第23話 温泉 4
温泉街の宿に戻ってきたら16時を過ぎていた。秋の夕日はつるべ落としと言うが、つるべとは何だろう。いつの間にか晴れて赤く染まっている空を見つめながら絢音に聞くと、絢音は「たぶん」と前置きした上で、井戸で水を汲むやつのことだと言った。
私が感心しながら頷いていると、涼夏が疲れ切った顔で私の肩に手を乗せた。
「いいから、早くチェックインしよう。涼夏さん、もうダメです」
「はいはい」
針谷駅に着いてからすでに5時間以上経っていて、しかもそのほとんどの時間、歩き続けている。涼夏でなくても疲れているし、奈都も幾分口数が少ない。
チェックインの時に夕食を用意する時間を聞かれたので、18時半にしておいた。8畳の和室に通されると、涼夏が荷物を放り出して座布団の上に崩れ落ちた。
「やっと辿り着いた……」
「私も疲れた……」
奈都が窓のそばに座って、疲れたように息を吐く。窓から見える景色は、至って平凡な田舎の風景だ。
絢音が浴衣に着替えてから、死んだように倒れている涼夏の体を揺すった。
「生きてる? 浴衣に着替えさせようか?」
「うん……」
ぐったりとそう答えた涼夏の服を、絢音が嬉々として脱がせ始める。相変わらずそういうことが好きな子だ。
とりあえずみんな浴衣に着替えると、早速お風呂に行くことにした。高校生4人で泊まれる程度のお値段の宿なので、それほど立派なお風呂ではないが、入れ替え制ではないし、小さいが露天風呂もある。夏に泊まった民宿よりは随分と立派だ。
「民宿と旅館の差はあるよね」
体を洗ってから露天風呂に浸かると、涼夏が明るい瞳でそう言った。だいぶ元気が戻ってきたようだ。
肩まで浸かって石の上に頭を乗せると、まだ明るさを残した空に星が白い点を打っていた。この辺だと満天の星空が見られるだろうか。それとも、少し明るいか。
お湯はぬるめで、長く入っていられる。泉質や効能はわからないが、透明で柔らかく、あまり温泉という感じはしない。こういうのは気分の問題なので、個人的にはそこはどうでもいい。
「疲れたなー。涼夏じゃないけど、私もマッサージして欲しいなぁ」
奈都が疲れたようにそう言いながら、湯船の中でぐったりと身を投げ出した。絢音が「してあげようか?」と微笑みながら、両手で奈都のふくらはぎを包み込む。そして、裏側からグッと親指を押し込むと、奈都が悲鳴を上げた。
「い、痛い! あれ? 痛い? 痛い痛い!」
「疲れてるんだよ。我慢して」
「ひぃ……くっ! くぁ……」
奈都が涙目でふるふると首を振る。嬉しそうに揉む絢音を見ながら、涼夏が「私には優しくしてね」と困ったように眉尻を下げた。
「結構優しくしてるつもりなんだけど」
「ちょっと慣れてきた。気持ちいいかもしれない」
絢音の言葉に、奈都が何度か頷いた。気持ちいいなら私もやってもらおうと思ったが、せっかく絢音と奈都が親睦を深めているのに邪魔するのも悪いので、黙って眺めていた。時々痛そうな顔をする奈都が実に可愛い。ニヤニヤしながら見ていたら、涼夏に「悪趣味だねぇ」と笑われた。
しばらく取り留めもない話をして、お風呂から上がった。夜遅くまで開いているので、涼夏が夜にまた来ようと言ったが、経験上、面倒くさくなって来ないと思う。
部屋に戻ると、とりあえず布団を敷いた。絢音と奈都と並んで敷布団にシーツを掛けていると、涼夏が仁王立ちしたまま何でもないように言った。
「今夜は誰が千紗都と寝るの? 私は海の時に一緒に寝たから、今日は譲るけど」
私は思わず手を止めて両隣の二人を見たが、二人とも作業の手を止めずに、何食わぬ顔で言った。
「ジャンケンでもいいけど、今日は涼夏の誕生祝いなんだし、涼夏でいいよ?」
「私は右手だけ中に入れさせてもらえれば」
「じゃあ、私も左手だけ」
そう言いながら、3人で可笑しそうに笑う。涼夏が私の敷いた布団に枕を置きながら、至近距離で私の顔を見つめた。
「千紗都は誰と寝たい?」
「別に誰でもいいけど。私は3人に優劣をつけてない」
呆れながらそう答えると、涼夏は満足そうににんまりと笑った。事前に何も聞かされていないが、私が誰かと一緒に寝るというのは、いつの間に決まったのだろう。もしくは、それはもはや暗黙の決定事項なのだろうか。
傍らで転がっている涼夏の髪を撫でると、涼夏が「マッサージして」と甘える子供のように言った。奈都がやれやれと腰を上げて、涼夏の足下に座った。
「じゃあ、私が脚をほぐしてあげるね」
「じゃあ、私が肩を揉むよ」
すぐ目の前に涼夏の肩があるので、両手をかけながらそう言うと、絢音が実に爽やかに微笑みながら、涼夏のお尻の横に腰を下ろした。
「千紗都が上半身で、ナツが下半身をほぐすなら、私はその真ん中にしようかな」
絢音の手が涼夏のお尻のカーブをなぞる。その指先を見つめながら肩を揉むと、涼夏が小さく身をよじりながら気持ち良さそうに声を漏らした。
「ヤバい。30本の指が私の体を蹂躙する」
涼夏が脚を崩して座っていた私の腰に手を回して、太ももに顔をうずめた。仕方がないので膝枕を提供しながら、頭の方から肩や背中を指圧する。お風呂上がりの涼夏の体は、温かくて柔らかい。
「脚は疲れてる感じがする。結構張ってる」
奈都がそう言いながら、絢音にしてもらっていたように、ふくらはぎや足の裏を指先でほぐした。涼夏が時々身をよじりながら、くぐもった声を漏らす。浴衣の帯がほどけて、絢音が引っ張って隣の布団の上に置いた。
涼夏が私の腰や背中を撫でながら、荒い息を吐いている。浴衣が枕カバーのように私の太ももを覆っていたはずだが、今や直接顔をうずめているので、肌にかかる鼻息がくすぐったい。
絢音が涼夏のお尻や太ももの内側を撫でながら、器用に浴衣をまくり上げた。私も手伝って涼夏の体から浴衣を剥ぎ取ると、綺麗な白い背中に胸がドキドキした。さっき脱衣所でも見ていたはずだが、裸や下着でいるのが当たり前の脱衣所と布団の上とでは、同じ下着姿でも見え方が全然違う。
「涼夏、エッチな体してるね」
冗談めかして声をかけると、涼夏が私の浴衣に手を入れて、下着の上から私の腰を撫でた。
「目がおかしいんじゃない?」
「そうかなぁ」
マッサージの邪魔になるのでブラジャーのホックを外して、背骨を辿るように親指を肌に沈めた。少し身を乗り出して腰を指圧すると、涼夏が私の背中をグッと引き寄せながら、お腹と太ももの間の空間に顔をうずめた。息苦しくないのだろうか。
奈都がずっと真面目に涼夏の足をほぐしながら、じっと絢音の手を見つめている。絢音は、果たしてそんなところ凝っているのだろうかという場所を、下着の上から触り続けている。
「みんなにマッサージしてもらうの、気持ちいい……」
涼夏がかすれた声でそう言いながら、私のお腹に顔をこすり付けた。呼吸が荒く、時々熱っぽい声を漏らす。
「涼夏、声がエッチだよ?」
聞いていて恥ずかしいのでそう声をかけたが、涼夏は落ち着かないように私の腰やお尻に手を這わせながら、時々身をよじるだけだった。
「アヤは、涼夏のこと、好きなの?」
突然、奈都がそんな言葉を口にした。何が奈都にそれを言わせたのかと言えば、きっと絢音の触っている位置だろう。絢音はくすっと笑って頷いた。
「もちろん」
「チサとどっちが好き?」
「私は、千紗都と涼夏に優劣をつけてないよ」
どこかで聞いた台詞だ。夏に風邪で倒れた時、絢音は看病しながら随分私の体に触っていたが、その好奇心はもちろん、涼夏に対しても向けられている。春の頃は、私ほど涼夏とは親しくないと言っていたが、あれからもう半年も経っている。
「帰宅部ってすごいよね」
奈都が達観した表情でそう言って、自らの仕事に没頭するように涼夏の足の裏に親指を突き立てた。
涼夏の荒い呼吸に、局所的に湿度が上がる。時計を見ると、18時を少し過ぎたところだった。食事までずっとマッサージをしていればいいのだろうか。マッサージとお喋りは両立できそうな気がしたから、「遊園地、結構遠そうだったよね」と声をかけると、奈都が驚いたように顔を上げた。
「普通に話し始めるんだ!」
「えっ? おかしい?」
「いや、そういう空気じゃなかったから」
奈都が顔を赤くしながら、上擦った声でそう言った。私が首を傾げると、絢音が可笑しそうに顔を綻ばせたが、何も言わなかった。涼夏はよほどマッサージが気持ちいいのか、私のお尻に指をうずめながら悶えている。しっとりと肌に汗が浮かんでいるので、やはり食事の後にもう一度お風呂に行くことになりそうだ。
「地図を見てた時、今日行った公園から対岸の遊園地まですぐかと思ったけど、高低差は考えてなかった」
峡谷というだけあって、遊園地は対岸の遥か高い場所にあった。泊まっている旅館から公園は経由せず、別の道からかなり登って橋を渡り、ようやく辿り着くことができる。旅館の前から出ているバスで行けるようだし、行くならバスだろうか。
そう聞いてみたが、奈都が「そうだねぇ」と気のない返事をしただけで、帰宅部の二人は何も言わなかった。マッサージをするのとされるのに全霊を注いでいるらしい。
私が頬を膨らませて涼夏の体に触れていると、小刻みに体を震わせていた涼夏が、やにわに体を起こして大きく肩で息をした。紅潮した頬と潤んだ瞳。汗で額に張り付いた前髪が妙に色っぽい。はぁはぁと熱い吐息を漏らす口元が、唾液で濡れている。
反射的に自分の体を見下ろすと、下着も太ももも涼夏の唾液でベタベタになっていた。非難の声を上げようとしたが、先に涼夏が放心した顔で口を開いた。
「危なかった。絢音に委ねるところだった」
「委ねてくれてよかったのに」
絢音が自分の指をペロリと舐めながら、艶っぽく目を細めた。奈都は目のやり場に困ったように、せわしなく指を絡めて俯いている。涼夏が手の甲で口元を拭うと、無機質な動きでブラジャーを取って着けた。
「マッサージ、そんなに気持ち良かったの?」
私が太ももをタオルで拭きながら聞くと、涼夏はぼんやりした表情で頷いた。
「うん。千紗都にもしてあげようか?」
「また今度お願いするよ」
軽く手を振って、タオル掛けにタオルを戻した。下着がベタベタするが、これ以上替えはないので仕方ない。
そろそろ夕食の時間だ。一人1,500円のご厚意ディナーは、果たして何が出てくるのか。お腹が空いたのでとても楽しみだ。
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