最終話 日常風景は挨拶の後で

 ドリューこと【クロック・スカイランズ】、ホークこと【水代一樹】は、黒いスーツを身に纏い、長く、豪華な装飾がされている豪邸の廊下で突っ立っていた。


 ドリュー……いや、ホークもそうだが、彼らはもうドリューでもホークでもないので、こう呼ぶことは現状、おかしいのだが……しかし呼びやすいのでこれまで通りにそう呼ばせてもらうが――彼ら二人は、着慣れないスーツに戸惑いながら、着崩しては直してを繰り返しながら、ある人物を待っていた。


 そろそろ二時間以上は経つのだが、それでも出てこない――。

 もしかして部屋の中でなにか問題でも起こっているのだろうか、とも思ったが、『絶対に開けるんじゃないぞ、覗くんじゃないぞ!』と強く言われてしまって、というか、命令されてしまっているので、たとえ緊急事態でも、開けることを躊躇ってしまう。


 イライラしながら、と言ってもホークだけで、ドリューは、ぼーっと天井を眺めていて暇そうではあるが、苛立ってはいないように見える。

 二人はお互いに黙って、じっと【彼女】を待つのみである。


 会話をした方がいいのだが、しかし待ち始めてから数分して、すぐに会話を始めて、もう会話としてはお腹いっぱいになってしまったのだ。今から話すというのも、なんだかなあ、と思うし、最大問題として、話すことと言っても、もう特にはなかった。


「…………」

「…………」


 ホークはこの苛立ちを収めようと、少し眠ることにした。

 とは言え、本気で眠ってしまっては、これから仕事に支障が出てしまう……なので目を瞑るだけにしておく。そして自然と、目を瞑った時に思い出すのは、あの時の、光景である。



 崩壊した迷宮監獄から運良く、戦車に乗って抜け出すことができたドリューとホークとメイビーは、多くの大きな傷の残しながらも、レースを続行させた。


 未だにナスカの消息は不明らしいが、どこかで、生きているのだろう――というのが、メイビーの言葉である。それは信頼なのか、それとも捜索するほどの熱がないからこそ、あしらうような言い方なのか――。前者と後者、二つが入り混じった感情なのだろう、ということは、なんとなくで理解できた。

 さすがに、口に出すことはできないだろう――、その思いは。


 探すのは面倒くさい、という意味になるのだから。

 世話係だったのにもかかわらず、その扱いは酷いな、とホークは思うが、だけどメイビーを殺そうとしていたのだ――運営側として、後ろから、闇の中から攻撃を仕掛けていたのだから、当然の扱いとも思えるが。


 ともかくメイビーがそう言うのならば、ホークもドリューも、メイビーに従うまでだ。わざわざ労力を使って、敵だった人物を探すことはしたくない。

 これから先も同じようなことをしてくる可能性を考えれば、出た芽を潰しておいて損はないだろうが……、彼らにもやることがあり、ナスカに力を注いでいる暇も、ないと言えばない。


 なのでメイビーと同じく、ナスカの事は放っておくことにした。

 それに、運良く、本当に運良く生き残っただけなので、この奇跡がナスカ側にも発生しているとは、考えにくかった。

 もしかしたら、口には直接、たとえ敵だとしても出したくはないが、もしかしたらもう既に、死んでいるのかもしれないのだから。探すだけ無駄、という考えもある。


 そんなわけで、未だにナスカ・ワームアームの姿は、発見されていない。


 消息不明なのだった。

 そんな呆気ない、ステージ上からの退場を強いられた敵であるナスカとは逆に、メイビー・ストラヘッジは、ステージの真上へ立つことに成功していた。


 レースを続行し、とは言え、脱落者が多く、レースとしての意味で生存しているのが、メイビー達だけであり、もうそれは、レースと言っていいものか怪しいものだったか――なんとか、レースをした。


 そして一ヶ月を越えることなく、メイビーのマシンがゴールテープを切った。

 彼女が、優勝することになったのだった。


 ということは。


 つまり――メイビー・ストラヘッジが、世界王になる。


 そして、今日――初めての、お披露目の日である。


 世界王であるメイビーが、全国民の前へ、姿を見せる時である。



「そう言えば――」

 と、ドリューがいきなり声をかけてきた。


「ホークは、いや、えーと、いや、なんでもないや。名前で呼ぼうとしたけど忘れたから」


「水代でいいが――まあ、俺もお前のことをクロックと呼ぶのはなんだか違和感しかないから、ドリューと呼ばせてもらうことにする」


 それでいいよ、とドリューが言うので、ホークは頷きながら、


「――で、なんだ? なにか、用でもあったんじゃないのか?」


「『ホーク』から――ああ、これは組織としてのホークのことだけど――、

 なにか、連絡でもあった? もしくは、襲撃者が来た、とか?」


「そんな物騒なものは来ていないが――だが、きっと探しているだろうな。裏切り者を始末するにしても、色々と説明を聞くためだとしても、探してはいるだろう。

 無断で抜けていることになるわけだし、ここにこうして、姫様の世話係として雇われていることも、あっちは知らないわけだしな――。

 そういうお前の方は、確か、抜けるのは厳しいんじゃなかったか?」


「ああ、そうだよ。

 ドリューは軍隊みたいなものだからね、ホークみたいにゆるゆるじゃないんだ」


 こっちも別にゆるゆるではないが、と反論しそうな言葉をぐっと押し込める。

 いちいち反応していたら、話が進まない。


「きっと、というか絶対に、これは確信を持って言えるけど、おいらを殺しに来るか、連れ戻しに来るか、いつかは分からないけど、来るだろうね、追跡者が」


「それで、お前はどうするんだ? 

 まさか、姫様を捨てて逃げるなんて考えていないだろうな?」


「まさか。外の方が危険だよ――ここにいた方が、安全。

 それに、おいらは死ぬまで姫様に仕えるつもりだ。それは君も同じだろう、ホーク」


「……言われるまでもない。確認するまでもない――、されるまでもない。

 姫様が死ぬまで俺は、俺達は死ねないんだよ。

 姫様が寿命で死ぬまで、俺達は守り続けるんだよ」


「うん。うんうん、いいね――いい意思表明だ。これでおいらと君は同じ気持ちでお姫様に仕えることができるわけだ。

 好きであっても恋愛感情はなく、仕えたいだけの好きだと、そういうことだろう?」


「そういう気持ちで言うならお前の方が危険そうで怖いんだが――」


「おいらも仕えたい方の【好き】だよ――尽くしてあげたいの、好きだ」


 ふうん、とホークが唇を緩めて薄く笑っていると――、がちゃりと音を立てて、扉が開いた。


 そこには、顔を赤くして、黄色のドレスに身を包んでいるメイビー・ストラヘッジが立っていた。金色の王冠が、頭の上にちょこんと乗っていて、腕にはブレスレット、手には指輪、首にかかっているネックレスが、肌の白さ、きらきらと輝く美しさを強調している。

 金髪が真っすぐ伸びていて、地面についてしまいそうだが、そこは気を遣ってメイビーの着付けをしてくれていた女性が、持ってくれていた。


 見惚れていたドリューとホーク――、

 まずホークの方が正気に戻り、女性からメイビーの髪の毛を渡される。世話係はメイビーに仕える役職の中でも偉い方で、少なくとも着付け係よりは偉い役職だ。

 それに、ホークとドリューはメイビー本人の指名であり、友人であり、世話係である――なのでメイビーには劣るが、それでも大事に扱わなくてはいけない存在であると、王宮では話題になっている。


 遅れてドリューも正気に戻り、なにをすればいいか分からなくなってあたふたしていると、メイビーがすっと、手を伸ばしてきた。

 ドリューは考えて、頷いてからその手を受け取り、真っ直ぐに伸びる廊下を先行するように、先に進む。


 前と後ろに世話係が置かれている――警備上、充分な位置だった。


 すると、赤面が未だ戻らないメイビーが、ふるふると肩を小刻みに揺らしながら言う。


「お前らは、廊下の真ん中で、私の部屋の目の前で、なにを恥ずかしいことを……っ」


「いや、別に恥ずかしいことなんて言ってないけどね――本音を言っただけ」


「それが恥ずかしいんだ! お前らじゃなくて私が恥ずかしいんだよっ!」


 お姫様らしくない大声を出すが、今更である。

 メイビーは前からこんなんだった。


「――まったく、あの着付けの女性にも、ふふっ、って笑われたではないか!」


「愛されてるねえ、って言われて、喜んでいたように聞こえたのは俺の勘違いか?」


 なっ!? とメイビーが後ろを勢い良く振り向いた。


「おまっ、ホーク、お前、聞いていて……ッ!」


「だって、中から外の声が聞こえるということは、外から中の声も聞こえている、ということだろ。だから、知ってるよ。聞こえてた。喜ばれているとは、嬉しいことをしてくれる」


「う、うるさいやめろにやにやするなッ!」


 両の拳で叩いてくるメイビーの攻撃は、痛くなかった――ドレスのためを思って、あまり負荷をかけないようにと、威力を抑えているらしいが、抑え過ぎて痛みは完全になく、当たっている感覚しかなかった。


「く、くそ……こんなドレスがなかったら、お前らなんて、粉々にできるのに……!」


 そこにはきっと『戦車で』という言葉が隠れているはずである。


 ドリューは、

「なんでおいらまで!?」と驚愕していたが、当たり前だ、とホークは視線で伝えておいた。


 なにをするにしても、するためにはまず、メイビーが挨拶を終わらせなければいけない。そうすれば、このドレスも脱ぐことができて、いつも通りの生活に戻ることができるわけである。

 世話係の二人からすれば、ドレスは常にずっと、着ていてほしいと願うものであるが。


 それ程、綺麗なのである。


 メイビー・ストラヘッジの、そのお姫様姿は。




「……そろそろ、か」


 廊下を進んで行くと、そろそろ、全国民が見える舞台に辿り着く頃である。

 その舞台に出てしまえば、挨拶が終わるまでは戻れない。


 ドリューとホークが介入することはできないし、

 メイビーも、途中で終わらせることはできない。


「そろそろ、だ」


 繰り返すメイビーは、誰の目にも明らか――緊張していた。当たり前である。

 世界王として、皆の上に立つのである。国としてではなく、世界として――、人間という種の、一番上に立つのだ、緊張しないわけがない。


 がくがくと全身が笑っているが、その震えは、唐突に止まった。

 二人の男の子の優しく温かい手が、その自分の手に、添えられていたからだ。


「……お前ら」


「いつもの強気はどうした、あんたらしくもない」

「そうそう、テキトーによろしく、とでも言っておけばいいんだよ」


「それはそれで問題があり過ぎだろう」


 きっと冗談だろう――いや、冗談でなければ困るので、冗談だと信じるが……。

 その、冗談に聞こえない冗談のおかげで、メイビーの震えが止まり、

 そして、覚悟が決まった。


「――よし!」


 皆の上に立ち、皆の前に立ち――宣言する、その覚悟が。



「行ってくる――世界王として、私は、この世界を幸せにすると、誓ってくる」



「気合が入り過ぎだ。誓うなんて重いものじゃなくていい――ただの提案でいいんだよ」


「そういうこと。気楽が一番――、今のままの現状維持で、海の生物と仲良くなることを目指す世界にするなら、やっぱり、気楽が一番だよ」


 波のようにきまぐれに。

 波のようにお気楽に。

 波のように、流れるままに。


『行って来い』


 とんっ、と背中を押されて、メイビーが前へ踏み出した。


 あと二歩……、一歩で、


 舞台が見える――辿り着く。



 世界王・メイビー・ストラヘッジが今――、


 世界の一歩を、踏み出した。

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