第46話  ニカの乱 2日目(2)

 その後も旧友を温めつつ、競技場集団削減計画についてより細かな手立てを決めて皇宮に帰ってきた。

 皇宮に近づいた時には、競技場の中からニカの歌を張り上げて歌っている声が聞こえてきていたので、ペトルスの説得は上手くいかなったのが分かる。まあ、想定内ではあったが。

 皇宮に戻れば戻ったで、やるべきことは多い。

 コミトが子供たちを連れて避難してきたように、邸内には女子供の避難民が少なくない。彼らに居場所と食糧を与えねばならず、それは皇后をはじめとした女官たちの担当となる。

 幸い、競技場の緑党とは紳士協定が成立し、市内の商業地は双方不可侵とし、そこに逃げ落ちる非戦闘民には手を出さないことで合意ができたというので、知り合いの商人に匿ってもらう女子供、老人の避難も、差配はテオドラが中心にした。

 合意はあるとはいえ、事実上市内は無法地帯だ。悪意ある者が弱い避難民を狙って金品を奪うことも考えられる。最低限の護衛兵も市内に出して彼らを見送り、それを暴徒側も人員を出して見張り、両者が睨み合いの中での避難だった。

 ペトルスはペトルスで、話し合い後の後始末や報告のために青党貴族を集めて朝儀を開き、途方に暮れる姿を見せたという。

 あえてそういう姿を演技して見せて、居るであろう内通者に戦意が低下してるように見せ、逃亡を期待させるためだ。

 まだこちらの兵力が整わないうちに武力衝突は避けたいです。緑党も大きな被害が出る皇宮攻撃はしたくないでしょうから、皇宮を捨てて逃亡してくれるのを期待していましょう。それに沿った動きをしてやれば、奴らも大規模な攻撃はしてきますまい、とはナルサスの弁だ。

 この非常時だ、ペトルスとテオドラがゆっくり話す時間が取れたのは、側近5人による話し合いの場だった。


 ♢♢♢


 ふうっと大きく息を吐きながら、ペトルスが深く椅子に座る。

「お疲れのようね」「さすがにな」

 テオドラがペトルスに声を掛ければ、苦笑しながら答える。椅子の横の小机の杯を口につけるが、中は水だ。

 ベリサリウスとトリボニアノスも椅子に腰掛け、車座に座る。ただナルサスだけは座わず立ったままだ。もっともこれはいつものことで、彼は人前で寛ぐ姿を見せない。欲を律する気持ちが強い彼にとり、椅子に座ることも「寛ぐこと」にあたるようだ。

「では情報の共有と、今後の展望を決めたいと思います」

 司会役をする姿も見慣れたナルサスが、静かに話し出す。

「まずは皇后陛下から」「わかったわ」

『青玉の酒場』の旧スタッフを使った、流言による暴動参加者減少作戦の首尾を話す。

「………とまあ、今も競技場でせっせと噂を流してると思うよ。どのくらい効果があるかは、まだわかんないけど」

 と、テオドラは競技場のある北方を顎で指しながら答える。

 競技場では参加者が三々五々に焚火を作り、夜も家に帰らず寝泊まりしているというが、彼女たちの流言でどのくらい減るかは、朝にならないと確認できない。

「少しでも削れればやった意味はあります。期待して待ちましょう」

 まったく表情が変わらず、期待などまるでしてない顔で言うナルサス。彼の場合これが平常運転だ。


「次はベリサリウス将軍から、兵の集結状態について」

「はい。ヴァルチからの駐留軍は明日午前には着くとの報告を受けています。数は2000。今いる兵とあわせてざっと3500ほどになります」

「3500か……。それで3万の暴徒を鎮圧できるか?」

「競技場内に突入できればいけると思いますが、問題は高所に陣取った投石兵ですね。これを掻い潜らないと北側の競技場入り口にたどり着けません」

 ベリサリウスがパピルスに描いたラフな地図を見せながら言う。

 地図には競技場を中心に南に皇宮が書かれ、空中回廊でつながっているが、狭くて軍を動かすのには全く不向きだ。なので皇宮の北門、ないしは南門から兵を動かし、競技場の北面に広く開かれた入場門へ、矢印付きの線が伸びていた。

 だがその両方のルートの周りには高い建物があることも書き込まれており、すぐ下を駆け抜けなければならない。

「通常の市街戦なら、高所の建物をひとつひとつ制圧して進むのですが、それを行うだけの兵がいませんし、時間もかかります。それでもそれをやろうとすれば、手薄になった皇宮に逆襲を食らう可能性が高いです」

「競技場からこちらの動きが丸見えなのも問題です。奇襲しようにも邸内で兵を集めればすぐ察知されます」

「打つ手がないではないか……」

 うめくようなペトルスの声が漏れる。


「その件なのですが」

 と、今まで発言していなかったトリボニアノスが発言を求めた。

「私の記憶が確かなら、競技場の南側の……、この辺ですか、ここに競技関係者用の通用門があったと思いましたが」

 トリボニアノスが競技場と皇宮の間の路地の一点を指す。

「ある!言われて思い出した!」

「皇后陛下もご存じでしたか」

「私も競技場関係者の娘だからねぇ。子供の頃に遊んだ記憶がある」

「具体的には、どんな通路になりますか?」

 ナルサスの実用的な問いがくる。

「んーと、競走馬や戦車車体なんかを運び入れる通路で、地下道を通って直接馬房へ繋がっている。広いよ。4頭立ての重戦車が馬に引かせたままでも通すことができるくらいだから」

「兵を動かすには充分ですな。暴徒や緑党貴族に、その通路の存在は知られていると思いますか?」

「それはわからないけど……、関係者以外はほとんど知らないんじゃない?入口のある路地も人通りがないところだし」

「私もあの競技場で騎乗の訓練をしたことが何度かあったが、そんな通用門のことは知らなかったな……」

 独り言のようなベリサリウスの言葉が、テオドラの言を補強する。

「ふぅむ。うまく使えば知られずに場内へ兵を送り込めるかもしれませんな」

「より細かい事はマキシ兄……、じゃなくてシダス将軍に聞いてみて」

 マクシムスは5〜6歳のころから馬丁として働いていた。競技場のことで彼が知らない事はないと言っていい。

「なるほど。当邸には『青の鉄人』がいましたな。後で詳しく聞かせてもらましょう」

 ナルサスがうなずきながら答える。無表情だが、彼の頭の中では様々な策が巡っているのだろう。


 その話し合いを黙って聞いていたペトルスだが、ある程度話が煮詰まり武力鎮圧の目処がついたところで、「最終確認しようか」と話し始めた。

「皆の者、武力鎮圧が前提となっているが、今一度立ち止まり考えてほしい。兵を使った攻撃は当然だがリスクがある。失敗すれば他国に亡命か、最悪ここにいる全員が投獄、処刑だ」

 一旦言葉を切り、その場にいる者の顔をゆっくり見回す皇帝。

「一方で、大幅譲歩をすれば政治決着も充分できる状況でもある。緑党もことを荒立てたくないだろうし、交渉の余地はある。こちらの兵が集まれば、向こうさんも強硬策は取りづらくなるだろうからな。

 で、どうする?このまま武力鎮圧で突っ走るか?

 市民を含めた大きな犠牲が出る制圧に異議があるなら、止める最後のチャンスだぞ」

 ペトルスの言葉を受けて、場が静まる。皆があらためて武力鎮圧の是非を考えているようだ。

 そして、テオドラはあらためてペトルスという男を見直していた。

『ここまできたら、イケイケドンドンで突っ走っていきそうなもんだけど……、慎重よね。一度立ち止まって考える事で落ちがないかもわかるし』


 しばしの沈黙の後、ナルサスが「申し上げます」と話し始める。

「ここで妥協しても、問題先送りになるだけと愚考します。皇帝反逆という大義名分がある今、躊躇せず反対勢力を一気に片付ける事が肝心です」

「私もそう思います。犠牲者は悲しい事ですが、痛みなくして手術は出来ません」

 トリボニアノスが続けると、ベリサリウスも「ご存じのように、私は政治のことは疎いですが」と前置きして話した。

「軍人として、3000の兵を競技場に送り込む手立てを考えていただければ、鎮圧を約束いたします。リスクにはさせません」

 それを聞いたペトルスは軽くうなずき、そしてテオドラの眼を見た。

 それを受けて口の端をニイッと上げて、テオドラが言う。

「あたしはアナの、妹の敵討ちをしたいだけ。競技場に居残った者は皆殺しよ」

 落ち着いた口調だが、形の良い唇から漏れる言葉は激しいものだ。

「わかった」

 大きく頷くペトルス。

「俺も覚悟を決めた。賽は投げられた、と言ったカエサルの気持ちがわかった気がするな」





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