月日
三年
寒々しい空の季節が今年もやってきた。自分の部屋の窓から見える空は晴れていたが、どことなく乾いた印象があった。もう少ししたらあの事件から三年が経ってしまう。私はあれから何もできずにいる。色々なことを試してはみたが辛い気持ちばかりが蘇ってしまうことの繰り返しだった。高校をちゃんと卒業できたでもなく、何か仕事をしているでもない宙ぶらりんな状態。私自身、この宙ぶらりんな状態がずっと続くことはあまり望んではいない。だが、結局はそうなっていて、それすらも嫌になってくる。
お母さんやお父さんは「気が済むまで休みなさい。いつか、立ち直れる日が来る」と言ってはくれるのだが、私にとってそれはなかなか苦しいもので、申し訳ない気持ちになってしまう。いつか、この気持ちに整理がつく時は来るのだろうか。
気が重くなってしまったので、外に出て気分転換をすることにした。時刻は午前十一時過ぎ。家の鍵と財布だけを持って玄関を閉める。私は外に出て歩くことが好きになった。特に理由や根拠がある訳ではないが、歩いていると落ち着けるからである。心の調子がなんとなく乱れた時は外に出てゆっくりと歩いている。そうして歩いているとたまに高校時代の同級生を見かけてしまう。その姿を見ると彼女らはこの三年間でだいぶ垢抜けたと思う。その一方で私はあの頃に比べて服装や化粧へのこだわりがなくなっていた。だからなのか、つい思ってしまうのは、彼女たちはそういう見せかけの美しさばかりをこだわって、心の中は綺麗ではないということである。私は彼女たちとは仲直りはできないだろう。それでいい。彼女たちのこれからに私は一切関わらないだろうから。
外を歩き続けているとまた見覚えのある顔を見かけた。誰だろうか。そう思って目を凝らすと佐伯くんだった。
「さ、佐伯くん!」
私は約三年ぶりに佐伯くんを見た。思わず大声で名前を呼んでしまった。私の声に驚いた佐伯くんだったが、向こうもすぐに気づいたようで「ああ!」と目を見開いていた。
「佐野さんじゃないですか!」
「お久しぶりです!」
お互いにそばまで歩み寄ると私たちは挨拶を交わした。
「こちらこそ、お久しぶりです」
「三年ぶりくらいですよね?」
「そうですね。もうそんなに経つのですね……」
三年ぶりに見た彼の外見は当時とあまり変わっていなかった。彼は、今は大学で心理学についてを勉強していると言っていた。軽く挨拶を済ませると私たちは二人揃ってなんとなく黙ってしまった。佐伯くんに対して何をどう話せば良いのかわからない。向こうもそんな感じだった。どうしようか、このままなのも気まずいのでそろそろこの場を離れようかと考えたところで、佐伯くんが口を開いた。
「あの、今お時間は有りますか……?」
私と佐伯くんは近くにあった古めかしい喫茶店に移動をした。幸い店内にはあまり人が居なかった。静かな雰囲気の中で私はメニュー表を眺めている。佐伯くんの方も同じくメニュー表を見て考えているようだった。考え続けていると佐伯くんの方が決まったようだった。
「僕の方は決まりました。そちらは?」
私の方はまだ決まりきらないでいる。
「決まっていないので、先にどうぞ」
「わかりました」
彼は店員さんを呼んだ。すぐに店員さんがやってきて、メモ帳の用意をしていた。
「ご注文は?」
「コーヒー一杯にナポリタンを一つ」
「かしこまりました」
店員さんはメモを取り終えると少し早足で奥の方へと行った。佐伯くんは先にもらっていた水を一口飲むと私の方を向いた。
「……あれからもう三年が経ってどうですか?」
それが、彼が私を引き留めてまで聞きたかった最大の目的だろう。私はどこに目を向けて良いかわからなくなってコップの水を眺めた。しばらく考えてから私はようやく答えられた。
「どうと言われると私にとってはあまり良い三年間ではなかったです。彼女が死んでしまってから、どうしたら良いのかわからないんです」
私がそう答えると彼は一気に沈んだ顔になった。
「僕もです。僕も、どうしたらいいのかわからないままです」
よく考えると久しぶりに会った佐伯くんは三年前に初めて会った時から態度が丸くなっていることに気づいた。彼は何かをずっと小さな声で呟きながら悩んでいた。悩みに悩んだ末に彼は私に訊ねてきた。
「彼女の最期って、どんな感じでしたか」
私は咄嗟に何も言えなかった。
「僕は、ずっと後悔しているんです。どうして彼女のことを助けることができなかったのだろうと。あの時、何で何もしなかったのだろう。今でも、夢に出るんです。彼女のことが。だから、僕は知りたいです。彼女と最後に一緒にいたあなたが見てきたことを……」
彼の目は潤んでいた。この時、私はようやく彼の咲に対する想いをちゃんと聞けた気がした。彼の後悔を聞いて、私は彼に、咲と共に行動した最後の旅を伝えられるだけのことは伝えようと思った。私は考え続けていたメニューをようやく決めた。
「……まずは、料理を注文しても良いですか?」
私は覚えている限りの全てのことを佐伯くんに伝えた。友美の亡骸の前で泣き崩れてしまったこと。二人で電車に飛び乗ったこと。誰も住んでいない民家に入って立て籠ってしまったこと。目的地には着いたが、目当ての孔雀座は見られなかったこと。最後に彼女が海に飛び込んだこと。私はそれを語るのはとても辛かった。だが、何としても彼に伝えなくてはという思いで私はどうにか語り終えた。佐伯くんは私の話を聞き終えると涙を流した。注文していたナポリタンは私が話している間にすっかり冷えていたようだった。私の方も頼んだカルボナーラは気持ちが落ち着いたところで口をつけると既に冷めていた。冷めてはいたが辛い話を終えた後に食べたカルボナーラは美味しく感じられた。
佐伯くんはしばらく放心状態になった。時間は既に午後二時を過ぎていて、日の向きが変わりはじめている。彼が再び口を開いたのはさらに十分程が経った頃だった。
「まずは、教えてくださりありがとうございます」
彼は頭を深く下げた。私も思わず頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
私の頭の中でなぜかこの言葉が真っ先に思い浮かんだ。それ以上は何も言えなかった。
「おかげで、咲ちゃんがどんな最期だったのかようやくちゃんと知ることができました」
彼は涙を流し続けていた。それが彼の咲に対する想いの強さを示していた。ふと、ここで私は彼はこの先報われるのだろうかと考えてしまった。このままだと彼の人生は辛いものになってしまうのではないか。彼に彼女が最後にどんなことを言っていたかを伝えようとした途端、私は急に彼女の最期の言葉を思い出した。
「ごめんね。大好きよ」
思い出した途端に咲が私に抱いていた想いの一部をようやく理解できたような気がした。それから私は佐伯くんを見た。そうか、私も彼も咲のことが好きなんだ。だから今でも苦しんでいるんだ。私は彼女の最期の言葉を飲み込んでしまいたくなった。それは佐伯くんに向けられた言葉ではなく私に向けられた言葉だからだ。だけど、それはあまりにも卑怯な気がした。考えた末に私はようやく彼に言える言葉が見つかった。
「私も佐伯くんの様子を見てて咲は今でも愛されているんだなと思えました。私も今でも咲のことが忘れられないんです。忘れられるわけがない。だから、佐伯くんにはちょっとでも良いことがあって欲しいなと思いました」
佐伯くんはこの時何を思ったのだろうか。途端に彼はさらに涙を流しはじめた。彼の嗚咽が私たち以外、客が誰もいなくなった店内に響き渡る。ようやく泣き終えた彼が最初に言った言葉は意外なものだった。
「それじゃあ……、それじゃあ、あなたはどうするんですか?」
「えっ……」
一瞬、意味を理解できなかった。
「僕に良いことが訪れるのならば、あなたにも良いことは訪れるべきだ。今の言葉は、まるで自分だけで全てを背負い込もうとしているように聞こえましたよ。あなたはも少し自分を労るべきだ」
私はそう言われて何も返す言葉がなかった。では、私はどうしたらいいのだろう。結局この日は、また会う約束をして佐伯くんと別れた。
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