第11話 羽化する天使 その四



 ヨナタンの顔が苦悶にゆがむ。

 そのせいか、クトゥグアの出現が、そこで止まった。体の一部をこっちに出してはいるが、まだ半分以上はむこうの世界だ。


「今のうちだ。やるぞ」と、ガブリエルが言った。


 そうだ。あきらめてはダメだ。あれが召喚されれば、人類は滅びる。世界中のすべての都市が焼きつくされる。


「わかった」


 龍郎は退魔の剣を呼びだした。悪魔を滅するには、やはり、これがふさわしい。


 青蘭は不思議そうな顔をする。


「龍郎さん?」

「ああ。なんでかわからないけど、おれ、戦えるんだよ」

「ふうん」


 ガブリエルが早口に告げる。

「それは龍郎が星の戦士だからだ。しかし、今、それについて語っている時間はない。やるぞ!」


 たしかに、そのとおりだ。

 いつまで、ヨナタンの意識が保たれているのかもわからない。そのあいだに滅してしまわなければならないのだ。


 クトゥグアの全身がこちら側に来れば、おそらく、ここにいる全員が力をあわせても、まったく太刀打ちできない。今でさえ、倒せるかどうか定かでないのだから。


 それでも、今ならまだしも、百に一つくらいは勝機がある。


「じゃあ、行くぞ」


 龍郎は無意識に左手を伸ばし、青蘭と手をつないだ。これまで戦いのたびに、そうしてきた。苦痛の玉と快楽の玉の共鳴を利用すれば、力が何倍にも高まる。苦痛の玉の修復が進むにつれ、共鳴力はさらに増した。


 だが今、手をつないでハッとする。あの力の共鳴は、今はもうない。かすかなつながりはあるものの、以前の一心同体になったかのような深い陶酔感はわきあがってこない。


(そうだった。おれはもう苦痛の玉を持ってないんだ……)


 フレデリック神父が声をかけてくる。


「龍郎。交代だ。私が青蘭とともに戦う」

「…………」


 悔しいが、神父が正しい。

 戦力的に言えば、ここは苦痛の玉と快楽の玉を持つ、神父と青蘭で組むほうが攻撃力はあがる。


 さッとガブリエルが、龍郎の腕をつかむ。同時に神父がマルコシアスの背中に移った。


「青蘭——」


 ガブリエルが上昇すると、青蘭の手が離れる。

 龍郎はむしょうに不安になった。なぜか、もう二度と、青蘭のその白い手をにぎることができないのではないかという懸念がよぎる。


 そんな不安にかられたのは、龍郎だけらしい。

 青蘭は神父の背中に手をあて、何やら二人で話している。神父がうなずいて、戦闘天使からバトンをもぎとった。とたんに白銀の光の渦が生まれ、クトゥグアの巨体へ生き物のように襲いかかる。


「龍郎。私はおまえの翼になる。おまえは行きたい場所を思考するだけでいい」

「わかった」


 ガブリエルに言われ、龍郎はあらためて下方を見た。


 フレデリックの発した光線は渦を巻きながら、クトゥグアの内部へドリルのようにつきささる。表面の目玉がじわじわと焼けていった。苦痛の玉と快楽の玉がそろったときの増幅力は、かなり強力だ。クトゥグアの炎にも負けていない。


 問題はどこまで龍郎の剣が効くかだ。


(いや、このまま何もしないよりマシだ。自分の力を信じるんだ!)


 龍郎は刃のとどく距離まで近づきたいと思う。ガブリエルがいっきに下降した。


 近づくと、目玉の一つ一つがすでに龍郎の身長より大きい。そして、凍えるような冷気が吹きつけてくる。ときおりフレアが舞った。炎の柱だ。炎なのに妙によどんでいた。まるで腐った太陽だ。イヤな匂いもする。硫黄のような。


 龍郎の見ている前で、目玉がパチクリとまばたきした。薄い皮膚がついて、長いまつ毛があることに、やっと気づいた。瞳は濁って、死人のそれだ。


 龍郎は白濁した虹彩に深々と剣をつきたてる。手ごたえはビニールのようだ。プスリとかんたんに穴があく。その穴から大量の黒い血が流れだす。


 あっけない。

 これなら、時間さえかければ……。


「よし。どんどん切るぞ」

「眼球の一個ずつは弱い。剣圧でやれないか?」

「やってみる!」


 剣をふると、浄化の風が吹く。表面の目玉がおもしろいように、プスプスとつぶれる。

 フレデリックの起こす光線の渦に剣圧を重ねると、一太刀で二、三千の目玉がふっとぶ。


 龍郎は少し離れた場所に浮かぶ青蘭たちにうなずきかけた。青蘭もうなずきかえしてくる。


 大した反撃もない。ときどき、全身をふるわせ、クトゥグアは目玉を撃ちだしてきた。が、それは周辺のルリム=シャイコースの建築物を破壊するばかりだ。剣の風圧や光線によって、龍郎たちのところまで達する前に崩れる。


 このまま、楽勝だと確信した。

 もちろん、それは錯覚にすぎなかったのだが。


 もう相当数の眼球を滅却した。潰瘍かいようをつぶすより、たやすい。

 クトゥグアの表面はかじられたリンゴのように、大きくえぐれている。


「龍郎。おまえの体は人だ。星の戦士とは言え、長時間は戦えない。一度でかたをつけなければ、体力がもたないだろう」


 ガブリエルが案ずるように耳元でささやく。

 たしかに、ひとふりごとに剣が重くなってきてはいた。腕があがらなくなっている。


「龍郎。アフーム=ザーをまず倒すことだ。召喚の力が弱まれば、クトゥグアの力も衰える」


 アフーム=ザー……。

 やはり、ヨナタンをやらなければならないのか?

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