お兄ちゃんが好き
「危なかったね。もう少し切り返しが遅かったら、恐らくバレてたよ」
「でしょうね。でも、そうなったら大変な事に……」
そこまで言って、かなみはグッと口を噤んだ。
「いいんだよ……それより、かなみちゃん」
「え?」
「恥をかかせちゃったみたいで、ゴメンね」
「あ! いや……まだ、クラスメイト達には内緒だったもので……打ち明けるタイミングを逸してしまいましたの」
「ま、あまりいい噂は立たないだろうからね。なるべくなら、バレない方が良いんだけど……もう遅いかな?」
「そうかもしれません。でも、もう構いませんわ」
「あははは」
談笑する二人に挟まれ、イリサはポテポテと歩いていた。彼女は先程の会話の意味が分からず、黙って考え込んでいた。
「ねえ、お兄ちゃん……どうしてイリサの事が、知られたらダメなの?」
「……!!」
その問いを受け、涼は回答に窮してしまった。まさか『お前は死んだ妹の代わりに造られたアンドロイドなんだよ』だなどと言える筈もなく、焦ってしまったのだ。が……
「イリサちゃんの事を、隠そうとしたんじゃないんですのよ。涼さんは、私が恥ずかしがっていたのを助けてくれたんですの」
「そうなの?」
「そ、そうだよ。それよりイリサ、外に出るときは、お兄ちゃんから離れたらダメだって教えたでしょ?」
「ごめんなさい。イリサ、お外が嬉しかったの」
うまく話題を摩り替え、何とかその場を凌いだ涼だが……次なる課題が、彼に更なる追い討ちを掛けた。
「かなみお姉ちゃん、今日もご飯を作るの?」
「ええ、そのつもりですわ」
「……ッ!!」
サッと血の気が引き、涼の顔色は急速に青ざめた。彼の脳裏には、まだあのカレーの味と、その後に訪れた地獄の苦しみが、鮮明な記憶として残っているのだ。
(マズい……これは拙い。まだ前回のダメージが残ってるのに、二度目を喰らったら……ん? ちょっと待て……?)
同じ物を食べたはずなのに、彼女は何ともなかったのだろうか……という疑問が、涼の頭に浮かび上がって来た。が、それを問い質す訳にはいかない。それは即ち、あの日の惨状を暴露する事になり、彼女を傷つけてしまう結果に直結するからだ。
「……涼さん、どうしたんですの?」
「あ、いや、何でもないんだ……何でも……」
彼女が料理を作る事は、何とか阻止したい。しかし、せっかくの厚意を無碍にする事は出来ない……と、涼が葛藤している最中。またも無邪気なイリサが、その問題をストレートに解決してしまった。
「かなみお姉ちゃんは、ごはんの後、お腹なんともなかったの?」
「えっ? 何ともなかった、って……?」
「かなみお姉ちゃんが帰った後、お兄ちゃん、ずっとトイレから出て来なかったの。で、いっぱい汗をかいてたの」
「ちょ! い、イリサ!!」
一番言ってはいけない事を、イリサがペラペラと暴露していた。当然、涼は慌ててそれを制止しようとした。しかし、既に遅かったようだ。
「え? もしかして、涼さん……あの後、体調を崩された、って……私の料理の所為で!?」
「あ、あの日は俺、アイス食いすぎちゃって……ハハ」
乾いた笑いが、更なる静寂を招いた。どうやら、誤魔化しきれなかったようだ。
「……かなみちゃんの料理の所為かどうかは分からないけど、あの後で腹を壊したのは本当だよ」
「……!! ご、ゴメンなさい……私は何ともなかったので、つい……」
「かなみちゃん、今までに料理をした事は?」
「先日、作らせていただいたのが初挑戦でしたの。本を読んで、一所懸命に勉強したつもりだったのですけど……」
すっかり落ち込んでしまったかなみを目の前にして、涼は何とか彼女のモチベーションを上げようと必死になった。
「今日は、何を作ってくれる予定なの?」
「え? あ、あの……暑いですから、冷麦とサラダでサッパリと……って思ってましたの」
「ふーん、それならイリサも一緒に同じ物を食べられるね。ナイス配慮だね、かなみちゃん」
「そ、そんな……」
頬を染め、かなみは軽く身体をくねらせた。どうやら涼の一言が効いて、ショックから立ち直ったようだ。
「でも、それだけだとスタミナ不足になっちゃうかな。どうだろう、サラダはササミを入れて、ボリュームアップしてみない?」
「美味しそう。けれど、作った事がないもので……また、お腹を壊されては……」
「サラダは俺が手伝うよ、一緒にやってみよう」
「……はい!」
かなみの顔に、笑みが戻った。そして、彼女の中で涼の好感度は更に上がっていた。一方、涼としても、かなみの厚意が更に心地よく感じられるようになって来ており、むしろ好意に近い感情を抱くようになっていた。
「イリサも手伝うの……」
かなみを盛り立てる為に気を割いて、蚊帳の外に出された感じになっていたイリサが、寂しそうに涼のシャツを摘みながら、アピールして来ていた。
「あ、うん、そうだな。イリサには麺をゆでて、冷やす係をやってもらおう」
「うん」
涼の家には電気式の調理器具しか無いので、火気による事故は心配なかった。更にイリサの皮膚は耐熱加工も施してある特殊繊維で出来ているので、万一、鍋を直に触っても損傷したりする事は無い。タイマーの如く正確な作業が可能なイリサには、この役目は適任と言えた。
「イリサちゃんに、ヤキモチを妬かれましたね」
「アハハ……かなみちゃん、兄妹でヤキモチは無いよー」
「あら、女の子って微妙ですのよ? ね、イリサちゃん」
「うん。イリサだって、お兄ちゃんが好きなの。かなみお姉ちゃんと同じなの」
「……え!?」
「ちょ……! イリサちゃん!!」
イリサの唐突な発言で、まさか、かなみが自分に好意を? と、涼は意識してしまった。そして彼の目の前には、その発言を肯定するかのように真っ赤に頬を染めた、かなみの顔があった。
「い、今のは、その……尊敬の意味で、慕っているという事ですわ」
「あー、そ、そうだろうね。ハハ、ビックリしたなぁ、もう」
「ゴメンなさい、かなみお姉ちゃん。ナイショのお約束だったの」
「……!! ご、誤解を招いてはいけないと……その……」
「アハハ……かなみちゃん、そこまで力説されちゃうと、却って悲しいから」
「そ、そうですね……」
いくら涼が女心に疎いとは言え、目の前で展開された一連のやり取りを見た後では、先の自分の推測が正しいと判断するのは難しい事ではなかった。しかし、今の彼女の心理状態、および自分の性癖を考慮すると、気付いていないと演技してやり過ごすのが最良の選択であった。
「そうかぁ、イリサはお兄ちゃんが好きなのかぁ。嬉しいな、アハハ」
「うん。イリサ、お兄ちゃんが好きなの」
「わ、私も……涼さんの事は好きですわよ」
「ハハ……かなみちゃん、照れちゃうからやめようよ」
よし、上手い具合に雰囲気がこなれたぞ……と、涼は二人の女の子に、先を急ぐよう促した。
「さて、冗談抜きで安売りの時間、終わっちゃうよ。この時間帯は、タイムセールが多いんだよ」
「わぁ、参考になりますわ」
「イリサ、お芋のサラダが美味しかったの……」
「お、じゃあイリサには、またポテトサラダを作ろうね」
「うん」
イリサのセンサーが、味まで判別できるはずは無かった。恐らく、舌触りと喉越しの事を言っているのだろう。だが、食事を美味しいと表現できるのは素晴らしい事だと、涼はニッコリ笑って彼女の頭を撫でてやるのだった。
「じゃ、買い物を済ませたら……簡単にお料理教室といきますか」
「よろしくお願いします。一所懸命に覚えて、今度は一人で美味しく作って見せますわ」
「かなみちゃんって、案外と負けず嫌いなんだね」
「つ、作るからには、美味しく食べて欲しい……それだけですわ」
珍しく口を尖らせ、かなみはプイと横を向いてしまった。先日のカレーの事が、よほど悔しいのだろう。
(いつか、かなみちゃんの手料理を独占できる日が来るのかな……って、俺は何を考えている……)
思わず頭の中をよぎった妄想を振り払い、涼は二人の女の子と共に、商店街へと足を運んでいた。その日の夕食が、この上なく楽しいものになったのは、言うまでもない事だった。
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