雛鳥の殻破り 2
「立派な門構えですね……」
「今見えているのはほんの上澄みで、本体は地下にあります。地上階は招待された方であれば一般の人でも出入りは可能ですが、地下は魔力を持つ者しか立ち入りできません。ノクターン協会は国政とも関わりがありますから、そういった方をお招きしたり、諸手続きなどは地上階で行われるそうです」
「な、なるほど」
約5時間の死と隣り合わせになると思われたドライブは思いのほか快適で、森岡はほとんどの時間、心地よい揺れの中で眠っていた。途中、横浜に程近いパーキングエリアでひばりに起こされ、トイレの中でそそくさと黒いワンピースに着替えた。ひばりが前もって森岡に渡していた「持ってくる物リスト」の中に”黒い服”の記載があり、これが魔性の世界では正装になるのだという。
もう間もなく到着という頃になって事前にひばりに聞いておきたいことが山程あったことを思い出したが、時既に遅し。二人は迷うことなく
館の前へ車を乗り付け守衛の男性に鍵を渡すと、男性はひばりの車に乗り込んだ。代わりに駐車をしに行ってくれたようだ。まるで高級ホテルのような待遇に驚いていたが、二人の前に乗り付けていた車に対しては守衛が駐車場の方角を示すだけで対応は終わっていた。もしやひばりはこの界隈のVIPなのだろうかと考えた森岡だったが、普段のひばりの立ち居振る舞いを考えるとあながち間違ってもいないのだろうと一人納得していた。
車を預けてから反対側にいた別の守衛が門を開けてくれたので、二人は館に向かって歩きだした。門が閉まっていた時にはわからなかったが、館まで100メートル程の距離があり、その間には手入れの行き届いた美しい庭園が広がってる。ひばりの先導で歩みを進めるも、森岡は物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながらトロトロ歩いていたため、時々ひばりが止まって森岡が追いつくのを待った。
「ひばりさん、さすが、運転上手でしたね。すっかり安心しきって眠ってしまいました」
「それはよかった。車の運転に集中できるようにモーリーさんにまじないをかけておいて正解でした」
「いつの間に!?」
「さぁ、いつでしょうね」
ふふふと笑いながら、ひばりは正面玄関の扉の前に立った。そして扉を開けようとノブに手を伸ばした瞬間、森岡がその手を止めた。
「ひ、ひばりさん。私、どのように振る舞えばいいんでしょうか。よくわからないまま来てしまったもので、今更不安になってきてしまいました」
ひばりの手に触れた森岡の手は、炎天下だというのにひんやりしている。無理もない。つい数ヶ月前までは魔性の世界があることさえ都市伝説程度にしか知らなかったのだ。掌から森岡の緊張が伝わったひばりは、ぽんぽんと森岡の手を押さえふんわりと微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。細かいことは協会の職員が説明してくれます。誰もモーリーさんを悪いようにはしませんし、むしろ貴重な人材ですから、大切に扱ってくれます。たまに厭らしい人もいますけど、そんな小物は無視してかまいません。それに私も一緒にいますから。ね」
ひばりの心地よい声と穏やかな笑顔に、強張っていた肩の力がフッと抜けたのを感じた森岡は「はい」と笑って返した。
――にしても、小物って。時々口が悪くなるなひばりさん。
「ようこそ箱守家次期当主。担当者をお呼びしますのでおかけになってお待ち下さい」
扉を開けると、そこには豪奢なエントランスホールが広がっていた。左右対象に湾曲した広々とした階段があり、その間にツヤツヤに磨かれたアンティークのカウンターが置かれている。天井にはきらびやかなシャンデリアが設けられ、まだ昼前だというのにロビーを煌々と照らしている。
二人は出迎えてくれた案内係が指したソファに腰掛け、担当者を待つことにした。暇を持て余した二人はとりとめもない会話で場を繋ぐ。
「外観だけでなく、中も凄まじいですね。こんな高級な空間にいると場違いな気がして、なんだかいたたまれない気持ちになってきます」
「以前来た時に聞いたんですけど、このソファセット、高級車が買えるくらいのお値段だそうですよ。一回座るだけで5千円とられます」
「えぇ!?」
つい大きな声で驚愕の声を上げ立ち上がった森岡に、エントランスにいた人達の視線が集中した。皆不思議そうに森岡を見ている。
「冗談です」
「ちょっとひばりさん、驚かせないでくださいよ~恥ずかしい~」
「ふふふ、ごめんなさい。でも周りの皆さんは結構温かい目をしていると思いません?」
「……私には生暖かい目を向けられているように感じます」
「あら、それはちょっとひねくれた捉え方ですね」
「ひばりさんって初めて会った時に比べると、なんだか意地悪ですよね。
「あの時はお客様として接していましたし、私を頼って来てくださってるんですから
「今は?」
「リアクションが大きいのでいじり甲斐がある助手だなと」
「ほらぁ~」
ホールに響かない程度の小声でじゃれ合っていると、二人の前に森岡と然程歳の変わらなそうな男性の職員が立った。優しく細められた目が印象的な男性だ。
「お話中失礼致します。箱守様、お手続きの準備が整いました。初めに箱守様とお話させていただきたいのですがよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんけど、私一人でよろしいのですか?」
「はい。先にあちらの別室で受け入れの状況を確認させていただき、その後正式なお手続きと儀式を執り行いたいと思います。
「わかりました。モーリーさん、こちらで少しだけ待っていてください。すぐに戻りますから」
職員の後に続き、ひばりも急ぎ足で森岡の前から去っていった。バタバタしているなかでも優雅に歩くその後ろ姿はさすがだと関心していた森岡だったが、知らない場所に一人取り残されてしまった事に気づき、落ち着かない気持ちを紛らわすために、すぐ近くに置いてあった花瓶の柄を視線だけでなぞり始めた。
――案内係の人に箱守家次期当主って呼ばれてたけど、すごい響き。ひばりさんってやっぱりお嬢様なのね。そういえば、よく”ママ”のお話を聞くことはあるけどお父様のお話は聞かないな。次期当主ってことは今はお父様が当主をしているってことだよね。そもそも当主って何。家の主? 大黒柱のこと? なんかちょっと違う気がする。 てゆうかさっきの男の人、私のこと雛鳥って呼んだ? ひばりさんの助手だから雛? そんなわけないか。
ぐるぐると考え込んでいた森岡は、ふとシャンデリアの光を遮る人影に気が付き目を向けた。
そこには黒いスーツを着たでっぷりとしたお腹の中年男性が立っていた。先程の職員とは違い、どことなく人を品定めするような目付きをしている。その視線に背中をなぞられたようにぞわりとした感覚を持ったが、森岡はとっさに笑顔を貼り付け、男性に向かって首を傾げてみせた。
「ご機嫌よう。あなたが箱守家に取り入ろうとする雛鳥ですかな?」
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