第16話 食事と職業と華燭の典(4)

 カラーンカラーンと、軽やかな音を立てて教会の鐘が鳴った。


「あ、姐さん、式終わったようですね〜」

『青玉の酒場』の娼婦の1人であるメッサリーナは、ワインの入った素焼きの杯を軽く振りながらテオドラに伝える。

「お、やっと終わったかあ〜」

 テオドラは杯のワインを一気に飲み干すと、空になった杯を卓に置いて立ち上がる。

「これ以上式が長引いたら、酔っ払ってお出迎えできなくなるとこだったわよ」

「姐さんを酔わすには、大きな酒樽がもう2~3個必要だけどねー」

 と、こっちもかなり酒が回っているメッサリーナは、赤い顔でアハハハーッと陽気に笑う。


「ソフィーちゃんもぅ、パパとママの晴れ姿をぉ、見に行くさぁ」

 同じ席に座っていたオルガが乳飲み子を抱えて立ち上がる。ソフィアはコミトとマクシムスの子で今生後9ヶ月。さっきミルクをオルガからもらったばかりで、眠たげに小さいあくびをしている姿がなんとも可愛い。オルガは満面の笑顔で、小さいソフィアの身体をしっかりと抱きかかえて連れて行く。

 オルガは娼婦としてはそろそろ終わりが見えてきたが、よく気がつき店の潤滑油としては欠かせない存在だ。さらにテオドラたちの家のご近所さんで、自分にも同じ年に生まれた子供がいたことからソフィアの乳母を買って出てくれていた。

 だが、その子はもういない。生後3ヶ月ほどで亡くなったのだ。「よくあることさぁ」とオルガは言っているが、悲しくないわけはないだろう。だが他に4人の子供がいるし、家事に娼婦に大忙しだから、悲しんでいる暇はないのかもしれない。

 ちなみに彼女の旦那(娼婦なので正式な結婚はできてないが)は、店の『一つ目』さん、用心棒の長をやってるニコラウスだったりする。


 娼婦であるテオドラたちは教会に入る事を禁じられているので、披露宴会場ともなる教会前の庭園に卓や椅子を運び込んで、料理人ゾエが腕を振るった料理やワインを飲食していたが、やっと結婚式が終わったようだ。

 式に参加できなかった『青玉の酒場』のスタッフは、ぞろぞろと教会の扉の前で列を作りお出迎え準備をする。

 服装も華やかだ。

 一般的には教会にいく時の服は白系統と暗黙の了解がある。教会のシンボルカラーであるし、新婦以外白系統の服はダメなどという現代日本的縛りもない。

 だが、そこは娼婦。さすがにシースルーの服はないが、赤や黄色、あるいは店の色である青系統のドレスを着た者も多く、色を添えている。

 もともと日曜日は『青玉の酒場』の定休日なので、店のスタッフのほとんどがオーナー夫妻の結婚式を祝うために、この場に集まってきているのだ。さらにテオドラが気を利かせて、明日の月曜日も臨時休業にした。今日の無礼講のために、である。

 テオドラは、何より宴会が好きなのだ。


 やがて、ギギギ……と扉が軋む音を立てて内側に開かれ、めかし込んだ2人の男女が現れた。

 出てきたのはもちろん、コミトとマクシムスだ。

 コミトは、現代のウェディングドレスと比べれば質素で刺繍も少ないが、白でまとめられたその服は清潔な印象を与える。何より喜び溢れたコミトの顔が見る人に幸福感をもたらしている。

 マクシムスは、儀仗兵の服を『蒼青』のチームカラーである青で染めた一丁羅だ。普段の戦車競技の時には見られない、照れたような表情だ。

 そして2人ともミトラと言われる冠をつけ、その2人のミトラを結ぶゆったりとした白いリボン。これが正教会における結婚式を挙げた印(婚配機密という)となる。

 そんな2人を見た人々から、おおっ〜というどよめきとともに、様々な声が上がる。

「オーナー、綺麗だよぉ〜」「よかったねえ」「鉄人、笑え!」「こんな時ぐらい笑顔を見せろよー」「ちゃんと奥さんをリードしろよ、馬のように!」

 後半の野太い声は、マクシムスの戦車競技仲間からの声だ。


 マクシムスは長年チーム『蒼青』の絶対的エースとして君臨しており、顔も広い。というか、帝都中の人々に顔を知られている。

 チームの垣根を越えてマクシムスを慕う戦車競技関係者も多く、新婦コミト側の関係者に倍する人がこの披露宴に参加していた。

 ドライバー仲間が多いが、本来なら身分違いにもなる馬丁や上位身分の書記官も来ている。それだけ広い階層から人気があるという事だろう。

 彼らもまた、かなり酔いが回ったらしい赤い顔で、主賓2人を囲んで囃し立てている。


 やがて、付き添いで式に参加していたアナスタシアとクレーテー(2人は売り=売春をしていないので、教会に入れるのだ)が主賓のミトラを外し、2人は教会から出てガーデンパーティの主賓席へ。

 途中、オルガがソフィアをコミトに差し出すと、慈愛に満ちた顔で赤ん坊を受け取る。親子3人の幸せな姿に「おおっ……」「聖母子像や……」「もっと寄って寄って」「あー、マクシムスはムサいからいいや」などと、酔っ払いたちの勝手な声が上がる。

 ただ、急に多くの人の目にさらされたソフィアは、びっくりしてぐずり出す。それを慌ててマクシムスがあやす姿は、なんとも見てて微笑ましかった。

 やがて2人+赤ん坊は主賓席に座ると、それを祝う人々で人垣ができた。


 そんな姿を、テオドラは少し離れたところから見ている。

「姐さんは、お祝いに行かないんですかい?」

 同じように離れて立っているメッサリーナが声をかけてきた。

「あー……、あたしは同居しているからね。お祝いはいつでも言えるし。てか、昨日も言ったし」

「でも、こういう場で言うことに意味があるじゃないですかねー?」

「うーん……、あたしとしては、2人はずっとパートナーとして暮らしてきたのをみてるからなぁ。形式だけって気も。ま、コミ姉があんだけ嬉しそうにしているから、やってよかったとは思うけどね」

 ソフィアの体調が悪くなるたびに、自分を責めるような辛い表情を浮かべていた彼女が、一片の憂いもない笑みをたたえている。それを見る事ができただけで、テオドラは満足している。

「リーナこそ、行ってお祝いを言ってきたら?別にあたしに付き合う義理はないさ」

「いやぁ……」

 とメッサリーナにしては、困ったような照れ臭そうな珍しい表情で、ぽりぽり頬を人差し指でかく。

「わたしのような身の上にゃ、花嫁姿ってのは眩しすぎってゆうか。小さい頃はアレに憧れてもいたから、なおさらにちょっと……」

「リーナだったら、これからでもいい男捕まえて綺麗な花嫁さんだってなれるでしょーに」

 これは社交辞令ではない。メッサリーナは艶やかな金髪に彫刻のような整った正統派の美形で、立ち振る舞いには品がある。テオドラには及ばないが、店での指名率は高くコンスタントにお客を捕まえている。

 その気になれば、若旦那の御新造おくさんとして家に入ることもできるはずだ。

 借金で娼婦を縛っている娼館はよくあるが、テオドラはスタッフの自由意志を認めている。辞めたければいつでも辞めていい。

 まあ、娼婦になるような女はどこかで借金を抱えている場合が多く、時には店が借金ごと丸抱えして引き取る場合もあるので、全員がすぐに辞められるわけではないが、お客に身請けさせることもできる。それだけの魅力が彼女にはある。


「いやぁ、今さら結婚して、男にかしずきたいとは思わないかなー。第一、そう思わせてくれる男がいないっす」

 そう言ってへらっと笑うメッサリーナ。それでいて下品な感じはしない笑い顔だ。

 彼女にも娼婦になるには、それなりの事情があった事は想像に難くない。メッサリーナなどという名前も、本名ではないだろう。

 メッサリーナとは皇后でありながら、老齢の皇帝では満足できず、夜な夜な娼館で見ず知らずの男に身体を委ねては、その性欲を満たしていたという伝説の淫婦の名前だ。

 教養ある親なら、そんな名前を子供につけることはない一方で、その由来から娼婦には多い源氏名だ。

 だが、その故事を知っているということも含めて、文字の読み書きが出来る彼女はそれなりの教育を受けてきた階層、すなわち貴族かそれに近い上流層の出身だろうし、立ち振る舞いの上品さもそれで説明がつく。

 娼婦に過去のことは聞かないのが不文律のマナーなので、想像でしかないが。


「でも、姐さんは一度結婚式挙げてましたよね?」

「したした。相手大金持ちだったから、もっと料理も規模も大きかったわ〜」

「それはそれは」

「田舎の実力者だったから、自分の、てか、旦那の豪邸で司祭を大金で呼んで挙げた。ほら、そうしないと娼婦だったあたしは教会入れないからさぁ」

「金に物言わせたってやつですかぁ」

「新婦が酔っ払うわけにも行かないから、張り付いた笑顔で何百人もの客に相手してさ、あたしはあんな宴会、2度とゴメンだね」

「あははは。姐さんにかかっちゃ、神の秘蹟も台無しだぁ」

 メッサリーナの明るい笑い声が響く。




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