第25話 バドミントン(1)
若い内は代謝がいい。絢音は大して運動していないのにスリムだし、涼夏も痩せ型ではないが太ってはいない。そして私も、まったく運動していないが、体に余計な肉を感じたことがない。涼夏より重いのは身長の分だろうし、絢音より重いのは胸の分だろう。身長に対して平均体重以下だし、何も問題はない。
そう思っていたのだが、ある日絢音がいつものようにハグをした後、少し私の腰やお尻を撫でてから、考え込むように視線を落とした。そして、首を傾げる私に重たい唇を開いた。
「千紗都。これはもしかしたら私の勘違いかもしれないけど、一応春から毎日のように千紗都を抱きしめてる人間の一意見として聞いて」
「何?」
「太った?」
単刀直入に言われたその一言に、私は思わず固まって立ち尽くした。隣で涼夏が大笑いしてから、自分は大丈夫かと絢音に聞いた。ギュッと二人でハグし合ってから、絢音が深く頷いた。
「涼夏からは違和感を覚えない」
「待って。確かに私はまったく運動してないし、最近少し食べ過ぎてるかもしれない。でも、それだけで太る?」
「いや、太るだろ」
涼夏がバッサリと切り捨てて、私は軽く眩暈がした。おしまいだ。肉というのはつくのは簡単だが、落とすのは難しい。視力と同じだ。そう言って泣きわめく振りをすると、絢音が苦笑いを浮かべながら言った。
「視力を戻すよりは遥かに楽だと思うけど」
「どうすればいい? 大賢者の称号を持つ絢音なら、私が助かる方法を知ってるよね?」
私がすがりつくと、絢音は私の頭を撫でながら微笑んだ。
「私は食事を減らすダイエットは否定派だから、運動するしかないんじゃないかな」
「後は食事のカロリーを考えるとか」
涼夏がそう言いながら、私のお腹の肉をつまんだ。むにっと涼夏の指に私の肉が挟み込まれる。私は目をパチクリさせて涼夏を見つめた。
「カロリー? 私は16歳でもう、カロリーを考えて生きなくちゃいけないの?」
「もうって言うか、常に考えて。ご飯は茶碗一杯で250キロカロリー」
「えっ? なんでそんなこと知ってるの?」
突然博識を披露し始めた涼夏を見て唇を震わせると、涼夏は半眼で私を睨んだ。
「私を何部だと思ってるんだ?」
「料理部って、そんなことも勉強するの? 作って食べるだけじゃないの?」
「私、こういうバカっぽい千紗都、大好き」
涼夏が私を指差して笑うと、絢音も嬉しそうに頷いた。二人が何やら楽しそうに喋っているが、私の頭はもはや一切の言葉を受け付けず、ただ絢音の言った「太った?」の4文字だけが、グルグルと回り続けていた。
体重について考えたことがあまりない。もちろん、スタイルは意識しているし、体重計にも頻繁に乗っているが、太ったと感じたことがなかった。体重があまり変わっていないのに太るというのは、つまり筋肉が落ちて脂肪がついたということである。前に奈都も、私がどんどん柔らかくなっていると言っていた。
体重というのは、消費カロリー以上にカロリーを摂取すると増えるらしい。基礎代謝というものがあって、人は生きているだけでカロリーを消費する。私の場合は、1300キロカロリー程度だ。体重を維持するには、摂取カロリーを減らすか、消費カロリーを増やすしかない。
摂取カロリーを減らす方が簡単だが、そうすると筋肉量が低下して、基礎代謝が減ってしまう。そうなると摂取カロリーもさらに減らすしかなくなり、負の循環に陥った後、やがて死ぬ。大賢者が真顔でそう言っていたので、摂取カロリーはそのままで、消費カロリーを増やす方がいいだろう。もちろん、涼夏の言う通り、食事のバランスを考えるのも大切だが、家庭の問題でそれはなかなか難しい。
とりあえず走ろう。そう決意して、家に帰るとすぐ、ジャージに着替えて外に出た。少し肌寒いが、走っていれば温かくなるだろう。スポーツの秋と言うにはやや冬に差し掛かっているが、走るのには悪くない季節だ。
家から最寄り駅までの道や用水路沿いの遊歩道、公園の周りなどを適当に走る。退屈なので、イヤホンでもして来ればよかった。仕方がないので、涼夏の天使性について考えながら走っていたら、だんだん体が熱くなってきた。額から汗が流れ落ちるが、タオルも忘れてきてしまった。
駅から奈都の家の方に走っていると、前方にバトンケースを持った女子高生を発見したので、追いついて声をかけた。奈都は私を見て驚いたように目を丸くした。
「チサがジャージ着て走ってる!」
「そうだね。学校はどう?」
「急にどうしたの? チサ、もう金輪際運動はしないって言ってたのに!」
私の質問を無視して、奈都が大袈裟に声を上げた。一言もそんなことは言ってないが、まったく運動していなかったのは事実だ。絢音や涼夏にはそれが当たり前だろうが、中2の夏まで運動部に所属していた私は、普通に毎日部活で走り込んでいた。奈都には懐かしい光景だったのだろう。
「まあ、その、ダイエット的な? ちょっとお腹に肉がついてきた」
私がそう言って頭を掻くと、奈都は心配そうに私を見つめた。
「どうして急に今? そんなの、結構前からだよ?」
「うっ……。今、心に深刻なダメージを負った」
「そんな! チサ、気付いてなかったの?」
奈都が悲しそうに眉をゆがめて私の腕を掴んだ。この子は心配する振りをして、私をディスっているのだろうか。
「まあ、そんなわけで、寒くなるまでちょっと走ろうかなって。飽きるかもしれないから、奈都も一緒にどう?」
一人だと寂しいので、是非付き合ってくれと無茶振りをすると、案の定奈都は苦笑いを浮かべて首を振った。
「私、運動部なんだよね。もう十分運動してきた後なんだよね」
「奈都ってそういうところあるよね」
私が深くため息をつくと、奈都は「どういうところ!?」と心外そうに声を上げた。まあ、あまり私の個人的な事情に巻き込んでは申し訳ない。また涼夏の天使性について考えながら走り出そうとすると、奈都が私の手を握って言った。
「休みの日ならいいよ。一緒にスポーツしよっか」
「じゃあそれで。帰ったらまた連絡する」
「うん。気を付けてね!」
手を振って別れると、私は再び走り出した。週末の約束も大切だが、ひとまず今は少しでもカロリーを消費しなくてはいけない。痩せるために。そして、ご飯をたくさん食べるために。
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