第17話 海 5

 宿に戻ると、とりあえずまず布団を敷くことにした。お風呂上りに布団にダイブしたいと涼夏が言い出したのだ。

 布団を4つ敷くと、涼夏が私の敷いた布団に枕を置いた。2つ並んだ枕を4人で見下ろしてから、私は静かに顔を上げた。

「これは?」

「うん。私今日、千紗都と一緒に寝ようと思って」

 しんみりと涼夏が言って、2つの枕をバランスよく並べた。一体この子は何を言っているのだろう。突っ込んだら負けだと思い、とりあえずお風呂に行く準備をする。

 2回目の入浴は、体を洗ってから4人で湯船に浸かった。少しだけお喋りをしたが、もしかしたら空くのを待っている人がいるかもしれないし、部屋で話せばいいやと言ってすぐに出た。

 更衣室で体を拭いていると、目の前で奈都がバスタオルでわさわさと髪を拭いていた。すらりとしたボディーラインは、涼夏と違って大人の曲線だ。お尻はキュッと引き締まっている。絢音のように細いわけではなく、肉づきは私と同じくらいなのに、張りが違う。筋肉量の違いだろうか。

 バスタオルを首からかけて、両手でお尻を揉むと、奈都がこっちが驚くほどの悲鳴を上げて飛び退いた。勢いよく振り返って、真っ赤な顔で私を睨む。

「だからなんですぐお尻を触るの!?」

「そこにお尻があったから」

 真正面からじっと見つめると、奈都が恥ずかしそうに腕で胸を隠した。押し潰された胸が、むにょっと柔らかく形を変える。涼夏と同じくらいだろうか。お腹やさらにその下の方を眺めていると、奈都が諦めたように体を拭きながら唇を尖らせた。

「チサがこんなふうになっちゃったのは、涼夏とアヤのせいだからね!」

「いや、知らん。私が会った時は、すでにこうだった」

 涼夏が私の体を見つめながら、しれっと手を振った。絢音も「手遅れだった」と同意する。そもそもどういうふうなのかわからないが、妙に体が気になるようになってしまったのは、間違いなく絢音のハグのせいだと思うので、奈都に同情しないでもない。

 髪を乾かしてから部屋に戻ると、涼夏が宣言通り布団にダイブした。何故か私の布団の上でごろごろしているので、私はそっと涼夏の体を足で踏んづけた。

「これ、私の布団だから」

「もっと踏んで。目覚めるまで踏んで」

 涼夏が私の枕に顔をうずめながら、熱っぽく言った。さすがにドン引きだ。絢音も奈都も自分の布団の上で気持ち良さそうに大の字になっているので、私は仕方なく涼夏の隣に寝転がった。

「わーい、千紗都だ!」

 涼夏が子供のようにそう言って、私の体にしがみついた。お風呂上りで体が熱い。Tシャツ1枚の感触は艶めかしく、触れ合う肌が汗でじっとりと濡れた。

 絢音が体を起こして、「二人の絡みは美しい」などとわけのわからないことを呟きながら、スマホで写真を撮り始める。仕方なく旧友に助けを求めると、奈都は困ったように眉尻を下げた。

「私の入る余地はない」

「そんなことはない。ナッちゃんは正妻なんだから! ちょっとそのまま寝てて」

 突然我に返ったようにそう言って、涼夏が私を抱きしめたまま起き上がった。そして、仰向けに寝ている奈都の上に私を寝かせると、さらに私の背中の上に乗ってプレスする。胸と胸が押し潰されて、肋骨がきしんだ。息が苦しい。80キロくらいの体重をかけられて、奈都が私の体の下で呻いた。

「待って、涼夏、苦しい」

「大丈夫。私は羽のように軽いし」

「大丈夫じゃない……ううぅ……」

 奈都が苦しそうにもがく。涼夏が仕方なさそうに私の体を解放したが、私は気持ちが良かったので、そのままもう10分くらい奈都を抱きしめて寝転がっていた。

 それからお菓子を開けて、布団の上でトランプで遊んだ。この時間のポテチは罪悪感を覚えるが、それがいいのだと絢音がしたり顔で頷いた。確かに、いかにも学生の合宿感がある。

 ババ抜きに大富豪、ダウト。もはや最後にやったのがいつかも覚えていないほど懐かしいゲームで遊んでから、その内自然と寝るムードになった。

 歯を磨いてからトイレに行く。あくびをしながらトイレから出ると、廊下に奈都が立っていた。

「奈都もトイレ?」

 眠たい目をこすりながら聞くと、奈都は少しだけ視線を落として首を振った。

「ちょっと、チサと喋りたくて」

「うん。そういえば、ずっと4人でいるよね」

 階段を降りると、ロビーはすでに電気が消えて暗かった。全館冷房ではないので、少し暑い。お風呂の時間ももう過ぎて、静まり返っている。

 長椅子に横並びに腰掛けると、奈都が言い淀むように口を開いた。

「花火の時、涼夏とキスしてたよね?」

「ああ、うん。やっぱり見られてたんだ」

 私が苦笑しながら軽いタッチでそう言うと、奈都は驚いたように私を見上げた。

「普通だね」

「ただのスキンシップだからね。ほら、涼夏と絢音も、奈都の目の前でキスしてたじゃん」

 夏休みの初め、涼夏の家で宿題をやった時のことだ。奈都がキスの話にショックを受けていたので、特別なことではないとアピールするために、涼夏が絢音にキスをした。奈都も納得していたはずだが、やはり話に聞くのと実際に見るのは違うのだろう。

「ちょっと、モヤッとしちゃって」

 そう言って、そっと嘆息する。私を責めているというより、そんなこと思いたくないのに思ってしまう自分に苛立っているように見える。

「今ここで奈都とキスしてもいいけど」

 そう言いながら、そっと奈都の肩を抱き寄せた。咄嗟に顔を上げた奈都の頬に手を当てて、唇を近付ける。奈都が頬を赤くしてふるふると首を振った。

「いや、その、チサとキスとか、したいけど、初めては、もうちょっと、こう……」

「でも、奈都がモヤモヤしてる原因の大半が、私たちがキスしてないせいだと思うけど」

 真顔でそう言って、さらに顔を近付ける。上唇が微かに触れ合うと、奈都が固く目を閉じて小さく体を震わせた。嫌なわけではなさそうだが、心の準備がしたいのだろう。可愛らしい。

 顔を離して奈都の肩に頭を乗せる。その体勢のまま髪を撫でると、奈都は安心したように息を吐いた。

「嫌なんじゃないよ?」

「わかってる。でも、あんまり引き延ばさない方がいい気がするのは本当」

 私の声が、しんとしたロビーに溶けて消える。しばらく温もりを楽しむように肩を寄せ合ってから、奈都がぽつりと切り出した。

「涼夏とアヤは不思議。チサのこと、すごい好きなのに、まったく独占したいって気持ちがないみたい」

 それはどうだろう。私は無言で二人の顔を思い浮かべた。

 それは単に3人の信頼関係であって、例えばまったく違う誰かが現れたら、涼夏も絢音も、全力で私を囲い込もうとするだろう。奈都に対してそうしないのは、心の底から奈都を認めているからだ。奈都もそれがわかっているから、二人に嫉妬し切れずにいる。

「みんなのチサ。そう感じた。私も、チサを独占しようとしちゃダメなんだって……」

「独占したいの? 独占して、どうするの?」

 私が首を傾げると、奈都が不思議そうに私を見つめた。

「どうって……どう?」

「4人で仲良くじゃダメなの?」

「でも、私はチサのこと……」

 言いかけて、慌てて口を噤む。奈都は私のことを、恋愛的に愛している。それは少し前から薄々気が付いていた。

 ただ、きっとそれは涼夏と絢音も同じだし、私も3人をただの友達だとは思っていない。

「これはきっと私の我が儘。私はもう、誰も失いたくない」

 やっぱりキスをしよう。私にとって奈都も本当に大事なのだとわかってもらうには、きっとそれが一番早い。

 そっと抱きしめて唇を塞ぐと、奈都は体に力を入れてギュッと私にしがみついた。しばらく唇を重ねて、初めてなのに舌まで入れてむさぼると、やがて奈都は脱力するように私に体を預けて、同じように舌を絡めた。できるだけ長く、初めてのキスを印象付けるようにねっとりと舌を絡め合ってから顔を離すと、奈都は陶然とした目で私を見つめた。その瞳を真っ直ぐ見つめ返して口を開く。

「私の我が儘に付き合って。私はもちろん、奈都のことだって失いたくない」

 奈都のことは愛している。けれど、それと同じくらい、涼夏と絢音のことも愛している。私は4人で仲良くしたい。そう強く訴えると、奈都は頬を染めたまま小さく頷いた。

 帰宅部流のハグをしてから部屋に戻ると、涼夏が憮然とした顔で枕を叩いた。

「遅い。二人で何してたの?」

「ごめん。キスしてた」

「そっか。じゃあ許す」

 涼夏があっさりとそう言って、絢音が布団の中でスマホをいじりながら、可笑しそうに笑い声を立てた。二人ともまるで動じていない。もしかしたら、探しに来て、見られていたのかもしれない。奈都は恥ずかしそうにしながら、自分の布団に潜り込んだ。

「それで、涼夏は私と寝るの?」

 私の布団の上に居座る涼夏に聞くと、涼夏は当然というように頷いた。

「だって、ナッちゃんは何回も千紗都の部屋に泊まったことがあって、絢音も千紗都が風邪を引いた時、一緒に寝てたんでしょ? 私だけ仲間外れじゃん」

「私は別にいいけど……」

 てこでも動きそうにないので諦めたように息を吐くと、涼夏が奈都を見た。

「正妻の許可が下りなかったら諦める」

「別にいいよ。特別に今夜は私のチサを貸してあげる」

 奈都が無意味に偉そうにそう言うと、涼夏は「さすが正妻!」と嬉しそうに微笑んだ。今の口ぶりと先程のキスを考えたら、恐らく大丈夫だろう。

 明かりを消して布団に入ると、涼夏が私の体を抱きしめて首筋に顔をうずめた。

「はぁ。千紗都、いい匂いがする」

「いや、いいから寝て」

「興奮して寝れない!」

「じゃあ自分の布団に帰って!」

 私が思わず叫ぶと、暗闇の中で絢音の笑い声がした。涼夏が鼻息を荒くしながら、私の体を撫で回す。その内我慢できなくなったのか、私の上に乗っかると私の唇を吸った。

「もうダメ! さっきの千紗都とナッちゃんのキスを思い出したら、私もしたくなった!」

「やっぱり見てたんじゃん!」

「だって、帰りが遅かったから! 千紗都!」

 私の体を乱暴に抱きしめながら、涼夏が私の口の中を舐める。すぐそこで友達が寝ているというのに、なんてことをするのか。

「頭おかしいでしょ!」

「千紗都のせいだから!」

「もうヤダ! 誰か助けて!」

 嘘泣きしながら助けを求めたが、二人からは眠そうなあくびと、「おやすみ」という声しかなかった。もうダメだ。数分前、別に構わないと思った自分を厳しく叱りたい。

 今夜は諦めよう。どうせ明日も休みだし、無理に寝る必要もない。ただ、他に音のしない暗がりに、キスの音と涼夏の熱っぽい吐息だけが聴こえるのはさすがに恥ずかしいので、それだけはなんとかしていただけたらと切に願う。

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