第44話 ニカの乱 1日目(3)

 アナスタシアたちの弔いや死化粧をするというコミト、メッサリーナたちを礼拝堂に残し、テオドラは邸内に戻る。

「大丈夫か?きついならテオドラも……」

「大丈夫よ」

 皇宮の入口まで出迎えたペトルスからの気遣いの言葉を、あっさり断る。

「私の弔いは、あの暴徒どもを皆殺しにすることだから」

 気持ちを抑え、知らない人が聞けばいつもより落ち着いた口調と感じられるかもしれないが、その内容は過激だ。

 テオドラの中で暴れている激情を慮ったか、ペトルスはそれ以上言わなかった。


 現状を聞きたい、と言ったテオドラに無言で頷き、共に皇宮の奥の一室へ歩を進めるペトルス。

 そこには官房長ナルサス、帝都長官トリボニアノス、そして遠征軍司令官ベリサリウスの3人がいた。皇帝の腹心と言っていいメンバーで、その忠誠心は疑えない者ばかりだ。

 現状、多くの青党貴族、元老院議員が敷地内に避難しているが、その中に暴動に加担している緑党貴族と繋がっている者がいないとは限らない。

 なので、重要事項は基本このメンバーで決定することをペトルスが決めたのだ。

「皇后陛下、この度はご愁傷様で……」

 アナスタシアとも面識があるベリサリウスが椅子から立ち上がり、弔意を述べる。

「ありがとう。あの子の無念のために『筋肉さん』も力貸してね」

 テオドラは久方ぶりに『青玉の酒場』時代のあだ名で呼んで返す。

 ナルサスやトリボニアノスも椅子から立ち上がり両陛下を迎えるも、

「今はいち早くこの暴動に対処する事こそが大事だ」

 と、ペトルスが手で座るように指示し、彼自身もどっかりと皇帝用の椅子に座る。そしてその横の皇后席にテオドラも。


「あたしが退席した後に、なんか変化あった?」

 ここは私的な会合としての位置付けなので、格式ばった言葉は使わずに話す。

「非公式ですが、あちらから使者が送り込まれて来てます」

 淡々と答えたのはナルサスだ。競技場と通じる空中回廊を使って来たという。

 この回廊、鉄で強化された門扉と閂が設置されていて、専用の攻城兵器でもないと破ることはできない。今は皇帝側兵士が監視しているが、そこに丸腰の使者が1人で来て開門と口上、そして要求書を手渡していったという。

「あちらの要求は?」

「まずは皇帝の退位。このまま皇宮から退去すれば追うことはせず、財産も持っていってよいと。そのために海側の桟橋は開けておくとのこと」

「あり得ないな」

 ペトルスが即断する。その判断にテオドラも深く頷く。

「はい。帝位を手放せばその瞬間から我らが反逆者です。こんな約束など無かったことにされるのは必定かと」

「あちら側も当方が受け入れないのは分かっているのでしょう。あえて高めの要求を投げて、それを譲歩した形にして真の要求を呑ませるのは、交渉術の基本です」

 ナルサスに続き、トリボニアノスが答える。

「ふん。では奴らの真の要求とやらを聞こうか」

「はい。今回の暴動に加わった者の罪は問わないことが第一。また、私設応援団員の検挙者の無罪放免、空中税の廃止、ヴァンダル戦の停止を要求してます。更にはパンの無料配布の拡大、年間戦車競技会の開催数の増加、暴動で焼け落ちた施設の立て直しは皇帝の私財で行うなど………」

「もう、なんでもアリよな。思い付くまま要求してきた感じだ」

 さすがのペトルスも苦笑を禁じ得ない。

「これが民衆というものです。つけ上がればどこまでも図々しくなる」

 テオドラも冷たく言い放つ。民衆側に立った発言が多い彼女としては珍しい。

「そして、皇帝陛下自らが競技場にやってきて、皆が無罪である旨を群衆に宣言、謝罪すること。この騒動の原因を作った帝都長官トリボニアノスと、財務長官ヨハンネスの罷免と身柄を民衆に引き渡す事。これが彼らの要求の全てです」


 ペトルスは軽くため息をついてから言う。

「本音を言えば、全ての要求を拒否したいところだな」

「それができる状況ではありません」

 ナルサスは愛想も忖度もない無表情で答える。

「交渉する気なし、と相手に思われれば、万余の群衆をけしかけてここを襲わせるでしょう。500人の兵では濁流に飲み込まれる中洲の小屋です。皇宮を護る事はできないでしょう」

「わかっている。交渉して時間を稼ぐ必要があるのはな」

「はい。ですので、明日にも陛下には競技場に赴いていただき、群衆を前に反省の弁を述べていただくことになります」

「………気が重い話だ」

 それはそうだろう。敵意渦巻く群衆を前に謝罪するのだ。今日と同じように罵声や投石は当然あるだろうし、それを浴びて平常心でいられるほどペトルスも強くない。

「私も共に行きます」

「いや、お前はダメだ」

 同行を求めたトリボニアノスをペトルスが止める。

「しかし、暴徒たちは私の身柄を求めているのでしょう?」

「だからこそだ。あいつらはお前を人質にする気だぞ」

「わかっております」

 トリボニアノスはなんでもないことのように、穏やかな表情で答える。

「私が人質になれば暴徒は安心するでしょう。結局のところ、いくら陛下が罪は問わないと言っても口約束に過ぎません。私がいれば安心し、暴発する危険もなくなるでしょう」

「ならん」

 ペトルスは大きく首を振る。


「帝都長官のような忠臣を失っては大きな損失だと、陛下は言ってるのよ」

 テオドラが口を挟む。

「しかし……」

「暴徒たちは鎮圧する。実力で。この交渉は兵が集まるまでの時間稼ぎに過ぎない。そうよね?」

「ああ」

 テオドラの確認にペトルスが頷く。

 もうすでに、このメンバーの中では武力鎮圧は既定路線となっていた。そのための兵を集めるまでどう押し止めておくかに頭を悩ませていたのだ。

「だったら、人質は殺される可能性がとても高いのはわかるでしょ?犬死なのよ」

「でもだからこそ、あの者どもを誤魔化せられるとも言えます。皆様ご存じのように、戦車競技場はこの皇宮のすぐ横にあり、しかも高さがあるので皇宮内の様子は一望できます。兵が集まっている様子を隠すことが出来ないのです。

 兵が一定以上集まっているのが分かれば、数が優勢のうちに勝負をかけてくるでしょう。でも、それは私が一命に変えても説得してしますので……」

「殉職は認めん。そんな犠牲の上で地位を保つ皇帝にはなりたくないのだ。この件についてはこれ以上の議論無用」

 ペトルスは断固として人質を認めなかった。この暴動の責任を感じているトリボニアノスを失いたくないのだろう。

「そう言えば、ヨハンネスはここに避難してきていないの?あいつも暴徒の『御指名』を受けていたけど……」

 あえて雰囲気を変えるように、テオドラが聞く。

「財務長官殿はこちらには来ておりません。いち早く知り合いの商人街にある知人宅に籠っているようです」

「早々に日和見ってか。あの豚、さすがだわ〜」

 芝居かがったように皮肉をいうテオドラ。豚はもちろん肥満で貪欲なヨハンネスを指す。

「商人街に対しては暴徒どもも抑制してますから。中立の市民も多く避難しているようですし、我が身かわいい財務長官殿は中立を装い、情勢がはっきりするまで出てくるつもりはないでしょうな」

 ヨハンネスは財務官僚としての優秀さは頭が抜けているが、利に聡く賄賂も当然の顔で受け取ると聞く。法律家である皇帝ペトルスは、その手の汚職には本来厳しいのだが、余人に変えがたいヨハンネスには多少目を瞑っている。

「ヨハンネスなら人質にしても惜しくないんだけどなあ」

「あやつはダメだ。敵側に引き渡されたら、我が身可愛さにこちらの内情を洗いざらい話すぞ」

「違いないわね〜」

 そう言ってテオドラとペトルスは笑う。うまく雰囲気はほぐれたようだ。


「では、当方の兵の集まり具合だが。ベリサリウス」

「は」

 このメンバーの中で唯一、武装姿のベリサリウスが答える。

「東の桟橋から伝令船を出して、海峡の見張り台に駐留している兵に集合をかけています。これで約1000ほどの兵を集められます」

「ここの警護兵と合わせても1500か。少ないな」

「仕方ありません。海峡見張りは現状海難救助が主要任務となってますから、さほどの兵を割いておりません」

 本来なら帝都に近衛兵団が鎮座して睨みを利かせている地域なのだ。予想できなかった暴動とはいえ、近衛兵団を丸ごとヴァンダル戦線に派遣したのが痛かった。

「もっとも近い駐屯地にも集結命令を出してますが、輸送船の徴集からやる必要がありますから、時間がかかります」

「陸路を使う、とはいかんか」

「陸の方が時間かかるでしょうな。それに暴徒どもに大城壁の城門を閉められたら数万の兵でないと破れません」

「わかった。それでヴァルチの駐屯兵を最速で呼び寄せるとして、どの位かかるか」

 ヴァルチは駐屯兵のいる街の名前だ。

「輸送船の手立てのついた兵から順次送れ、と申し付けてますから、確かなことは言えませんが、3日で1500から2000でしょうか。護衛兵、海峡見張り兵と合わせて最大3500ぐらいです」

「………3500で、3万の暴徒の鎮圧か」

 ペトルスが軽く首を横に振りながら言う。軍事には疎いテオドラでもそれが難しいことはわかる。

「数はさほど問題ではありません」

 ベリサリウスが続ける。

「暴徒に武器武装はほとんどなく、兵としての訓練も受けていませんので、3000の兵でも隊列を乱さなければ殲滅は可能です。

 ですがここは市街地。物見によれば、奴ら街路の敷石を砕いて競技場や周辺の建物の高所に運び入れている様子。5、6階の高さから一斉に投石をうければ被害は甚大です」

「‥‥つまり、向こうにも戦い方がわかっている奴がいるってわけね?」

「緑党貴族にも軍歴の長い将軍がいますし、ベテラン兵を私兵として雇ってる事も少なくありません。彼らが群衆を掌握するようになれば、かなり厄介です」

 ベリサリウスの説明を聞いて、うーむという唸り声がペトルスから漏れる。彼も軍歴こそあるがその多くは書記官として兵站業務だったので、戦場の実地経験が豊富というわけではないようだ。本人が寝物語でテオドラに言っていた。


「時間も重要です」

 ナルサスが話を受け継ぐ。

「現状、この帝都でこそ暴徒は数的優勢を誇ってますが、当方は時間をかければこうして兵をあつめる事が可能である反面、あちら側は今が最大であり、減ることはあっても増えることは考えられません。つまり、時間は当方の味方ということになります」

「そんなこと、あちら側もわかっていよう」

「はい。ですので悠長に兵を集める余裕はありません。先ほど帝都長官も言っておりましたが、兵の終結状態はあちら側には丸見えですので、一定以上の兵が皇宮に入れば遮二無二に攻撃をしてくるでしょう」

「その日程的余裕が3日、と言うことか……」

「その辺りがリミットでしょう。もちろん引き伸ばし策が上手くいかなければもっと短くなる可能性もあります」

「ですが、官房長官殿」

 ペトルスとナルサスの対話にベリサリウスが割り込む。

「純軍事的に考えれば、兵力差が最大の今のうちに勝負つけた方が暴徒側としては有利だと思うのですが、なぜ手を出してこないのでしょう?」

 これは想像に過ぎませんが、と前置きしてナルサスは無表情で答える。

「暴動が自然発生的に生まれたため、掌握に時間がかかっているのではないでしょうか。後からやって来た貴族が皇宮を攻めると言っても、ほぼ無防備の民衆の多くは死を恐れ、従わないでしょうから。緑党貴族の手足とするには、ある程度の『洗脳』が必要になるのでしょう」

 ナルサスの説明には理がある。その場のノリで暴動に参加したものの、段々と囲い込まれ、半ばヤケクソで皇宮攻撃させられる者もいるんだろうな、とテオドラは思った。


 そろそろ結論を出そう、とペトルスがまとめにかかる。

「あやつらの謝罪要求は受け入れるが、人質を伴わない口約束になるため、解散に持って行くことは難しい。なのでこちらは兵を集め続け、いけるとみた時点で弾圧にかかる。基本路線はこれだな」

「はい。あちら側の情報も絶えず取れるよう『草』も放っております。緑党貴族が群衆掌握に失敗し、士気が乱れて崩壊に向かう可能性もありますので」

「それなんだけど」

 ナルサスの言葉にテオドラが割り込む。

「あたしにも一枚噛ませてくれないかな」

「何をする気だ、ドーラ」

 ペトルスが腰を浮かせながら問いてくる。慌てたのか人前では絶対に呼ばない愛称となっていた。

「なに、大丈夫。危険なことをする気はないから」

「……本当か?」

「疑り深いわねえ。世論を操るのは『青玉の酒場』の頃からよくやってたでしょ。あれの応用よ」

 青玉の酒場の頃、というセリフで、ペトルスとベリサリウスは何をするか分かったらしい。トリボニアノスは聞いた事がないのか首を傾げ、ナルサスは無表情だ。

「それに………、アナをられた恨みをそのままにしておくほど、あたしは寛大な女じゃないんだよ」

 テオドラの両目に溟い復讐の火が灯る。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る