避暑地に佇む魔女の店 6
ひとしきり食べ終えた3人は、ひばりの作ったカクテルをデザート代わりに飲みながら、食後の余韻に浸る。
さっと塩抜きした桜の塩漬けを白ワインに浸し、すり潰したイチゴと砂糖を加え、ソーダで割ったカクテル――といっても、ひばりも純も19歳で未成年なので、ノンアルコールワインを使用している。さわやかな甘さと春の香りが鼻を通り抜け、満たされた胃袋を落ち着かせてくれた。
「ん~! ひばりちゃんの作るカクテルは絶品だね!」
「ふふ、ありがとう。森岡様にはノンアルコールでは物足りないかもしれませんね」
「いえ、こんなにさわやかなカクテルは初めてですし、甘くてとっても美味しいです。――ところでひばりさん」
持っていたグラスをテーブルに置き、ひばりに向って居直した森岡は、深呼吸をした後、頭を深く下げた。
「ひばりさんのおかげで、弟と決別することができました。ありがとうございました」
「決別?!」
事情を知らない純は更に目を見開き、驚きの声を上げた。あわあわと動揺を隠しもしない純とは対照的に、落ち着き払い、どこか物憂げな眼差しで森岡を見つめるひばり。
そんなひばりの様子を見て、部外者である純が口を挟むのも
「ここを訪れた日の夜に、ひばりさんにお譲りいただいた口紅を塗り、弟と話をしました」
視線を落とし、その夜の出来事を思い出すように、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「本当はずっと、冷たい態度をとるようになった弟と向き合う覚悟ができていなかったんです。周りの関係が崩れてしまうような都合の悪い現実から目を逸していました。弟は、私を姉以上の存在だと思ってくれていました」
森岡の言葉に、黙って聞いていようと決心した純の心が揺らいだ。「姉以上の存在」とは、つまり、そういうことなのだろうか。とても込み入ったプライベートの話を聞いてしまってもよいのだろうか。しかし、この空気を壊すわけにはいかない。くいっとカクテルを口に含み、次の言葉を待つ。
「高校生の頃、弟が私の下着を自室に持ち込んでいたことがあったんです。その時はただ気持ちが悪いと思い、冗談半分にからかうようにその嫌悪感を弟にぶつけました。その後3日ほど口をきいてくれなかったのですが、またすぐにいつも通り、仲の良い姉弟に戻ったんです。今思えば、本当はその時に、弟の気持ちに気づいていたんだと思います。他の家族には見せない甘い優しさや、その……そういう対象で見られているということも。そして、私自身の弟への特別な感情にも」
言いながら、テーブルの下で両手の指を交差させ、いたたまれない感情を誤魔化すようにもぞもぞと動かす。
「けれど、私たちは姉弟で、家族としても弟を愛していた私は、その関係を壊すのが嫌だった。どんなに特別な存在であっても、家族を壊したくなかった。だから弟を溺愛する姉を演じて鬱陶しがられることで、弟との間に一線を引いていたんだと思います。たとえそれが、弟を傷つけることになったとしても」
愛おしそうに、でも今にも泣きだしそうに語る森岡を見て、本当に弟を大切に思う気持ちが伝わり、胸が締め付けらるような思いだった純は、思わずひばりの手を握った。ひばりはそっと握り返しながらも、森岡から目を逸らさない。
「口紅を塗ったことで勇気が湧いた気がするんです。弟が彼女を連れてきた時、私は何を言ったのか。弟や彼女を傷つけてしまったのか。そして、それをどうして話してくれないのか。ちゃんと向き合って聞くことができました。私は長年弟を傷つけていたくせに、彼女に取られるのが悔しいと言ってしまったんです。見えない壁を作っておきながら、独占したいなんて……。弟は自分の気持ちを打ち明けられない辛さに耐えていたというのに……ほんとにひどい姉ですよね」
あはは……と力なく苦笑いを浮かべる森岡に、2人もやんわりと微笑みを返す。
「でも、その後二人でちゃんと話し合って、お互いの距離をあけて、家族として生きるという答えを出しました」
森岡は下瞼に雫を蓄えながらも、穏やかに微笑む。儚げに、優しげに、それでも強い意志を瞳の奥に持ちながら、ひばりを見つめる。
「ひばりさん、あの口紅は、勇気の出るおまじないだったんじゃないですか?」
「ふふ、そうですね。森岡様がそう思われるなら、そうなんだと思います」
いつも通りの煮え切らない調子で返したひばりに、純は苦笑いを浮かべる。森岡もきょとんとした表情を浮かべていたが、くすくすと笑いカクテルを一口含み、喉を潤した。
「最初に決別と言いましたけど、正確にはお互いの適切な距離を保つことにしたんです。でも、同じ家に住んでいてはまた同じことを繰り返してしまうかもしれないので、私、引っ越すことにしたんです」
「お引越しですか。それはまた大胆な。どちらへ引っ越されるかはもうお決めになったんですか?」
「えぇ、この街に」
森岡は前回この街を訪れた時に、洋風の建物が立ち並び、自然が多い街並みと、この街に漂う独特な空気感に心を奪われていた。弟との話し合いの中で、家から近いという理由で職場を選んだ弟はそのままに、森岡が家を出ることで折り合いがついた。そして一番にこの街が思い浮かび、すぐに引っ越しを決めた。ひばりは心配そうに森岡を見遣る。
「お仕事は大丈夫なんですか?」
先ほどの魔草との死闘の最中、森岡は自らを料理人だと言っていた。今務めている職場には決して毎日通える距離ではないだろう。この街への引っ越しを決めるということは、その職を辞するということだ。
「元々あまり肌に合わない店でしたし、ちょっと飽き始めていたのでさっさと辞めて来ました」
いたずらな笑みを浮かべながら退職したことを告げる森岡に、ひばりは思わず吹き出した。
「あははっ。森岡様は思い切りがいいですね。聞いていて気持ちがいいです」
「森岡さん、この街でまた料理人をされるんですか?」
「しばらくはのんびりするつもりです。困らない程度には蓄えがありますし、まずはこの街を満喫したいです。あ、でも、いつかこの街で自分のお店を持ちたいですね」
「森岡さんがお店を構えたら、今日みたいなおいしいお料理が食べれるってことだねひばりちゃん!」
「ふふ、待ち遠しいね」
「あら、お料理なら、呼んでくだされば作りに来ますよ? 魔草の調理に興味がありますし、なにより、ひばりさんのファンになりましたからね」
「森岡さん、気が合いますね。私もひばりちゃんのファンなんです。たぶんファン第一号だと思います」
「そうなんですね! 私はまだひばりさんに出会って間もないので、純さんが知っているひばりさんのお話、聞かせてくれますか?」
「もちろんです! きっともっと好きになっちゃいますよ」
「ちょ、ちょっと二人ともやめてください。ファンだなんて大げさな……というか恥ずかしいです」
「謙遜しちゃって。ひばりちゃんのファンはたくさんいるんだよ? 隣の喫茶店のオーナーさんとか、地区長さんとか、あと商店街の揚げ物屋さんも!」
「私もそのうちの一人でございます。森岡様、純様、大いに語らいましょう」
どこからともなく現れたリヒトが、鼻息を荒くして乙女の食卓に割り入ってきた。
ひばりは呆れながらテーブルに頬杖をつき、ため息を一つ吐いた。
透き通った高い音でベルが鳴ったあと、透かし硝子のようなしゃがれた声が部屋に響く。
「ひばり様、そろそろ20時を回ります」
「ありがとう、ガラジ。森岡様、今夜のお宿はどちらですか? リヒトに送らせましょう」
「旧道沿いの民宿に部屋をとっています。そんなに遠くないので送っていただかなくても大丈夫ですよ。それと、もう『様』はやめてください。一緒に魔草を食べた仲じゃないですか」
「それなら私と一緒に帰りましょう! 私の家、旧道に出てすぐのところなんです。自転車で来たので二人だと徒歩になっちゃうんですけど……いいですか? モーリーさん」
「モーリーさん……」
「純ちゃん、さすがに砕けすぎじゃない?」
「いいえひばりさん、純さん。気に入りました! 私のことはモーリーと呼んでください!」
「えぇ……」
砕けたのは純の言葉遣いだけではなく、森岡――もとい、モーリーの心の壁も見事に粉砕したのだった。
*
「ひばりさん、本当にありがとう。これ、気持ちです」
去り際に森岡はひばりに封筒を手渡した。中にはお札が数枚入っていた。
「結果的に弟とは離れることになりましたが、私、今幸せなんです」
そう言って森岡は、心の底に溜まっていた泥を全て押し流したような、晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「こちらこそありがとうございます。あの、手伝っていただいてなんですが、一応魔草のことに関してはあまり口外しないでいただけると――」
「大丈夫、弁えていますよ。今度、魔女のことや魔術のことをもっと教えてください。私にできることであればお手伝いします。それと、ガラジさんのことも」
「ふふ、喜んで」
避暑地に佇む魔女の店 終
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