第7話 英雄の棲む地 その三



 急斜面の森のなかに、何か見えはしないかと、龍郎は目をこらした。が、不審なものはない。


「清美さん? どうしたんですか? 何かいますか?」


 清美は答えることなく、まっすぐ歩きだす。いよいよ変だ。これは普通ではない。


 穂村が嘆息した。

「清美くんは巫女だからなぁ」

「巫女だと何かあるんですか?」

「巫女ってのは神を降ろすものだ。古来からな」

「なるほど」


 つまり、何かに取り憑かれているのだ。そう言えば、ずいぶん前だが、清美は女の霊に憑依されたことがあった。


「何かにあやつられているんですよね? 大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなさそうなら、君が祓いなさい」

「ああ。そうですね」


 以前のときもそうだったが、清美に取り憑いた霊は龍郎に伝えたいことがあったようだ。今回もおそらく、そうではないかと思う。


 しっかりした足どりで、清美は獣道を歩く。ものすごい速さだ。とても日ごろ、本を読んでいるか、スイーツを作っているか、テレビ(アニメ)を見ているかていどの行動パターンしかない腐女子とは思えない。龍郎でも追っていくのがやっとだ。


「清美さん。待ってください」


 見失ったら大変だ。必死に追いすがって、どうにか清美の手をつかんだ。すると、クタッと龍郎のほうへよろけてくる。あわてて抱きとめると、清美は失神していた。


「清美さん」


 しばらくして、清美は目をさます。が、そのときには憑き物は落ちていた。


「あれ? 龍郎さん? なんか近いですよ? プリーズ・ソーシャルディスタンス」

「ああ、はい。正気に戻ったならいいんです。手、離しますね?」


 しかし、あらためて周囲を見ると、あるかなきかの獣道が消えていた。樹木のあいだに入っていけば、少しひらけた空間になっている。


「あッ! 清美さん。ストーンサークルですよ」

「えっ? ほんとですか? ヤッター!」


 まちがいなく、探し求めていた場所だ。枯葉で埋もれそうになっているものの、円形の石が敷かれている。ストーンサークルというから、英国にあるストーンヘンジみたいな巨石を想像していたが、実物は石畳に近い。予想よりだいぶ、こぢんまりしている。これでは人々から忘れられてしまうのもしかたない気がした。


「このままだと、すぐに雑草で見えなくなりそうだなぁ」

「うーん。キヨミン、ここもガッカリ」

「まあ、見れたからいいじゃないですか」


 話しているところに、穂村や他の面々もやってくる。


「可愛いサークルだね。だが、バカにならんよ。ここは」

「そうですか? 紅葉はキレイですけどね」

「このサークルは縄文時代の遺物らしい。当時、このあたりには——おや、これは石物仮想体の加工品だね」


 穂村がサークルのまんなかに刺さる石を指さす。矢尻だ。一見すると、黒曜石のようにもみえる。日の光にあてると異様な玉虫色に輝く。


 これに似たものを以前、見たことがある。穂村がM市の団地のそばで見つけた天使の武器だ。龍郎が今、体内に宿している剣と同質のものでできている。


「石物仮想体って、黒いのもあるんですね」


 そう言って、龍郎はなにげなく、その石をひきぬいた。

 そのときだ。とつぜん、地面が大きく振動する。


「わッ! なんだ?」


 一瞬、ぐらりとゆれて、大地が水飴のように伸びる。

 そのあと、とうとつに振動はおさまった。地震にしては、あまりにもあっけない。


「なんだったんですかね? 今の」

「む。むむむ。本柳くん。マズイぞ」

「えっ? なんですか?」

「結界のなかだ」


 どうしたことか、まわりに誰もいない。清美やウーリー、ヨナタン、マルコシアスの姿がない。龍郎と穂村だけがストーンサークルの中心に立っている。


「さっきののせいですね?」

「と言うより、君が石物仮想体にふれたことで作用してしまったのかもしれん。ストーンサークルのなかにいた我々だけが転移してしまったんだ」

「すいません……」

「いや、いいよ。君のせいじゃない」


 しかし、こうなると悪魔を退治しないかぎり、もとの世界へ帰れない。頼みの綱のマルコシアスとはぐれてしまったのは痛い。


 すると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。女の声だ。それにともない、野獣の叫び声のようなものが森にとどろく。


 龍郎は声のするほうへ走った。

 もともと山中ではあったが、森が深い。何者かの結界のなかだからだろう。まるきり原生林だ。人の手がまったく入っていない。ブナやニレ、杉、白樺……それらの樹間に叫び声が響く。


「こっちだ!」

「おいおい。本柳くん。以前の君じゃないことを忘れないように」


 声源にたどりつくと、そこには巨人がいた。天使だ。翼が黒い。それに皮膚が死人のように灰色がかっている。さっきの咆哮は彼があげたのだろうか?


 穂村が小難しい顔でつぶやく。

「本柳くん。マズイぞ」

「今度はなんです?」

「ガタノソアがいる」

「なんですか? それ」

「あいかわらず君は不勉強だな」


 言いあっているときだ。

 ドスン——と、スゴイ音がした。地響きのようだ。思わず、ふりかえろうとすると、穂村に押しとどめられる。


「見ちゃいかん! ガタノソアを人間が見れば、体が石化する」

「えッ?」

「あの天使も皮膚が石になりかけてるんだな。だから妙な色なんだ。あの天使がガタノソアと戦っているんだろう。だが、見たところ、それほど強くはない。せいぜい大天使アークエンジェルだな」


 なるほど。キーン、キーンと耳のえぐれそうな不快な雄叫びが響くたびに、ドシン、ドシンと大地が鳴動する。叫び声の正体は、彼らが争いで発するものだったのだ。


 龍郎はどうにかガタノソアを見ないようにして、彼らの戦いをのぞきみた。

 天使が一方的に怪物にやられている。


「あッ! あの女の人だ!」


 天使がなぜ戦えないのかわかった。自分の体の下に女をかばっている。アイヌの民族衣装をまとった若い女——竪穴住居の遺跡で見た霊だ。

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