ビスケットを戦場で一緒に
高橋洋二
第1話 出征
アズサが生まれ育った村から出て、列車に乗っていたのは2日程だった。
途中列車は数回補給に寄ったのだろう、幾度かの場所で停り、自身と同じような兵士が何度か乗り込んできていた。
戦場まで運ばれる、塗装も何もかも禿げ上がった列車はガタガタと大きく揺れ、その度に車内で寿司詰めになり硬い床に座っている兵士たちは小さくうめき声を上げた。
椅子がない車内は窓が数個付いているだけの暗く狭い長方形の箱で、おおよそ人が乗ることを考えられていないであろう作りだった。
皆自身の膝を揃えて曲げ膝頭を手で抱えて座っていて、周囲の人間との距離も近いため身動きが取れるようなスペースはあまりない。
息を吐き、膝頭に顔を押し付ける。目を閉じて色々思考を巡らせるが、これから戦場に向かうと考えると、どうしても過去の自身の行いや思い出ばかりがフラッシュバックする。
そういえば列車に乗ったのは久しぶりだと思った。以前父に付き添って都会に連れて行ってもらった時に乗ったのが最初で最後だ。
生まれてこの方16年、あれほど我儘を言ったのは後にも先にもあの時しかない。
小さな子供の駄々に付き合いきれなくなったのだろう、父は最後に分かったよ、と軽く笑って承諾してくれた。
職業軍人だった父はよく、生まれ育った村から都会に出かけており、一度どうしても都会が見たくて我儘を言ったのだ。
優しかった父は6年前に死んだ。カムデン王国との国境紛争が始まった当時現地に派遣されそのまま帰ってくることはなかった。
自身の肩に立てかけていたライフルからカチャカチャと小さな音が聞こえる。
列車の振動に揺られ銃のストラップの金属の留め具部分が銃身に触れ、小さいが目障りな音を立てるのだ。
金属の小さな音が父との思考から自身を現在に引き戻す。
膝から頭をあげ、それとなく周囲を見渡す。
隣に座っている兵士は手に写真を持って、何事か語りかけているかのようにじっと見つめている。
それを横から盗み見ると、どこか牧場のような場所で6人ほどが柵に腰掛け横一列に並び笑顔でこちらを見ている写真だった。
おそらく彼の家族の写真だろう。年老いた父や母らしき人物、それに数人の兄弟たちだろうか。
兄弟は皆幼く、無邪気な笑顔をこちらに向けている。
列車に乗ってから何度繰り返し思い返したか分からないが、母のことを思った。
父が死んでから一家を育ててくれた唯一の人。アズサにも兄妹が下に3人いて、11歳の妹に8歳の双子の弟と妹。まだ母を助ける程には成熟しておらず心配ばかりが募る。
列車には銃弾を受けたのか所々にドングリ程の穴が空いていて、顔を近づけるとそこから外の風景がうかがえる。
列車の隙間から見える風景は真っ黒な土が平地を通してひたすらに続き、所々何かで吹き飛ばされたのだろうか、穴が抉れるように点々と混在しては肉の焼ける匂いとと共に煙が縦横に立ち込め、まるで地獄の風景とはこのようなものなのだろうかと自然と連想してしまった。
列車は揺れるたびに車内の人間のお尻を上下に幾度も揺らす。揺られるたびに刺激の少ないこの空間の中では思考だけが前に進む。
息を大きく吸い目を閉じる。所々に隙間のある列車では冷気と共に新鮮な空気が車内に入り込む。
このボルビアという祖国が隣国のカムデンとの本格的な戦争が始まったのは約一年前からだ。
それまで散発的に国境沿いで規模が拡大し切らなかった紛争はいくつかあったが、2年前の政権交代実質のクーデターから一年の間を置いて全面戦争に突入した。
通っていた学校では、ボルビアの豊かな地下資源目当てに周辺国が挑発的な軍事行動に打って出て来ていて、それが原因で紛争が勃発したという説明がなされていた。
だが実際にはクーデターで国を追われた元国王が周辺国に正義の戦争と称して現政権の打破を願い出たのが切っ掛けだった。周辺諸国は大義名分を得たとしてそれぞれ独自に戦争への道を模索。戦争へと真っ先に舵を切ったのがかつてから因縁のある西に位置する隣国カムデン王国だった。
カムデン王国以外の隣国も宣戦布告へと舵を切りたいのは山々だろうが、様々な国が隣り合っているこの大陸ではドミノ倒しのように全面戦争へと突入する可能性がある。
各国は未だ見ぬ大陸全土を巻き込んだ全面戦争を恐れており、この戦争への介入によってそれが引き起こるのではないかという懸念がカムデン王国以外を思い止まらせている、というのが市民たちの無意識下での理解だった。
アズサは座りながら自身の右胸に手を当てその膨らみを掴むと二、三度握ってみた。
包帯をさらしの様に巻き、あまり目立たない様にしているつもりだがどうしても気になってしまう。
髪は短く切り、村の男性たちと遜色ない程にはしている。列車に乗り込んでいる他の男性の兵士たちも皆まだ若く体が出来上がっていないこともあって、女性特有のそれとなく丸みを帯びた体格も彼らに混じっている限りバレることはないだろう。
だが自身が嘘をついているという後ろめたさがどうしても心持ちを不安にさせる。
アズサは自身の肩に掛けているライフルをしっかりと掴み、ボルト部分ゆっくりと撫でる。黒い金属が時折列車の隙間から漏れる日差しに当てられて鈍く光り、特有の鉄臭さが指に絡みつく。
手を口元に持っていって匂いを嗅ぐ。
昔、良く父と山に狩に出かけた。
緩やかに待ってそしてその場と一体になるんだ、それが出来れば銃口が自然と対象を追ってくれる。そうなると自然と弾が獲物を追いかけてくれる。
父はいつもそう言っては口にキビの茎を加えて笑った。
少女の小さい身体に不相応な大きさのライフルは不思議とアズサにしか認識出来ない特有の匂いを発していた。鉄の匂いとでも言えば良いのだろうか、兄弟は皆好きな匂いではなかったらしいが、自身はひどく惹かれる匂いだった。
頭の中では当時体験した狩の一部始終を反芻する。
獲物の足跡、風向き、排泄物などの痕跡、狙撃ポジションの選択。
今まで体験したことを何度も思い出しては指先を動かして、空想の中で実際に狩をする。するとこの列車の中も普段の生活の中かの様に錯覚する。風が吹いて、土の匂いに虫や他の生き物が周囲を這っている感覚をイメージする。
右手首に巻いた金属製のブレスレットを無意識に反対の左手でいじる。
表面が綺麗な鏡面に加工された幅が2センチほどのそれは、出征のときに戦場に出ることを手伝ってくれた村長から渡されたものだ。
あそこには悪魔が多く潜んでいる。
せめての慰めだがこれがお前さんを守ってくれますように、と付けてもらったのだ。
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