第八話 アフーム=ザーの覚醒

第8話 アフーム=ザーの覚醒 その一



 新千歳にむかう道々、まだまだ北海道を満喫して、ようやくM市へ帰ってきた。


 清美は札幌にも行きたいだの、途中の羽田で降りて日本一有名な遊園地へ行きたいだの、あれこれ言って龍郎を悩ませてくれたが、どうにか説得することができた。


 幸いにも、神居古潭のあと悪魔に襲われることはなかった。あれほど世界的に現れていた火の精も、なんだかおとなしい。フサッグァを倒したからだろうか。


「ああっ、龍郎さん。冷蔵庫がカラですぅ。買い物行かないと」


 帰ってくる早々、清美がなげいた。北海道の用事がどのていどの期間かかるかわからなかったので、出かける前に傷みそうなものは、みんな捨てていったのだ。


「わかりました。買い物行ってきます」

「おお、さすが若者だね。おじさんは昼寝して待ってるよ」

「…………」


 あいかわらず他人の家なのに、穂村は自宅のようにくつろいでいる。この感じだと、今夜も泊まっていくようだ。変だ。住人がだんだん増えていく。


「穂村先生……いや、いいです。人間だけでも五人いるから、荷物持ちに一人か二人ついてきてほしいんだけど」


 じっさいには、その上にカエルの妖怪と狼の魔王がいる。こいつらがまた、意外によく食う。

 今はまだ青蘭のくれた給料があるから遊んで暮らしていられるが、今後、彼らを養っていくために働いたほうがいいだろうかと、龍郎は真剣に考えた。


「じゃあ、わたし、行きますよ。北海道旅行も旅費を出してもらって、ほんとにすいません」と、ウーリー。

「いえ。いいんですよ。そういう言葉は穂村先生から聞きたいんですが……」


 一度も聞いたことがない。

 しかも本人はすでに昼寝のために座敷に入っていったあとだ。


 ウーリーが車のほうへ歩いていくと、ヨナタンもキャリーケースを玄関に置いたまま、かけていった。荷物持ちは二人だ。これだけいれば、かなり大量でも買い出しできる。


「あっ、ちょっと待っててくれるかな? 現金がぜんぜんないから、ついでにおろすよ」


 黒いカードをガンガン使いまくっていたから、残高がどうなっているのか、ちょっと心配だ。まあ、五億もあれば、さほど目減りしているわけではないだろうが。


 龍郎は玄関から続く廊下を奥へむかい、自室の和室へ入る。ふすまで続く次の間は青蘭の部屋だ。というより、片方を二人の寝室、もう一方を二人の居間にしていた。部屋中のぬいぐるみや可愛いクッションなど、青蘭の息吹がそこここに残っている。


(青蘭……元気にしてるかな?)


 室内を見ると、必然的に青蘭を思いだす。こうやって、人生のすべての瞬間で、ずっといなくなった人を想い続けるのか。その覚悟はしたはずなのに、やはり、ツライ。


 龍郎はなるべく部屋を見ないようにして、机の引き出しから通帳をとりだした。車のキーをポケットに入れて、外にとびだす。


「お待たせ。じゃあ、行こうか」


 運転席に乗りこむと、ウーリーとヨナタンは後部座席にすわった。家にはガマ仙人がいるから、清美は安全だろう。三人で出発する。


 新千歳空港で八時すぎの便に乗ったので、出雲縁結び空港についたのが十二時前。空港の近くで昼食を食べて帰ってきたため、時刻は昼の一時すぎだ。


 買い物はいつものショッピングモール。


「二人は日用品とか服とか、買いたいものある? ヨナタン、そろそろ着替えが少なくない?」


 中古の軽を降車しながらたずねると、ヨナタンはうなずいた。スマホをさしだしてくる。下着が少ない、と画面に浮かんでいる。


「そうだよね。じゃあ、さきにそういうの買ってから、食品売り場に行こうか」


 すると、ウーリーは自分の買い物があるからと言って、一人で商業施設のなかへ入っていった。まあ、女の子だ。男にアレコレ言えない買い物はあるだろう。スマホで連絡をとりあえばいいのだし、ひきとめはしなかった。


「じゃあ、さきにお金おろしに行こう」


 龍郎が言うと、ヨナタンはうなずく。

 ヨナタンもすっかり、うちの住人になっているが、将来的にはどうするのだろうか?

 兄のベルンハルトのリハビリが終われば、彼と暮らすために母国へ帰るのだろうか?


 ベルンハルトはまじめな性格のようだから、義理とは言え、弟のヨナタンが成人するまでの面倒は見てくれるだろう。でも、そのベルンハルトが完全に正気かどうかはわからない。あんなことがあったのだから、とつぜん発作を起こして暴れだすなんてことだって、ありうるのだ。


「ねえ、ヨナタン。日本の暮らしは慣れた?」


 ヨナタンはうなずく。さらには、ニコリと白い歯を見せる。龍郎に弟はいないが、もしいたら、こんな感じなのかなと思う。


「遺産のこともあるし、ベルンハルトさんが退院したら、一度はドイツに帰らないといけないだろうけど、もしもだよ? もしも、君がまた日本で暮らしたいなって思ったら、いつでも、うちに来ていいからね」


 しゃべりが長すぎたのか、スマホの翻訳機能で音訳が追いつかなかったようだ。ヨナタンは首をかしげている。


 龍郎はもっと簡潔に述べた。

「おれたちと日本で暮らそう。あの家で」


 ヨナタンはスマホをながめて返事をしない。やはり、とうとつすぎただろうか。イヤな思い出もあるだろうが、ヨナタンはドイツに帰れば城住まいだ。あんな小さな平屋建てとはくらべものにならない。


「ごめん。変なこと言った。このさき、どうするのかなって、ちょっと心配になって……」


 急に恥ずかしくなって、龍郎は背をむけた。ATMコーナーに行かなければ。

 歩きだそうとしたときだ。


「……あり、がっと」


 たどたどしい日本語が背後から聞こえた。

 ふりかえると、ヨナタンが笑っていた。その目にうっすら涙を浮かべて。

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