17 「心の形が知りたい」

 授業は1人の生徒が注意されるから中断される。周りの生徒は机の下で携帯を触ったり、友達と穏やかな談笑をしていた。俺は注意される生徒を観察する。


「忍。やる気はあるのか」

「すみません。気が散ってました」


 昨日の話題が茶番になってしまった。将来に繋げる方法が勉強だって説いてきたが、そもそも自分が怠惰だ。それとも、何かあったのか。


「もういい。席に戻れ」

「はい」


 帰ってくる彼の顔は青白い。叱られた後ろめたさを見せない性格をしている。だから、怯えた顔が不自然だった。やはり、何かあったのだろう。


「どうした」

「どうも」


 態度は素っ気なく、気遣いを拒絶するようだ。俺はそれ以上踏み込むことが出来なかった。婆ちゃんの状況を話し、なるべくつらさを共有して欲しかった。しかし、今は彼も抱えているものがあるらしい。


「ま、何かあったら言えよ」


 無言のまま席に着く。その背中は思い詰めたように丸める。


 携帯が鳴り、着信画面を確認する。相手は優だった。ショートメールを開き、内容を黙読する。


『姉、なんかおかしくないですか?』


 彼は普段より帰宅が早く、夕食を済ませたら自分の部屋に篭もる。部屋をでる時は本を片手に移動していた。その本も図書館で貸出したもの。突っかかるような動きも減ったらしい。


『なにか探ってくれませんか?』

『確かにクラスで話しかけてきた』


 練習中に話しかけてくれたことや、友達と話したこと。俺の誤解をとくために働きかけ、登校直後の風当たりの強さを押し返してくれたわけだ。

 その弟は半信半疑といった様子で『そんな有り得ないと書いていた』

 メッセが届き、スライドする。今度は愛が「今日は一緒に帰ろう」と記載していた。目線を感じ、顔を上げる。


「うっす」と、愛が手を上げる。



 夕焼けの日差しが俺たちを照らしている。2人だけの影が机の上をなめる。机ひとつ挟んで、携帯を置いて。


「うっす」

「うっす。うん、え、流行りなの?」

「違う」


 河辺愛はカバンを腹に抱えている。チャックを開けたら、手を突っ込んだ。口を下に曲げながら、2冊の重そうな本を取った。手放すように置くから、埃が携帯の上を飛ぶ。


「私、目標ができたの」

「目標?」

「うん。それはね━━」


 撮影音がする。扉に撮影時の光が目を指してくる。間に手を挟む。


「壁川……」


 正面の彼女が諸共せず、張本人から逸らさない。


「2人が付き合ってるなんて知らなかった」

「付き合ってないよ」

「え、聞いた?」


 壁川は自分のクラスを我がものにする。口数で人を圧倒し、自分の身の上で頭を汚染させていく。誰かに批判されていると分かれば、表舞台に連れ出して恥をかかせる。強気でいれば勝てるという文字が似合う人だ。だから、その関わり方で擦り寄ってきた。

 真っ直ぐに早足で、2人のところに到達する。


「なあ、援力。聞いていたか? お前とは縁がないってよ」

「聞いていたよ」

「え、口答えしてくるの。まあ男って女が横にいると立ち向かって格好よく見せてくるからね。ダサいのは変わらないけど」

「壁川。やめてよ」

「え、何を?」


 スマホをポケットに直し、机の重そうな本をふたつ指で触れてくる。


「援力。ちょっと愛を借りるよ」


 目配せすると、首を横に振ってくる。立ち上がらないように詰め寄って、俺の手を机の上にだし、握ってきた。指が震えている。いや、俺も怖がっているから、とちらも震えていた。彼女も壁川に怯えていた。それに安堵してしまい、罪悪感が湧く。


「付き合ってないのに思わせぶりな態度を取らない方がいいよ。私、愛にそんな一面があるなんて知らなかったな。ガッカリ」

「ガッカリしてもいい。今は紡と話があるからほっといて」

「私は上の名前なのに、コイツは下で呼ぶんだ。呼ぶんだ!」


 本を力任せに落とされる。散らばったページ、折れ曲がって床にくっつき、背表紙が哀れだ。表紙は心理学入門とカウンセラーの現場の声。上半身だけ動かし、2冊をとる。手をまた握った。


「ねえ、練習の時にやってたのって当てつけ? 今まで私に歯向かうこと無かったじゃん。ただ、楽しい日々で、離れることもなかったし。今日も一緒に帰ろうって言ったのに」


 口を伏せ、躊躇っていた。俺はほんの折れ目を片手で戻す。跡が残ってしまうだろう。膝で持つ姿を透かす愛。そして、壁川のために顔を上げる。


「それは、あなたが1番だった。その背中について行けば、苦労が少ないと思っていた」

「私の悪い所は指摘してくれたじゃん。それで何度救われたか分からないし、治ってきたと思う」

「治ってない。一時的にはいはいって言うけど元通り。結局、人を馬鹿にしてるでしょ」

「それは愛も楽しんでたじゃん。人を馬鹿にするのは楽しいよ。私は皆に慈しむ方が馬鹿だと思う。慈しんだ人が助けてくれるの? 手を払われるなら、敵だと認識して私たちで仲良くした方がいい」


 唾が飛ぶ。壁川は怒っているように見えたが、瞳の奥に不安が宿っている。昨日車の窓越しに写った俺と同じ色。ばあちゃんに取り残されると思っていた俺だ。


「その方法ばかりじゃないって、最近知った」


 いま、彼女は立ち向かっている。自分が甘えていた状況と、決別していた。放課後に呼んだ理由。それが、この為じゃないだろうか。


「援力が登校してきておかしいよ。コイツに何があるの? 何がいいの? 好きじゃないならなんなの?」

「教えない」

「はぐらかした!」

「そんなに怒っても、私の気持ちは変わらないよ」


 本を手にした。ふたつの表紙を壁川に読んでもらうよう、机に並べる。


「私、人生の目標ができた。人を知りたくなったの。こうだろうって決め付けからはいるんじゃない。世の中は男と女みたいな割り切りで生きていたくない」


 ページを開く。パーソナリティ障害や機能不全家族の文面を見つける。

 彼女は心理に強い興味が出ていた。その瞳に教室内の孤立に怯える姿はなかった。幼い子供のような好奇心で突き動かされている。


「心の形が知りたい」

「心の形?」

「その人の心がどんな形なのか知りたい。心の中を勝手に決めつける人達になりたくない。それほど大きな出会いがあったの。決めつけ、バカにしていた自分に立ち向かいたいの」

「結局は自分のために他人を利用するってことなんだ」

「壁川は人を傷つけることでしか繋がれない。何故そうなのか、色々学んで、私の中で決着つけるね。このことを援力に教えたかったから呼んだ。もう行くね」


 立ち去ろうとする。それに合わせて手を離し、一人ずつ鞄を持つ。壁川は呆然と教室の窓を眺めていた。


「壁川。今までありがとね」

「……自分も悪口言ってたくせに、いまさら戻れないよ」

「それは私の第一目標を否定できないよ。私が知りたいの。悪口を言ってきた嫌な私も一緒に背負うよ」


 そうして2人して教室から出た。その後、無言で帰っていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る