第21話「力技の説得」
”菅野直と南部隼人が噛み合い始めたのは、まさにこの瞬間と言える。
以後、一介のパイロットでしかなかった南部中尉が、菅野と並んでクーリル防衛の中心人物となってゆく”
コンラート・アウデンリート著『蒼空の隼』より
Starring:菅野直
顔を上げたリィル・ガミノは、決意を込めた瞳でワルゲス・ゾンバルト中佐を見つめた。
「分かりました。それでは、南部中尉の作戦を承認してくれたら私はあなたの妻になります!」
「はぁ!?」
驚愕したのは、ワルゲス含むこの場の全員だった。
残念ながら噛み合っていない。彼女としては精いっぱいの覚悟を示したのだろうが……。
「正気かね? 私は妻帯者だぞ!?」
リィルが何を言っているのか分からない、と言う体のワルゲスである。だが彼女も食い下がる。
「では愛人になります!」
菅野
彼女の気持ちは痛いほどわかる。分かるからこそ思う「それでは駄目だ」と。
早瀬沙織少尉はおろおろと会話の行方を見守り、リーム・ガトロン中尉は付き合ってられないと明後日の方向に視線をやる。
聖女の伴侶になるステータスは半端ではないだろうが、一介の小役人には重すぎる褒章だった。抱え込む面倒事やリスクを考えたら、ワルゲスにとって罰ゲームでしかない。
よってこの条件は不釣り合いだ。
「とにかく! 作戦は許可できん! 嵐が明け次第輸送機で大陸本土に脱出する!」
話にならないと一方的に決定を下すワルゲス中佐に、菅野の目がすっと細まる。
ホルスターに右手に伸び――静かに、だが力強くそれを掴まれた。南部隼人中尉だ。
「……南部、止めるな」
右手を静かに掴んだ南部に、菅野は押し殺した声で威圧する。
だが南部も譲れないと、首を振って答えた。
「大尉、それは
菅野の目に迷いの色が浮かぶ。やがて息を吐くと、拳銃から手を引いた。
南部はぎこちない笑いを返し、ゆっくりとワルゲス中佐に歩み寄ってゆく。
「リィル、後は俺が」
そう言って、ワルゲスの前に立つ。リィルが息をのんで後ずさった。
南部は警戒するワルゲスの耳元に顔を近づけ、何事か囁いた。
彼の顔が驚愕に染まり、やがて思案する様に眼球を動かしだす。
「分かった! 諸君の民草を思う心意気、このワルゲス・ゾンバルトが確かに受け取った! 南部中尉。決行まで作戦の完成度を上げたまえ。守備隊はヘルマン少佐が、航空隊は菅野大尉が指揮を執ってくれ」
その場の全員が訝し気にワルゲス中佐を見つめ、やがてそれは南部中尉に注がれた。
彼は説得に成功したはずだが、全く嬉しそうではなく「ああ、やってしまった」と頭を抱えている様子。
何が何だか分からないが、とにかく作戦は行われることになったらしい。
「さあ! これからやる事は多いぞ! 菅野大尉、作戦の詳細を詰めたい。南部中尉も同席を。他の者たちは戦闘準備を整えてくれ!」
パンパンと手を叩くヘルマン少佐の声に合わせて、士官たちは散ってゆく。
敵艦載機からの攻撃予想時刻は、最短で明日。
それまでにすべての準備を整えなければならない。
そして、解決せねばならない問題は山ほどあった。
「いい加減聞かせてください。いったいどうやって中佐を説得したんですか?」
「小役人とは言え、ちょっとやそっとの餌に釣られるような男ではないぞ? どんな魔法を使った?」
二人がかりで問いつめるリィルと菅野に、南部中尉は困ったように、と言うより半ばやけになった様子。
「やっぱり知りたいですよね? じゃあ話しますが……」
南部少尉は話を続ける。いかにも気が進まないと言う様子で。
「俺の士官学校の先輩にメレフ造船の社長令嬢がいまして……」
メレフ造船は、南部隼人の祖国であるダバート王国で急成長したメーカーだ。
昨日避難してきた戦車
社名に「造船」と付くものの、近年は航空産業にも力を入れはじめ、日本製航空機の製造を請け負っている。
社長令嬢のエルヴィラ・メレフは軍人の道を志し、当時士官学校入りしていた。
後輩思いの面倒見の良い先輩ではあったが、彼に恐怖を刻み込むレベルでの徹底的なしごきを与えた人物でもあると言う。
「俺、先輩に何故か買われているみたいででして。それで『良い人材が居たら抜擢するから紹介して欲しい』っていつも言われてるんです。そこで中佐に『作戦を認めてくれたら彼女に紹介します』と」
役人が欲しがるものは、今も昔も、引退後の安定した天下り先だと相場が決まっている。
乗ってくるかは賭けではあったが、南部中尉は彼が一番欲しいものを提示したことになる。
「でも、そんな人にワルゲス中佐を紹介して良かったんですか?」
リィルは言外に「そんな凄い人材に見えない」と言っているのだが、自分も同感なので苦笑するしかない。
南部を見ると、頭を抱えた様子でヤケクソ気味に言った。
「まあ、良くないですね。先輩の顔も俺の顔も潰れます」
「それじゃあ……」
「しょーがないでしょ! 2000人の人命に比べたら俺の顔なんて安いもんです!」
どうにでもなれと空を見上げる南部に、菅野は今までにない敗北感を味わった。
(俺は結局、何でも一人でやろうとして、突っ張ってたんだな)
南部隼人と言う士官が、少しずつ分かってきた。
彼は何処まで行っても人間が好きなのだ。
好きなものに頭を下げても恥とは思わないし、お節介を焼いた結果ぶん殴られても何の痛痒も感じない。
菅野は、中学時代の自分が目の前に現れたかのような錯覚に囚われた。
親友たちと文学論を戦わせた日々が蘇ってくる。
親友の一人も姓は南部だった。彼もまた軍の門戸を叩き、陸軍の将校になったらしい。激戦の中で1度も顔を合わせていないが。
「貴様、前からとんでもない甘ちゃんだと思ってたが、そこまで徹底してたら流石だ」
内心のゆらぎを感じさせぬよう、いつも通り呵々と大笑して見せる。
南部中尉は、いやリィルまでもが自分の心を見透かしている気すらして、気まずそうに咳払いをした。
「しかしですね、大尉。生き延びても先輩のきついお小言が待ってると思うと今から胃が痛いです」
「……そこでヘタれるなよ!」
歯をガチガチ鳴らして怯える南部に、どれだけ恐ろしいんだよと失笑する菅野。
そんなやり取りを見て、リィルがクスクス笑いだす。
「笑い事じゃないんですけどね。リィルの笑顔に免じて、エルヴィラ先輩のしごきを喜んで受けるよ」
無理におどけて見せる南部に、菅野までが声を上げて笑ってしまった。
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