第31話

 ユグドラシルの烏からの報告によれば村を抜け出した農奴たちは約50人ほどらしい。


 村を抜けた理由は領主の重税と飢饉、そして元勇者であるデニスが新しい村を造っているという噂を頼っての決断だった。


 生きるか死ぬかにしてはあまりにも拙(つたな)い希望。それにも関わらず農奴たちが賭けに出たのはよほど切羽詰まった状態だったのだろう。


 デニスは1人で馬を駆けると、すでに農奴たちは森の目前まで来ていた。


「止まれ! お前たちの代表と話をさせろ」


 デニスが農奴たちの前に立ちふさがると、感嘆の声が上がった。


 少なくとも元勇者のデニスがいるという話は本当だと知ったからだ。


「ワシが村長です」


 農奴たちの後方から現れた村長は年相応の貫禄を持つ白髪の老人だった。


「ここから先はこの俺、デニスが庇護する領域だ。それを知っての侵入か?」


「はい、その通りです。ワシたちには行き場がない。どうかワシたちをその広い懐の一員にしてくださらんか」


「……」


 デニスが迷っているのは農奴たちの規模や匿う余裕だけではない。濃度はいわゆる領主の資産。それを奪うと言うのは宣戦布告に他ならない。


 しかも農奴たちは亜人族や魔族も含むとは言え、多くは人族だ。今デニスの元にいるのは魔族、村を離れた理由が人族の略奪となれば融和は難しい。下手をすれば村の秩序が瓦解する恐れさえあるのだ。


「すぐにいい返答はできない。この話は村に持って帰って相談する。それまでは――」


「いいえ、デニス様。もうその猶予はないのでございます」


 デニスや村長の視界の先に、砂ぼこりが見えた。


 それは騎乗した騎士たちの群れ、20騎ほどの部隊だった。


「――森の中に隠れろ。生き延びたいならな」


「ありがとうございます。デニス様」


 村長の合図に、農奴たちは席を切ったように急いで森の木陰へ身を隠す。


 そして騎士たちがデニスの目の前に到着する頃には、農奴たちは森へと逃げ込んでいた。


「元勇者デニス殿とお見受けする」


「いかにも。この度はいかなる要件か?」


 デニスは儀礼的なやり取りを交わし、騎士たちの出方を見た。


「デニス殿の領地に接近したことをまずお詫びする。我々はアナタを討ちに来たのではない。我らの所有物である農奴たちを連れ帰ってくる命を受けてここに来たのだ」


「……そうか、それはご苦労だった」


 デニスは父の教えや諸外国を回った見識の広さから、奴隷制には反対だった。しかしそれでも、この世はまだ奴隷制が主流だ。


 奴隷はいわば一財産。それを奪うのは略奪に等しい。ならば農奴たちを匿うと言うのは蛮行と同じ行為だった。


 デニスは数秒だけ応えに迷った。だがデニスがこれから先夢見るものに従うなら、答えはひとつだった。


「あいにくだが、ここには農奴はいない」


「――!? 何を言っている。デニス殿。その後ろにいる者たちは紛れもなく我々の農奴。まさか盲目しているわけではあるまいな」


「ここに農奴はいない。もしもそちらの所有物と言うならば、ひとりひとりの名前を挙げて見せろ。それくらい容易いことだろう」


「何を!?」


 騎士たちは誰一人の名前を挙げられない。それもそうだろう。騎士達にとって、それに領主にとって農奴たちは家具の一種のようなものだ。名前などあっても知らないはずだ。


「ここにいるのは俺の客だ。手出しをするならばその身、無事だと思うな」


「ぐっ!」


 騎士はデニスの言葉に唸る。騎士20人とはいえ、相手は元勇者のデニスだ。準備万端の状況ならばまだ勝機はあるが、今は遭遇戦のようなものだ。


 懐に入られれば騎士たちの大損害は必至。領主から兵を与えられた身としては望むべくもない戦いだった。


 騎士は損害と手土産1つもって帰られない不名誉の間に揺れていたが、苦々しくも結論を出さざるを得なかった。


「……この話、領主様にお伝えする。デニス殿、ご覚悟なされよ!」


「おうっ! いつでも来い!」


 デニスの返答に気圧されながらも、騎士たちは馬に命じて引き返していった。


「さて、村人たちに迎え入れられればいいのだがな」


 デニスは馬上より、心配そうな顔をする農奴たちへ微笑(ほほえ)みかけたのだった。

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