第21話

『キスの練習をしよう』


 言葉の意味は理解できる。

 女の子同士なら、そういう可能性があることも。


 けれども、チトセが何を考えているのか、マナトはまったく理解できなかった。


「いや……チトセさん……だって私は……」


 男なので!

 カミングアウトしそうになり、心のブレーキを踏む。


「こんなにきれいな顔なのに、もったいない。どうしてセイラさんは、マナさんとのキスを済ませていないのかしら?」

「それはもちろん……私は従者ですから……」

「ここは21世紀の日本よ。そんなの関係ないわ。好きな人を好きになる自由があるわ」


 マナトの頭には疑問符が飛びまくり。

 さっきから何をいっているのだ、この女性ひとは。


「私、マナさんのことが好きだわ」

「いけません、チトセさん」

「どうして?」

「……」


 肩を抱きしめられた。

 チトセの胸が当たって、柔軟剤のような匂いが鼻をつく。


 これは夢じゃない。

 シスター・ユリアのみならず、チトセにもハグを許してしまった。


 これは良くない現象だ。

 チトセはこっちの正体を知らないからベタベタと寄ってくるのだ。


 もし、マナ=男だと知ったら……。

 口から泡を吹いて、卒倒そっとうするのではないだろうか?

 そのシーンを想像して、頭がパニックを起こしそうになる。


「いけません!」


 気づいた時にはチトセの体を突き飛ばしてしまった。

 やってしまった⁉︎ と反省したが遅かった。


 ゴツン!

 チトセの体が座席の手すりにぶつかる。

 けっこう痛いのは、インパクト音で明らかだった。


「ごめんなさい……チトセさん……」

「いえ」


 おろおろするマナトに向けて、にっこりと微笑みかけてくる。

 何事もなかったかのように、手を差し伸べながら。


「さあ、電車が目的地につきましたよ。降りましょうか」


 本当だった。

 ぷっしゅ〜とドアが開く。

 ガラス窓の向こうには、巨大なショッピングモールがそびえており、たくさんの利用客が乗り降りしていた。


「先ほどは、本当に申し訳ありません」

「いえ、謝らないで。強引に迫ろうとした私が悪いのです。そうですよね、マナさんはセイラさん一筋ですよね」

「それはそうですが……」


 チトセが歩き出したので、マナトは慌てて追いかける。


 ちょっと様子が変だ。

 いや、元から変な人だが。


「ああ……私ったら……なんと情けない」

「チトセさん!」

「マナさんの容姿の美しさに魅かれて、一方的に抱きしめて、あまつさえキスなどと!」

「ちょっと、チトセさん!」

「ああっ! これでは生徒会副会長として失格ですわ! セイラさんに合わせる顔がありません!」

「だから、チトセさん!」


 マナトは両腕を広げた。

 通せん坊するように、同級生の行く手に立ちはだかる。


 セイラと似ている。

 どうしてお嬢様という生き物は……。

 自分ばかりしゃべって、他人の話に耳を傾けるのが苦手なのだろうか。


「佐々木チトセさん! 私の話を聞いてください!」

「マナさん? どうしたの? そんなに怖い顔をして?」

「失礼を承知で申し上げます! ですから、怒らずに聞いてください!」

「はい」


 チトセがごくりとつばを飲んだ。

 この天然お嬢様に、我慢してきたセリフを叩きつける時が訪れたらしい。


「こっちは駅の西口です! そして、ショッピングモールがあるのは東口です! まるっきり逆方向です!」

「あら……」

「勝手に歩くな! 私についてこい! 言いたいことはそれです! 道案内は私がしますから! チトセさんにうろちょろされたら……」


 マナトはすうっと息を吸った。

 これも愛のむちだと思って、少々厳しめのセリフをぶつけることにした。


「正直、迷惑です! いつか事故ります! 私の後ろをついてきて、なおかつ、半径3メートル以内から離れないでください! じゃないと、守れるものも守れなくなります! いいですね!」

「え〜と……それはどういう意味……」

「私の側を離れるな! ずっと近くにいろ! それを約束してください! 今すぐ誓いなさい!」

「なんと⁉︎」


 チトセが口元を押さえた。

 その頬っぺたがみるみる紅潮こうちょうしていく。


「側を離れるな……近くにいろ……」


 マナトとしては、手厳しい言い方をしたつもりだ。

 なのに、チトセの表情はすごく嬉しそう。


「分かってくれましたか?」

「ええ、もちろん、分かっていますとも」


 恋する乙女のようなキラキラの瞳がまぶしい。


「ずっとマナさんの側におります。一生、マナさんについていきます」

「はぁ? 一生……ですか?」


 コーン! コーン! コーン!

 近くの教会から祝福の音色ねいろが響いてきた。

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