殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺

加藤伊織

ネージュ編

1 よくある異世界転移とよくあるパーティー追放


「女神の部屋へようこそ」


 トゥールル、ルルル、トゥールル。そんな音楽が聞こえてきそうな空間に俺は立っていた。

 白が基調の部屋には、あちこちに花が飾られている。アールデコ調の窓や家具が配置されていて、階段もある。一言でいうと、どこかで見たような豪華な部屋。

 俺の向かいには、ひとり用のソファーに座った白いドレスを着たおばさんがいる。


「どうぞ、お掛けになって。えーと、御厩みまやじようさん。17歳、アラお若いわね。最近は部活動でご活躍だったそうね。何部に所属していらっしゃるの?」

「え? は、はい? えーと、ワンゲル部です」


 俺は勧められるままに3人は座れそうなソファーに腰を掛けた。ちょっと早口のおばさんはバインダーに挟まれた何かの紙を見ている。話の内容から推測するに、あれに俺の情報が書いてあるのだろう。


「ワンゲルって何をする部活なのかしら?」

「ワンダーフォーゲルの略で、幅広く自然に触れるのを目的として登山をしたり、冬にはスキーもしたりします」

「登山ね、アラ素敵。ところで、何か欲しいスキルはおあり?」

「は?」


 話に凄く脈絡がない。白い服のおばさんは俺の顔をたまに見ながらせっせと紙に書き込みをしている。


 おばさん――ていうか、そうだ、女神って最初に言ってたような。


「アナタ最近トラックにはねられたそうね? だから、欲しいスキルはないか伺いたいんだけど」

「そうだ、トラック! 最近って言うか、それはたった今の話です!!」


 俺は思わず叫び、女神を自称するおばさんの言葉で引き出された記憶を辿った。



 高校3年に進級して、新学期が始まってから1週間。

 俺はいつものように自転車に乗って学校へと向かっていた。


 交通量の少ない交差点なのに妙に信号が長い場所が一カ所あって、俺はそこで信号待ちの間にポケットからスマホを出して確認するのが習慣になっていた。


『みまやー、パン買うの忘れた。途中のコンビニでチーズ蒸しパン3つ買ってきて』


 友達からのそんなメッセージが入っていて、仕方ないなと思いつつコンビニに寄ることを決める。うちの学校は昼時にパン屋が来るけど、競争率が凄いのだ。


 下を向いていたから、俺は迫り来るトラックに気付くのが遅れた。

 激しいクラクションの音が聞こえて顔を上げると、眼前にトラックが迫っている。

 頭が真っ白になる。自転車に跨がったままでこんなもの避けられるはずがない!

 そう思った次の瞬間には、俺の全身は衝撃を受けて吹っ飛ばされていた。


 ――最後に見えたのは、「御厩みまや じよう」と見えにくい場所にネームプレートが貼られた俺の自転車が、ひしゃげて転がっているところだった。


 それが、俺がここに来る前の最期の記憶。



「俺、もしかして死んだんですか?」

「いやね、死んでたらこんなところに来てないでしょ」


 そう言われても、俺にはさっぱりなんだが……。だいたい、ここはどこなんだろう。テレビ局のスタジオにしか思えない。


「アナタはトラックに跳ねられました。でも、本来そこで死ぬ運命じゃなかったの。だけど地球の常識で言えば状況的にアレは即死ね。自転車はグシャグシャだし、生きてる方がおかしいのよ。

 くどく言って申し訳ないけど、アナタあそこで死ぬ運命じゃないのね。だから、他の世界に行ってもらいます」

「はあ……」


 理解が追いつかない俺の気の抜けた一言で、勝手におばさん女神はうんうんと頷いた。

 

「納得が早くて結構ね。4属性魔法、上位聖魔法、空間魔法、剣聖スキル、勇者スキル。代表的にはこんな感じだけど、他にもこんなのが欲しいって言うのがあったら言ってくださる?」

「元の世界には帰れないってことですか?」

「そうね。えーと、ここにある資料だと登校中の事故で死亡という扱いになってるわよ、アナタ」


 なんだそれは。あまりにもあっけなさ過ぎじゃないのか。

 俺は当たり前に家を出てきて、いつもの通り学校に行くつもりで。

 誰にも、何も言えていない。


 だけど、「死」なんてそんなもんなんだろうな。ある日突然理不尽に全てを奪っていく。

 俺には他の世界での「生き直し」の機会が与えられている分、まだいいのかもしれない。


 そんなことを考える俺の頭は、まだ感情が少し麻痺しているのかもしれなかった。


「これから行く世界って、モンスターとか出るんですか?」

「ええ、いるわよ。地球にも昔はいたの。マナが減っていって絶滅しちゃったけどね」

「……じゃあ、勇者は嫌です」

「アラ、珍しい。勇者って人気なのよ。ホラ、なんとなく響きが格好いいでしょう?」

「戦うの普通に怖いんで」

「ワンゲル部って自然に親しむ部活じゃなかったの?」

「ワンゲルで何と戦えって言うんですか」

「ウサギとか」

「地球のウサギ、いきなり襲いかかってきたりしません」

「アラ、アナタ幸運だったのね。ウサギ結構強いのよ、特にキック。アレには気を付けないと」


 なんだろうか、凄いどうでもいい情報が流れていくな。

 戦うのは嫌だ。ゲームとかはしてたけど、自分よりデカいモンスター相手に剣とか振れる気がしない。

 多分4属性っていうのは地水風火のことだよな、だとするとこれもパス。確実に戦闘スキルだ。

 上位聖魔法と空間魔法、か。聖魔法はなんとなく治癒とか浄化なんだろうなとイメージ付くけど、空間魔法がわかりにくい。


「空間魔法って、どういうものですか」

「簡単に言うと、4次元ポケットね。自分の存在する次元とは別の次元に繋がる魔法。最初のうちはそこに物を入れたり出したりだけど、レベルが上がってくれば次元を利用することで離れた場所に一瞬で移動することができます」

「つまり、4次元ポケットとどこでもドア、と」

「そう、そういうこと」

「じゃあ、それでお願いします」

「本来は面倒な呪文があるんだけど、アナタ転移者だから、ジェスチャーで結構よ。こう、ファスナーを開ける仕草と、ドアを開ける仕草。どちらもパントマイムでね。何かを出したいときには、出したいものを具体的に思い浮かべればそれで大丈夫」

「わかりました」

「はい、じゃあこれで手続きは終わりです。あちらでも元気でお過ごしなさいね」


 おばさん女神はソファから立ち上がると俺に向かって手を差し出した。俺はなんとなく流されるまま立ち上がって、握手をする。


 その途端、視界が光に覆われて、眩しさに思わず目を瞑ってしまった。

 そして目を開けたときには、俺は見知らぬ街中に立っていたのだった。



「サーシャ! 俺のパーティーから抜けてくれ!」


 耳に飛び込んできた必死な男の声に、俺は思わずそちらを振り向いた。

 視線の先には鎧などに身を包んだファンタジーな装いの男女が5人いて、何かを言い争っているようだった。


「ど、どうしてですか!? 私、力足らずでしょうか!」


 サーシャと呼ばれた少女は、激しく動揺していた。盾を背負って、腰には武器をぶら下げていて、明らかに戦闘職。

 モンスターがいる世界って聞いてたけど、やっぱりガチのファンタジー世界か……。

 そしてこれはアレか。WEB小説で流行のパーティー追放ってやつ。


「いや、違う。お前は強い、強すぎる。おかしいくらい強い」

「ありがとうございます? だったらどうして――」

「お前がいると、勇者の俺が全く目立たないんだ!」


 おや? 目の前で行われている修羅場がおかしな方向に向かい始めたな。

 自分を勇者と言った男は、地面に手を付いて嗚咽し始めた。ポタポタと涙が落ちて地面に濃い色の染みを作っていく。


「サーシャ、普通のプリーストは、ひとりでドラゴンを倒したりしないんだよ……」


 片目に傷のあるいかつい男が、情けない顔をして少女の肩を叩いていた。周囲の他の人間もうんうんと頷いている。


「え、でも、それって何も困らないですよね?」

「いや、困る。勇者は俺なのに、俺が何かする前にサーシャが強敵でも倒してるだろ。最近のお前の二つ名を知ってるか? 『殴り聖女サーシャ』だぞ? 『勇者アーノルド』より知名度が高いんだぞ? お前に落ち度は全くないんだ。だけど、一緒にいると俺の知名度がどんどん下がっていく……。情けないが、別のパーティーで活躍してくれ」

「そういうことなんだ。すまん、サーシャ」


 勇者を初めとするパーティー全員がその場で少女に土下座した。

 ――あれ? これ、俺の知ってる追放と違うな?


「わかり……ました」


 強すぎるという理由でパーティーを追われた少女は、俯いたままか細い声で答えた。


「みなさん、どうかお元気で。サーシャはいつでも神にみなさんのご無事をお祈りしています」

「サーシャぁぁぁ!」

「すまん、本当にすまん!! 俺がお前よりもっと強ければ!」

「いいえ、いいえ、私こそごめんなさい……強くなりすぎて」


 大分様子がおかしいぞ? これ。

 土下座から立ち上がった勇者パーティーとサーシャという少女は、抱き合っておいおいと泣き、それから少女は何かを吹っ切るようにその場から離れようとした。


「おっと」

「あ……ごめんなさい……」


 ぼんやりと彼女たちを見ていた俺に、ろくに前を見ていなかった少女がぶつかってしまった。少女が謝って、俺の顔を見上げる。


 キラキラと輝く金色の髪、涙に濡れた紫色の瞳、そして、ドラゴンをひとりで倒すとはとても思えない守ってあげたくなるような華奢な体。


 初めてまともに見たサーシャの顔に、心臓が早鐘を打ち始める。


「これ、涙拭いて」


 俺はポケットに入っていたハンカチを彼女に差し出した。こんなにドキドキしているのに、俺の声は思ったよりも平坦だった。

 彼女は驚いて目を丸くすると、ハンカチを受け取って目に当て――そのまま号泣し始めた。


「あ、ありがとうございます……ふぇ……うぇえええーん」


 とん、と彼女が頭を俺の胸に当ててくる。

 深い意図はないんだろう。そこにつっかえ棒があったから、頭を当てた、位で。

 でも、可憐な美少女(盾持ち)が俺の胸で泣いているという事実は何も変わらなくて。


 俺はどうしたらいいかわからないまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。

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