第42話 ニカの乱 1日目(1)
皇宮は帝都の最東端にあり、地形に沿った形で北東から南西に斜めに長方形の敷地を持つ。
その敷地の北端に北西方面に向いた表門を持ち、その奥にある程度の広さを持った広場や庭園が広がる。
皇宮の建物は敷地の南西にあり、北側に隣接する戦車競技場に通じる専用の空中回廊があることは前に述べた。このほかで皇宮が外と通じるのは、皇宮で働く一般民が使う南側にある通用門と、大城壁をへて専用の船着場へ通じる東門だけだ。
陸で繋がる北の表門、南の通用門、そして空中回廊の向こうの競技場からも、ニカの歌の大合唱が聞こえてくる。
四面楚歌の故事を彼らが知っているわけはないが、半包囲した群衆から大音声の歌が聞こえるというのは、なかなかに威圧される。
何者かが指示してやらせているのなら、相当な知恵者が相手側にいるのだろう。
と、不意に表門方面からの大合唱が途切れる。
正確には、徐々に歌を止める人々が段々と広がっていく感じで、そのうち表門方面だけが静かになった。
「何が起こってる⁉︎」
門を護る百人隊長が、テオドラの疑問を答えるように門上の衛兵に怒鳴る。
「わかりません‼︎き、急に歌を辞めて……、皆、門とは反対側を見ています‼︎」
「反対側だと?」
「何かが、誰かが来るようです‼︎……あっ」
不意に衛兵の声が途切れるタイミングで、門の外からは別の声、というか合いの手が聞こえてくる。
『て・つ・人!て・つ・人!て・つ・人‼︎………』
「鉄人っ⁉︎」
手拍子と共に聞こえてくる新たな掛け声に、テオドラは思わず声が出る。
この帝都で、鉄人と呼ばれる者は1人しか思いつかない。その彼がこの皇宮に来るのだとしたら。
「取り囲む人々が、割れてます‼︎左右に散り一本の道ができてまーす!……遠目ですが、一台の馬荷車が通って来まーす‼︎」
「隊長さん‼︎」
さらに大きくなる『鉄人‼︎』の掛け声に負けないくらいの大声で、テオドラは百人隊長に声をかける。
「皇后陛下⁉︎なぜ、ここへ⁉︎」
「そんなことどーでもいいから‼︎それより門扉を開けて‼︎」
「ええっ……!」
「大丈夫‼︎群衆がなだれ込んでくることにはならないから!それより、今こちらに向かっている人物を迎え入れないと‼︎」
「し、しかし……、一体誰が向かってくると……」
「決まってるじゃない!帝都で鉄人って言ったら!」
「わかりました!マクシムス=シダス将軍です!」
テオドラの言葉を先取りするように、門上兵が叫ぶ。
「将軍が馬荷車を操って、こちらの門に向かってまーす!」
「その馬荷車には、誰か乗ってる⁉︎」
僭越ではあったが、皇后自らが門兵に大声で問いかける。影のように従うアンナが、慌てて「皇后陛下‼︎」と非難の声を上げるが、構っていられない。
「ん〜とぉ、女性が数人と、あとたくさんの子供が乗ってまーす!周囲の歓声に合わせて手を振ってまーす‼︎」
『間違いない!コミ姉と孤児院の子供たちだわ!』
義兄マクシムスは、引退後もなお人気が高い。彼の引退後、絶対的エースが生まれていない青党ファンからは、マクシムス復帰を望む声があるくらいだ。
もとより競技場に集まった群衆が中心となった暴動ということもあり、その顔は緑党やその他のファンからもよく知られていたし、そのフェアで謙虚な態度は尊敬を受けていた。
群衆が道を開けて歓声を浴びせる存在は、彼以外ありえない。
「隊長さん‼︎門を開けて‼︎今すぐ‼︎」
「……わかりました‼︎」
少しの逡巡ののち、百人隊長は「開門しろぉぉ!」と叫ぶと、門警備の衛兵が
そして、テオドラは見た。
開いた門の向こうで、割れた群衆の間をゆっくり通る荷車の上には軍装のマクシムスがいる。右手で手綱を持ち左手は鷹揚に手を振り、民衆の歓声に応えている。
それはまさに凱旋将軍の威風だ。民衆も今世の英雄を目の前にして興奮し、拍手喝采を浴びせ続けている。
そして、その後ろの荷台には女性と子供たちが見える。
『コミ姉っ!ソフィア‼︎』
その荷台にコミトと娘のソフィアの姿を認め、大声で呼びそうになるのをなんとか堪えた。
他にも何人かの子供や女性が乗っているが、多分コミトが通っている孤児院の子供たちだろう。また『青玉の酒場』の元同僚で、今はソフィアの乳母にもなっているオルガとその子供たちもいる。
決して慌てず、ゆっくりとした歩脚で馬を進め、本来なら座る御者台に立って人々に応えているマクシムス一行が徐々に門へと近づく。
やがて、テオドラの姿を認めたマクシムスが軽く頷いたが、その動作はゆったりとしたものだ。
下手にバタバタ動いて、皇宮を取り囲んでるという現実に気が付かせるより、この非日常な空間を壊さずにゆったり逃げ込む方が安全と判断したのだろう。
そして、それは成功する。
群衆は馬荷車が皇宮に入っても歓声を送り続け、マクシムスも後ろ向きになってそれに応える。荷台の子供たちも無邪気に手を振りそれに合わせる。
やがて門扉がゆっくり閉められ閂が再びかけられても、まだ外では鉄人コールが続いていたほどだ。
そして門奥の広場に来たマクシムス一行に、今度は皇宮の護衛兵や避難民が歓声を浴びせる。
皇宮側から見れば、取り囲んでいた群衆を引き退らせ、ニカの歌もやめさせて堂々と入場してきた形なのだ。気勢が上がるのも当然と言えた。
その中心にいるマクシムス=シダス将軍は、現役時代の『鉄人』よろしく、無表情(に見えるが、付き合いの長いテオドラにはこれが義兄の喜んでいる顔だと知っている)で右手を軽くガッツポーズを取る。彼のモノマネでもよく知られる、お決まりのポーズだ。これだけでも、現役時代を知っている者からは更なる歓声が上がったくらいだった。
「コミ姉‼︎ソフィア‼︎」
そんなマクシムスを横目に、テオドラが荷台に駆け上がる。アンナが顔を顰めているが知ったことか。
「ああ、テオドラ……」
安堵の表情もあらわに、テオドラに抱き合うコミト。責任感の強い彼女のことだ。孤児院の子供たちは自分が守らないと、と気を張っていたのだろう。
加えて、今の彼女は胎内に新しい命を宿している。この子も守らねばと思っていたに違いない。
「皇后様。ご心配いただきありがとうございます」
と、丁寧な挨拶をしてきたのは6歳になった姪ソフィアだ。
「ああ、ソフィア。いつも言ってるけど、そんな他人行儀でなくてもいいのよ」
「ありがとうございます。でも、皇后様のおかげで私たちの生活がある。感謝を忘れずに、と父も母もいつも申してますから」
「マキシ兄ぃ〜、コミ姉もっ」
身内に遠慮されたくない、といつも言っているテオドラは軽くマクシムスを睨むが、マクシムスは「いやぁ」と頭をかく。
赤子の頃は病気がちだったソフィアも成長とともに健康的になっていった。
そして母コミトに付き添い、喜んで奉仕活動に勤しんでいるのを見ると、遺伝を感じずにいられない。
コミトやソフィア、孤児院の子供たちを順番に荷台から降ろし、皇宮内に向かうように指示する。
「オルガも。無事で何よりだわ」
かつての青玉の同僚で、今はソフィアの乳母でもある豊満な女性オルガにも声をかける。3人の子供たちと一緒に、荷台に乗って避難してきたのだ。
「ああ、姐さぁ‥‥。うちの人は、逃げて来てっけ?」
そうオルガに聞かれて、思わず顰め顔が出るテオドラ。
オルガの旦那は『ひとつ目さん』と呼ばれていた、戦傷もあらわな元用心棒で、今は離宮護衛隊長に抜擢されたフラウィウスの事だ。
「まだ離宮近くにいるのよ……。アナを護って」
テオドラは逃げて来た女官たちの話をオルガに話す。
「アナ様護って残るってぇ、あの人らしいさぁ」
「ごめんね。こっちの手が開いたら捜索隊を出してもらうから、それまで待ってて」
「姐さんが謝ることないっさぁ。なに、あの人しぶといからぁ。なんもって顔でアナ様連れて来るっしょ」
のんびりゆったり、北方訛りで答えるオルガ。この癒し系の彼女と話していると、テオドラもなんとなく「大丈夫かも?」と思えてくるから不思議だ。
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