第39話 白い彗星 4


「御子柴ぁ! 帰ってねーだろーな!?」


 放課後になると、昼休みと同じく春日井先輩の怒鳴り声が教室中に木霊した。御子柴は溜息を吐きつつも、春日井先輩にへらりと笑ってついていく。


 ちなみに次の日の火曜日も、水曜日も、昼と放課後には同じ光景が繰り返された。お決まりのように、御子柴が春日井先輩の身長をいじっては、先輩がきーきー怒るという構図も一緒だ。


「なんかあの二人、漫才師みたいだよな。いんじゃん、今流行ってる凸凹コンビ。なんつったかなー」


 当然のように御子柴の席を陣取って、高牧が弁当を広げながら言う。曰く、御子柴に捨てられた俺に同情してくれているらしい。大きなお世話だ。


 そして俺の右隣には、たまには一緒に昼飯を食べようと誘ってくれた設楽がいる。今日はたまたま部活の昼練がないとか。


「ああ、俺も見たことあるよ。確か若い夫婦の漫才師だよな」


「ふ、ふうふ?」


 BLTサンドをかじり損ねる。設楽はのんびりと頷いた。


「うん。蚤の夫婦って言うんだっけ、ああいうの。奥さんが背高くて、旦那さんが背低いんだよ」


「あ、そ、そうなんだ……」


 胸の中に黒いもやが溜まっていくのを感じる。なんだこれ。なんか気持ち悪い。サンドウィッチを呑み込んでも、カフェオレを流し込んでも、それは一向に消化される気配はなかった。


 そんなとりとめもない話をしているうちに、御子柴が帰ってきた。とりあえず高牧をどかして、どっかと席に座る。眉間に皺の寄った、仏頂面だ。高牧が慇懃に頭を下げた。


「殿、温めておきました」


「よし、打ち首」


「なんでだよ! お前がいない間、代わりに水無瀬を可愛がってやってたんだぜ?」


 俺に抱きついて頬ずりしてくる高牧の脳天を、御子柴は無言で三回叩いた。しかも結構いい音がした。それを見た設楽が肩を小刻みに揺らして笑う。


 今日も今日とて俺の周囲は平和そのもので大変結構だが、件のタイムリミットは刻一刻と迫っている。もう木曜日だ。いい加減、ちゃんと話をしなくては。


 高牧と設楽が去った後、俺は小声で御子柴に言った。


「……今日、放課後待ってる」


「え? いや、別にいいよ。時間かかるし」


「でも、待ってる」


 念押しすると、御子柴はふと思案顔を浮かべた。そこへ五時間目の化学の教師がやってきて、授業が始まってしまう。


 返事はついぞ聞けず終いだった。





 廊下の窓から差す茜色の西日を背負って、その小柄な人影は今日もやってきた。


「オラ、行くぞ、御子柴ぁ」


 月曜日から数えて四日目ともなると、うちのクラスの連中も慣れたもので、春日井先輩に見向きもしない。呼ばれた御子柴だけが溜息とともに、重い腰を上げるだけだ。


 俺はというと、不退転の覚悟で自席に根を下ろしていた。どれだけ時間がかかるかは聞けなかったが、関係ない。御子柴が戻ってくるまで座して待つのみだ。


 御子柴はちらりと視線を動かし、俺と春日井先輩を見比べていた。


 そして業を煮やした先輩がずかずかやってくるのを見計らって、唐突に俺を指差した。


「先輩、今日は助っ人呼びません?」


「は?」


「こいつ、水無瀬っていうんです。細かい作業とか得意だし、役に立つかと」


 いきなり名指しされた俺は「え?」と思わず声を上げる。


 春日井先輩の眼光が俺を過り、ついで御子柴を睨み付けた。


「てめー、最低か。関係ねえ奴、巻き込んでんじゃねーよ」


 それはおそらく普通に聞くと、俺を気遣ってくれた言葉なのだろう。


 けど、今の俺にとっては引っかかる単語があった。


 ……関係ねえ奴?


 がたっと椅子が鳴る。気がつくと俺は立ち上がっていた。


「——関係なくないです」


 地を這うような声色に、自分でも驚いた。もちろん御子柴と春日井先輩も目を丸くしている。


「水無瀬?」


「は? どういう意味?」


 春日井先輩が首を傾げて、腕を組む。改めてそう問われると冷静になり、俺はさっきの自分の言動を取り繕い始めた。


「いや……えっと、今日、御子柴と放課後用事があって……。どうせ待ってようかなって思ってたんで。やることないし、俺に出来ることなら手伝います」


 春日井先輩は俺を値踏みするように見ていたが、やがて首を横に振った。


「一応、学校の生徒会っつっても選挙は選挙だ。委員以外のやつを入れるわけにはいかねー」


 い、意外と真面目だな、この先輩……。突っぱねられて俺が弱り果てていると、御子柴が横から援護した。


「集計以外の作業ならいいじゃないっすか。書類の整理とかまだ残ってるって言ってたし」


「まぁ、そりゃそうだが」


「ほら先輩、いっつも猫の手も借りてーって言ってんじゃん。あれ、ほんとに言う人初めて見たけど」


「お前はいちいちうっせーな!」


「痛いって」


 春日井先輩は御子柴の脇腹にパンチを入れる。……なんでこの人、こんなに暴力的なんだ。御子柴が怒らないと高を括っているんだろうか?


 自分の目が再び据わり始めたのを感じていたその時、春日井先輩は後ろ頭を掻きながら俺に言った。


「あーまぁ、そういうことだから。手伝うってんなら入れてやってもいいぜ。ただし茶と菓子ぐらいしか出ねーぞ」


「分かりました」


 三人で連れ立って教室を出る。大股でのしのしと先を歩く春日井先輩から離れ、御子柴は俺にそっと耳打ちしてきた。


「勝手に言ってごめんな」


「いいよ、暇つぶしになるし」


 これで御子柴の仕事が早く終わるなら、俺にとっても僥倖だ。しかも御子柴と一緒にいられる。と、そこまで考えて、俺はとっさに俯いた。いやいや、何恥ずいこと言ってんだ、バカ。


「オイ、御子柴、てめーはこっちだ。逃げられたら困るからな!」


「はいはい」


 春日井先輩に呼ばれ、御子柴は小走りに駆け寄ってその隣に並んだ。


「今更逃げねっすよ。ただ先輩を気づかずに、通り越しちゃうことはあるかもだけど」


「俺が小さくて見えねえって言いたいのか? あ?」


「自分で言っちゃってんじゃん」


「てめー、マジで一回シメる」


 高牧と設楽が言っていた、背が凸凹の夫婦漫才師のことを思い出す。委員会室に着くまでの間、なんのかんのと言葉の応酬を繰り広げている二人の背中を、俺はじいっと眺めていた。


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