終 章 永遠に
メリー・クリスマス
「……精神障害?」
……と、今更口に出すほどの事でもないが、やはり戸塚はノイローゼ気味であり、その影響もあって、かなり歪曲した人格を形成するに至った……という診断結果が、後になってもたらされた。酷く抑圧された環境で育てられ、中学を出るとすぐに親元を離れて自由と孤独を求めた……その結果が後に、入沙の殺害事件に繋がる元となった……と、警察側からの見解はこのようなものであった。そして、更に……
「……入沙ちゃんだけじゃ、なかった……んですよね?」
「あぁ。行方不明のまま救助されていなかった、あの子と同じぐらいの女の子が3人。全て、奴の仕業だったってワケさ」
そう。入沙の事件と同時期に、行方不明となっていた少女のニュースが3件報道されており、何れも未解決のまま捜査は難航していた。が、彼女たちは戸塚の自供によって次々と『救出』され、その様がまた茶の間を賑わせ、涙を誘う事となったのだ。入沙だけが難なく発見されたのは、恐らくは戸塚による、涼への報復の一環だったのであろうが……ともあれ、これらの事件が次々と解決に向かって行く中で、戸塚の『異常』度合いが益々クローズアップされていき、涼たちを複雑な気分にさせていた。
「だからと言って、許される訳じゃない。キッチリと罪は償ってもらうさ」
「そうですわね……心を病んでいたから、人を殺めても良い……という事にはなりませんもの」
そんな会話をしながら、三人は夕食の買い物をして歩いていた。かなみが涼の傍にいる事はもはや定番となっており、彼女としても、ここが自分の定位置……そのような意識を既に持っていた。
「もうすぐ、クリスマスかぁー」
「あの、サンタクロースって奴だよね? 見てみたいなぁ。会えるよね!?」
「はははは。イリサ、サンタは……」
「……良い子にしてないと、来ないんですのよ?」
涼が思わず『居ない』と言ってしまいそうになったところで、かなみがフォローしてくれた。涼はかなみに向けて、イリサの視界の外で『ゴメン』のジェスチャーをして、礼に代えていた。
「そうなの!? でも私、良い子だもん! 絶対来るよね!」
「自分で『良い子』とか言っちゃダメだよイリサ」
「あら、でもイリサちゃんは良い子ですわよ」
「ねー!」
敵わないなぁ、という感じで涼が苦笑いをしていると、かなみが口元に人差し指を当てて、ウインクしてきた。
(分かってるさ……そんな無粋な真似はしないよ)
(そう。イリサちゃん、楽しみにしてるんですから)
アイコンタクトでイリサを気遣うやり取りが行われ、何もなかったかのように三人は家路に就いた。
「イリサー、今日のサラダはイリサが作るんだっけ?」
「うん! おいっしいポテトサラダ作るよ!!」
「楽しみにしてるよ。じゃ、かなみちゃん、よろしくね」
「任せてくださいませ。涼さんは、レポート頑張って下さいね」
「ああ、何かゴメンね」
あれから涼は、かなみとイリサのフォロー、それにバイトに専念しすぎて、4年での卒業に黄色信号が点るほどに、単位がまずい事になっていたのだった。冗談ではない、留年しているヒマも金銭的余裕も涼には無いのだ。したがって、残された手段である『レポートによる加点』を狙うしかなくなっていたのである。
(ま、その甲斐あって……可愛い妹と、素敵な彼女が俺のものになったんだけどね)
そう考えると、思わずニヤケ笑いが出てしまう。が、そこをグッと堪えて、涼は目の前のレポートに集中するのだった。
* * *
そして、イブの夜がやってきた。三人は各々に用意したプレゼントを交換し、ささやかなパーティーを開いて楽しんだ。
「イリサちゃんのケーキは、お芋で作ってありますわ。サツマイモっていう、あまーいお芋ですのよ」
「すごーい! ありがとう、お姉ちゃん!」
イリサは、目を輝かせて喜んだ。そんな彼女を見て、涼の顔もほころんだ。
「ねえ、これって、フーッてロウソクを消すんだよね?」
「アハハハ、それは誕生日だよ、イリサ。クリスマスキャンドルは消さないんだよ」
「……そうなの?」
「ええ。本当ですわ」
予習した知識とどこかでズレがあったのか、イリサは少し恥をかいてしまった。だが、ここに居る人たちは、自分を守ってくれる。自分の味方だ。そして、自分が一番好きな人たちなんだ……と、心底からそう思っていた。また、その当人達……かなみと涼も、当然そう考えていた。この幸せが、いつまでも続けばいいのに……そう思っていた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何ですの?」
「……早く『本当のお姉ちゃん』になってよ」
「ぶっ!!」
その台詞を聞いて、涼は飲みかけたシャンパンを思わず吹き出してしまった。一方、かなみは頬を紅潮させて、涼の顔をチラチラと見ながら照れていた。
「い、イリサ……意味分かってる?」
「うん。だって、お姉ちゃん……お兄ちゃんと結婚したいって言ってたもん。二人が結婚すると、お姉ちゃんは本当に『イリサのお姉ちゃん』になるんでしょ?」
「そ、それは……間違ってないですけど……」
「そ、そうだよ。まだ段階があるっていうか……その……」
二人とも照れてしまって、上手く喋る事も儘ならなくなっていた。イリサは、婚姻というものを知識でしか知らない為、事の重さが分からないのだ。が、分からないだけに、二人がここまで狼狽する意味も理解出来ない。そうして、首を傾げている事にかなみが気付き、思い出したように、ある単語を紡いだ。
「イリサちゃん……恥ずかしいですわ」
「あ……!」
そうか、とイリサはその言葉を聞いて、二人の態度の理由を彼女なりに理解した。どうして『恥ずかしい』のかは分からないが、とにかく『恥ずかしい』のだと。だから、これ以上この話題を掘り下げる事は、二人にとって都合が悪いんだという事は分かったらしい。
「アハハ……ゴメンね。私、まだお子様だったみたい」
「もぉ……おませですのね」
頬を朱に染めたかなみが、軽くイリサの額を指で突いて『おしおき』の仕草をした。これは、イリサに『ダメですわよ』というサインを送る時の符丁となっており、そのアクションによってこの話題は終わりになる筈であった。が、その時……
「あー、でも……俺が嫁さんを貰うとしたら、かなみちゃん以外は考えられないかな……」
「……!!」
涼が思わず、とんでもない事を呟いた。そして、その一言を聞いたかなみの顔は、ボッと火を点けたように赤く染まった。
「りょ、涼さん……あの、それ……それって……!?」
「……あ! いや、その……今のは、俺の個人的な願望なんで……」
「わ、私……つっ、謹んでお受け致しますわ」
「……!!」
二人は、今この場で、互いにプロポーズをして、それを承諾した形になってしまった。思わぬ展開となったが、それはいずれ、どちらかが言い出したであろう言葉に間違いはなかった。しかし、些か性急すぎたのは確かなようであった。
「二人とも、どうしたの?」
「あ、いや……何でもないんだ。さ、プレゼントを開けようか?」
「さ、賛成ですわ!」
まるで今のやり取りを誤魔化すかのように、二人は空騒ぎを始めた。その様子を見て、イリサは何となく疎外感を覚えていた。二人が仲良くするのは悪い事では無い。むしろ喜ぶべきだ。しかし、自分は今、この場に居てはいけない……そんな感じすらして来ていたのだった。
「ど、どうしたんですの? イリサちゃん」
「え? ううん、何でもないよ。ただ……」
「……ただ?」
「見せ付けんなよコンチクショー! っていうの?」
「ばっ……! イリサ! からかうんじゃありません!!」
「アハハハ、ゴメンなさーい!」
イリサは思い切っておどけて見せ、場の雰囲気を和ませる事に成功した。いまや、彼女の心はここまで成長していたのだ。
(……ホント、幸せそう……)
――いや、成長していたからこそ……今、自分がどういう立場に居るのかも、彼女には良く分かってしまうのだ。
(私の居場所は……本当にここなの? 私、ここに居ていいの?)
イリサは、まさに『顔で笑って、心で泣く』を体現していた。そしてパーティーが終わり、休眠タイマーの作動予定時刻が近づいた為、彼女はパジャマに着替えて就寝の準備をし、挨拶をして隣室に消えた。その後も、涼とかなみは互いの傍を離れず、二人きりの時を楽しんでいた。
(そうだよ……お兄ちゃんの本当の妹はもう居ないのに……私がここに居るのは、おかしいんだよ。私は機械人形……いつまでも、ここに居る訳には行かないんだ……)
皮肉にも、戸塚に言われた台詞を、イリサは自分で繰り返す事になった。間違った存在とまでは思わなかったが、やはり不自然である事には違いない。そう考えると、自分の取るべき行動は……
(サンタに会えなかったのは、ちょっと残念だけど……私、行くね。いつまでも幸せに……サヨナラ、お兄ちゃん、お姉ちゃん)
枕元に置手紙を残すと、イリサは休眠モードを自分の意思でキャンセルし、素足で窓から外に出た。パジャマの上にパーカーを羽織っただけという、簡素な格好のままで。
「……あ、雪……初めて見た……あは、本当に白いんだね……」
ホワイトクリスマスであった。見れば、街は着飾った若者や、楽しそうなカップルで溢れ返っていた。それを見ると、ますます自分の居場所がないという思考が強まっていった。華美なイルミネーションが輝く街中を、トボトボと素足で歩く一人の少女。だが、彼女が起こした行動に、隣室の二人はまだ気付いていなかった。
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