂には聞いていたが、ここまでとは」
「見たか? さっきの一撃。古代竜もひとりで倒すなんて誇張した噂かと思っていたがそうでもないらしいな」
声は多少ひそめてるつもりなんだろうけど、丸聞こえだ。
サーシャとコディさんは「あうううう」と頭を抱えていた。
「また私に注目が集まって、アーノルドさんの崇敬が……」
「僕のせいでアーノルドさんの崇敬が……」
「勇者、密かに面倒だな」
アーノルドさんに崇敬を集める方法――それは、彼の活躍を見せるのが一番だ。
でも彼の実力は確かなものではあるけど、この混戦の中でサーシャのような飛び抜けた活躍をしているかというとそんなことはなくて。強いのは間違いないけど目立ってはいない。
アーノルドさんが活躍する方法――。
俺はちょっとだけ考えて、思いついたことに自分でもげっそりした。
いや、精神的に俺と多分サーシャもげっそりするけど、やらないよりはマシだろう!
「サーシャ、アーノルドさんの崇敬を一気に集める方法を思いついた」
サーシャの耳元に手を当てて、計画を耳打ちする。
思った通り、サーシャはしょっぱい顔になって困惑している。
「え? それを言うんですか?」
「間違いなく効果あるから。俺も言うし……言いたくはないけど。俺たちのちょっとの精神的ダメージでアーノルドさんに膨大な崇敬が集まると思えば」
「うう……わかりました、やりましょう」
覚悟を決めたようにサーシャが拳を握る。俺もとうに覚悟は決めている。
俺は思いきってサーシャの手を取って、アーノルドさんたちが戦っている近くまで走って行った。
そして、立ち止まって、深く息を吸って大声で――。
「アーノルドお兄ちゃん、頑張れー!」
「アーノルドお兄ちゃーん、頑張ってー!」
兄でも何でもない人に、謎のエール!
うっ、自分で発案しておいてなんだけど、なんて痛い応援なんだ!
けれど、効果は覿面だった。
俺たちの方を振り返ったアーノルドさんは、眩しいくらいの満面の笑みを浮かべている。
「うおおおおお! お兄ちゃん頑張るぞー!!」
アーノルドさんが叫ぶと、彼の身体に赤い光が立ち上った!
赤とオレンジが混じったような、まばゆく力強い光。それは誰の目にもはっきりとわかって、自然とアーノルドさんがその場の全員の目を引いていた。
「食らえ、お兄ちゃんパワー!」
剣の一閃で、アーノルドさんは大猪の頭を切り落とした。掛け声は格好悪いけど、威力は凄い!
近くにいたギャレンさんとメリンダさんすら唖然としている。
え、これは一体どんなバフ効果……?
発奮させることはできるだろうと思ったけど、まさかこんなに効果があるなんて俺も思ってなかった。
アーノルドさんは赤い光を纏ったまま、突進してくる大猪に立ちはだかり、そのまま巨体を両断した。そしてすぐにターゲットを変えて、一撃で大猪の胴を真っ二つにする。
6倍サーシャと同じくらい、いや、それ以上に強いぞ!?
「あ、あれはまさか! 『聖女の祝福』!?」
ひとりのプリーストが驚愕に満ちた声を上げる。
30歳くらいに見えるプリーストはたまたま近くにいただけで知り合いではなかったけども、何かを知っているらしいその様子に俺とサーシャは彼に向き直った。
「聖女の祝福?」
「私も初耳ですし聖女ではないですが、そんなものが存在するんですか?」
「聖女の加護により、とんでもなく能力値が跳ね上がるとかなんとか! いや、知らんけど!」
「知らんけどって付けないでください! 大阪の人か!」
「おっ、よく知ってまんなあ。自分、オーサカの出身やねん。ちなみにアカシヤーのプリーストしてるサイモンいいます。よろしゅうな」
俺のツッコミがうまいこと入ったのが気に入られたのか、サイモンと名乗ったプリーストは俺に向かってニカッと笑った。前歯が出っ歯なのがよく目立つ。
アカシヤー……出っ歯……怪しげな関西弁っぽい言葉……うっ、頭が痛い! いろんな意味で!!
多分サイモンさんは冗談のつもりだったんだろうけど、ざわざわと、周囲に「聖女」「勇者」「凄ェ」「祝福」という言葉が伝播していく。
しまった……。何もしないよりは良かったけど、アーノルドさんへ向かうべき注目が分散してしまった。
聖女、という言葉を浴びせられながら、サーシャと俺は多大なる精神的ダメージを負ってその場に頭を抱えてしゃがみ込んでしまったのだった。
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