チーム「ペガサス」

神山 竜一

第1話

1.MGC予選


 昨日は鈍色にびいろの空から小雨もぱらついたが、今日は雨を降らせそうな雲は見当たらない。降り注ぐ冬の弱い光は、冷え切ったアスファルトを少しずつ温めていた。気温12度、湿度58%、晴れ。それが本日正午の九州大分地方の天気予報であった。2月初めにしては温かい方であるが、世間的にはまだまだ冬の寒さである。しかしマラソン競技にはまず絶好の天気といってよかった。ただ、今日は午後から、玄界灘げんかいなだから吹いてくる北東の風がやや強くなるという予報であり、それはランナーにとっては少し気がかりな情報であった。マラソンランナーは、市民ランナーは別として、気温の高低や雨の有無によって服装を変えることは少ない。原則ランニングシャツに短パンだ。たとえ冬でも走りだせばすぐに体が熱くなり、うっすらと汗をかくことになる。それほど運動による熱量を発する競技なのだ。しかし、冬の大会で極端に気温が下がり、冷たい雨や雪でも降ったりすれば、実業団のトップランナーといえども低体温症で体が動かなくなる可能性があるので、やはり天気は気がかりだった。


 ここ大分の別府湾を望む観光地、大分マリーンパレス水族館「うみたまご」には、多くの日本のトップランナーが集結していた。「うみたまご」はイルカやセイウチのショーが楽しめる水族館として親子連れに人気だ。休日は水族館目当ての観光客でにぎわうが、今はシーズンオフでもあり、親子連れは少ない。その代わり本日は別府大分毎日マラソンが開催されるため、ランナーや報道関係者、応援の人たちでにぎわっていた。多くの観客が囲む中、スタート脇の広場では、日本のトップランナーを含め、多くのランナーがストレッチをしたり、本番前のアップ走をしていた。この大会は、東京マラソンや大阪マラソンと違って、42.195kmを4時間とか5時間で楽しみながら走るランナーは出場できない。参加資格として、3時間30分以内という市民ランナーでもそれなりに速いランナーのみに出場権が与えられているのである。それでも毎年4000人くらいの参加はあるが、競技としての色合いの濃い大会で、仮装して走るなどもってのほかだ。フルマラソンで3時間30分以内というのは、市民ランナーにとっては簡単なものではない。陸上経験者は別として、初心者がマラソンに挑戦しようとして、5km、10kmの距離を、毎日何となく走って練習したとしても、フルマラソンでは4時間も切れないだろう。市民ランナーの多くが最初に目標とする「サブフォー」つまり4時間以内の壁を破るには、1㎞くらいの短距離を全力で走るスピード練習や、筋力アップのトレーニングをする必要がある。もちろん30㎞くらいのロングランも大会前に、1回は走っておく必要がある。そうやって、ようやく4時間が切れるのだ。市民ランナーで「サブスリー」つまり、フルマラソンにおいて、3時間未満で走る選手は、それこそスピード練習から長距離走まで、普段からかなりのハードトレーニングを積んでいるのである。そのサブスリーランナーをも遙かに上回るトップランナーの2時間そこそこなんてスピードは、まさに超人で庶民には想像もできないことである。


「大丈夫、準備は万全だ」

神奈川電算の陸上部に所属する天津颯太あまつそうたは誰にともなくそうつぶやいた。気持ちを落ち着かせるためにも、レース前に颯太は必ずそう言うようにしていた。これは大学1年生の時から続けているルーティーンで、いわばおまじないのようなものであった。本当は右太ももに違和感が少しある。しかしこの大会に向けてハードなトレーニングを積んできて、故障ギリギリのところでやっている。上位を目指す選手なら、たぶん皆そうしているはずであるし、すべてが全く問題ないなんて選手は、いないのではないかと思う。それにこれくらいは、走り出せば忘れてしまうくらいの違和感なので、問題はないだろう。颯太は周りのライバルの様子もうかがいながらスタート前の数分を、そのようなことを考えて過ごしていた。

別府大分毎日マラソン大会は、1952年に第1回大会が開催されて以降、毎年2月初旬に開催される伝統あるマラソン大会である。大分マリーンパレス水族館「うみたまご」をスタートして、別府市亀川漁港前を折り返し、大分市に戻ってきて、大分市営陸上競技場がフィニッシュになる。比較的平坦で走りやすいコースとされ、若手マラソン選手の登竜門としても有名である。しかし、今年はマラソングランドチャンピオンシップシリーズ(MGCシリーズ)の大会の1つにされていて、トップランナーとしては重要な意味があった。東京オリンピックのマラソン代表選考の方法として、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が提唱され、MCGの1位と2位にオリンピック代表の資格を与えるというものである。しかし本戦であるMGC大会に出るには、主要な国際大会で一定の記録を出すか、2017年から2019年の国内での主要マラソン5大会で、一定の記録を出さなければMGC本戦に参加する資格が得られない。国内マラソンの主要5大会は、北海道マラソン、福岡国際マラソン、東京マラソン、琵琶湖びわこ毎日マラソン、そして別府大分毎日マラソンであった。別府大分毎日マラソンでのMGC参加資格タイムは、優勝者で2時間11分以内、2位から6位で2時間10分以内というものであった。夏の北海道マラソンを除いて、冬のマラソンの基準はだいたい皆同じである。颯太はMGC本戦出場資格を得るために、予選であるこの大会に出場してきたのである。

「スタート1分前」

スタート係のアナウンスが入る。まだ選手は皆、リラックスしている。軽いストレッチをしたり、靴紐くつひもの確認などをする選手もいる。

「10秒前」

その合図で招待選手をはじめ、選手はスタートの構えをとる。選手全員に急速に緊張感が走る。しばらく静まり返った後、ピストルの号砲とともに選手は勢いよく飛び出して行った。颯太にとってもマラソンの競技人生をかけた戦いが始まった。

スタート直後は選手が密集して走りにくい。かといって極端に飛び出すのは余計な体力を消耗する。また出遅れてしまうのは、追いつくのに余計な体力を使うので避けたいと誰もが思っている。ペースメーカーがいるので、それより前に出るのは論外だ。最初の1kmは、転倒は絶対避けながら、いい位置にいる事だけを考えるが、トップランナーは皆、同じ事を考えるので、肘や足がぶつかったりすることは日常茶飯事だ。颯太は30人ほどの先頭集団の中程の位置をとった。このまましばらくは、このペースで走るだけである。颯太はマラソンでは、5kmまで位置取り以外ほとんど何も考えずに走る。ペースメーカーがレースをコントロールしているので、慌てずにそれについて行くことだけでいいのである。トップグループで、こんなところから駆け引きをするやつはまずいないのだ。それに今回は、MGCの参加資格を取るのが第一の目標なので、まずは順位が優先される。タイムもある程度MGC予選突破に関連するが、ペースメーカーがそれほど遅れることはないと思われるので、そこは気にする必要はないであろう。肝心なことは自分を見失わないことであるが、自分の走りは、これまで何万キロも走ってきてフォームは意識しなくてもぶれることはない。呼吸も、むろん問題ない。この段階で、もし何かトラブルがあれば、確実に42.195kmは走れない。勝負所はまだまだ先なのだ。


 5kmのチェックポイントを過ぎたら、最初の給水だ。招待選手は自分で持ち込んだスペシャルドリンクのテーブルがある。冬のこの時期なので最初から水分補給は必ずしも必要ないのであるが、給水の練習にもなるので、一応とってわずかにドリンクを口に入れておく。ここらでは、予定通りレースが進んでいくのが大事であり、給水がとれなかったりすると、何となく不安感が出てきて、それがレースを左右することもある。颯太も他の有力選手も、このレースでは今のところ特にトラブルもないまま10kmにさしかかった。世界的に、多くのマラソンでペースメーカーが導入されてから、序盤で飛び出す選手はほぼいなくなった。一人で飛び出しても、その後のレース展開を作っていくのは大変な作業であり、トップを維持するのはプレッシャーもある。また、向かい風になったときに、風よけがないのはかなりつらい。以上のような事からだいたいは30kmまでペースメーカーについて行って、30km過ぎからの勝負というのが世界のマラソンの流れだ。むろんこの速いペースに、ふるい落とされず付いていくことが最低限の条件にはなるのだが。このレースでも10kmまで外国人招待選手5人、颯太を含む国内招待選手8人はすべて先頭グループにいる。残りは実業団、大学生などの一般参加選手で25人くらいの比較的大きな集団であった。ペースメーカーは3人で、これまでほぼ1kmを3分のペースで刻んでいる。このまま42.195km走れれば、2時間6分余りのタイムになるが、後半も同じスピードを維持するのは容易ではなく、必ずどこかでペースダウンするが、その程度をどう少なくするかが勝負の鍵となる。もちろん30km過ぎでも1kmを3分より速いスピードになることもあるが、それはほとんど、外国人がペースを上げ下げして、付いてくる選手を振り払おうとする事による。最近の国内のマラソンにおいて、日本人が急なペース変動をしてレースをかき乱すことはまれであった。やるなら終盤に一気にスパートをしてレースを決めに来る。


 颯太のマラソンベストタイムは2時間7分41秒である。颯太にとってこの前半、1kmを3分で走り続けることは無理なことではなく、またフィニッシュでMGCの設定タイムをクリアすることは決して困難なことではない。しかしこのベストタイムは2年前のものであり、その後2年間は、ちょっとした故障などもあり、思うような走りができていなかった。マラソン競技は過酷である。夏の大会は余り開催されず、例外的に、オリンピックやアジア大会などは開催されるが、優勝タイムは冬の大会と比べものにならないくらい遅くなる。冬のシーズンでも1年に1回か2回くらいしかトップレベルの選手は参加しない事が多い。それだけコンディションを最高にもって行くのに時間がかかるのである。颯太にしても、今回設定タイムをクリアできなければ、今後のマラソンの日程を加味して、東京オリンピックどころか、その挑戦権であるMGC本戦にも出ることができなくなる。オリンピックはすべてのアスリートにとって夢の舞台であり、その中でもマラソンは日本中が注目する人気競技であり、颯太に限らずどの選手も出場したい気持ちは同じであった。


 10kmの第一折り返しから、これまで北に向かって走ってきた道を逆に走ることになる。10kmを過ぎた時点で、颯太は周りのランナーを確認した。サブテン、つまりフルマラソンで2時間10分以内のタイムを持っているランナーは颯太を含めて4人いる。むろんこれは外国人を除いた数だ。まず、日本自動車の和田源樹わだげんき、長身で長いストライドを利した走りが持ち味だ。そして九州電機産業の堤大胡つつみだいご、ダイナミックな走りでいい記録も出すが、調子にむらがある。最後に広島スチールの林田敬一はやしだけいいち、後半驚異的にねばるのが信条である。この3人はもちろん先頭グループにいた。調子の良さはこの段階ではわからない。このほかにもマラソンの経験は少なくても、彼らに勝るとも劣らない走りをしてくる選手が何人かいるかもしれない。他のランナーも、颯太と同じように自分の周りの様子をうかがっているようだ。有力選手は先頭グループの中にいて、あまり目立たない位置につけている。しかし最後尾ではない。最後尾にいると、うっかり先頭との差が開いてしまうことがあるからだ。例えば20mくらいの差でも一気に詰めようとすれば、少し無理をしなければならない。したがって、この段階で大事なことは、第一に目立つようなことをして疲れることは避けることである。あたかも修行僧のように平常心で、余計なことは考えず、体力を温存する。さらに風を受けにくい位置をとって走ることも重要であった。20kmまでは、このように静かな戦いが続いていた。


 先頭グループはスタート地点のうみたまごまで帰ってきた。このあたりが20km地点である。まだ半分弱だが、このあたりで、力のない選手の振り落としが始まる。全体のペースは変わらないが、それについて行けない選手は次々と遅れ出す。颯太もこのあたりで遅れると、先頭に追いつくのは限りなく困難となるので、なんとしても離されるわけにはいかない。先頭グループが少なくなれば、マークする選手も少なくなり、有利ではあるが、風よけが少なくなるなど、デメリットもある。折しも今日はやや向かい風であり、選手の体力を徐々に奪っていく。本当の戦いは徐々に始まっていた。


 大分市内に入り、弁天大橋を渡って、いよいよ30kmのチェックポイントに到達した。ここでペースメーカーが外れるので、ここから選手間で駆け引きが始まる。“マラソンは30㎞から”とはよく言われるが、トップレベルの選手では、ここからの走りが勝敗を分ける。ここからスパートを含め駆け引きができるのか、つまりここまでどれだけ余力を残しているかが問われるのである。ちなみに“マラソンは30㎞から”というのは、なぜか市民ランナーでも同様で、30㎞からの残り12㎞が一番きついところであり、疲れがたまってペースがガクッと落ちやすいところである。市民ランナーの中で、練習をするときに1回で40km以上走っている猛者は少ない。40kmも走ると、終わった後の疲労を回復するのにかなり時間がかかるからである。世の中に多くある、マラソンをするための解説本では、30km走を取り入れることを勧めているが、実際に30km走でも定期的に練習で取り入れているランナーは優秀なほうだ。そういう真面目に取り組んでいる人は別として、ハーフマラソンしか走ったことのないランナーが、フルマラソンに初めてチャレンジすると、30kmくらいから疲労感が強烈に襲ってくることが多い。そこで“距離の壁”を思い知らされることになるのである。


 ペースメーカーが外れた先頭グループの選手たちは相手の様子を見ながら、いつスパートをするか、自分の余力と相談しながらの駆け引きを行う。むろん他の選手も同様のことを考えているので、自分の都合いいようにばかりはいかない。相手が先にスパートしたときに、ついて行くか、自重して勝機を待つかをその都度決断することになるが、どうすれば良かったかは結果をみなければ分からない。スパートして振り切れなかったら精神的にもダメージだし、相手にも元気を与えてしまう。今のところ30kmではスパートする選手はいないようであった。残り12kmといってもかなりの距離であり、トップランナーといえど、おいそれとは出られなかった。颯太もここでスパートする予定はなかったが、それよりも20kmからの向かい風でだいぶ足を奪われてしまった。ランナーにとって向かい風をまともに浴び続けることは、体力の消耗になる。そこで颯太は風の方向などを気にしながら集団での位置取りを細かく調整していた。しかし、他のランナーも向かい風を避けたいのは同じなので、位置取りでも競合が生じる。そういったことを繰り返していたら、いつの間にか右へ左へ走ることになって、体力を消耗してしまったのだ。しかも悪いことに、そういった動きによって、安定していたフォームもわずかに崩れてしまっていたことに、颯太自身も気がつかなかったのである。

「こんなはずでは」と焦るが、スピードに乗れない。一旦先頭の後方に下がって「どうか誰も出ずに、俺が回復するまで待ってくれ!」と祈る。今誰かに出られたら、とてもついて行けないだろう。幸い32kmまではスパートをする選手はなく、1kmのラップも3分15秒に落ちた。ところが32km過ぎの地点で外国人選手2人がしびれを切らしたようにスパートする。和田源樹、堤大胡、林田敬一の日本人3人もこれについて行こうとする。優勝を目指す選手は皆、ここが勝負所とみているのだ。

「ついにきたか」

ここで颯太も離れまいとスピードを上げ、懸命に手を振った。外国人選手だけならまだしも有力日本人3人も付いていくとなれば、ここは自分も勝負に行かねばならない。ここで離されるのは致命傷になるからだ。スパートをかけられたと言っても、1kmを3分5秒くらいなもので、それほど速くはないはずだ。しかし、颯太のスパートが続いたのはほんの数十秒であった。上げようと思っても、気持ちだけが空回りしてペースは上がらない。いかに手を振っても、肝心なストライドが伸びず、先頭との差は徐々に開いていった。安定していたはずのフォームが気づかぬうちに崩れていたのが原因だった。「これから粘れば、2時間10分台はいける」そう言い聞かせて走る。足の痛みなどはなく、水分の補給も問題なくやったはずだ。しかし40kmの平和市民公園歩道橋をくぐる頃には、呼吸も苦しくなってきた。あと2kmが長い。その後も懸命に走ったが、たて直すことができず、なんとか完走はしたが、ゴール前でも日本人選手に抜かれてしまった。結局、総合10位、日本人選手中7位、タイムは2時間12分8秒、惨敗であった。オリンピックは遠くに消え失せ、満足いく走りもできなかった。颯太はゴール後、両手を膝に置いて、大きく息をしながら、目標を失った目で呆然と観客席を見つめていた。


 別府大分毎日マラソン大会から3週間後、日本マラソン界、いや日本中のメディアは沸きに沸いた。東京マラソンで日本新記録が出たのだ。出したのは、東西自動車陸上部所属の伊沢隼人いざわはやと。伊沢は颯太と同学年で、高校時代から大学駅伝などライバルとして切磋琢磨してきた。トラック競技の5000mや10000mでも、勝ったり負けたりと互角の戦いをしてきたのであった。しかし社会人になり、伊沢は徐々にマラソンの力をつけてきた。ケニア、米国留学などを行い、日本人ランナーとは異なる道を歩み、プロのランナーとして東西自動車と契約を結ぶ。練習も最新のマシーンを使った筋力トレーニングを行い、さらに徹底した食事、体調管理と、豊富な走り込みを重ね、海外のレースで徐々に実績をあげてきた。そのタフな精神力と、安定した走りは「走る精密機械」とも称される。最近はヨーロッパのマラソンで日本歴代2位の好記録を出し、ついに東京マラソンで日本新記録を樹立。今まさに日本人ランナーのトップをひた走っていた。

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